第2話 きみと僕と野球部

 今日になっても、青十字あおじゅうじ高校野球部にはふたりしか部員がいない。

 空尾凜奈そらおりんな時根巡也ときねじゅんや。つまりきみと僕だけだ。


「なぜワタシと時根しかいないんだ?」

 一昨日、4月13日、きみは呆然とつぶやいた。入部しようとして野球部の部室へ行ったのだが、誰もいなかったのだ。

 グラウンドに出て、日が暮れるまで待ったが、やはり野球部員には出会えなかった。


 その翌日、僕たちは職員室へ行った。

「野球部の顧問の先生はいらっしゃいますか?」

 入口に立って、きみは大きな声でたずねた。

 職員室にいた先生方がこぞってきみを見た。

 きみはなにかと注目を集めやすい生徒だ。並はずれて美しい容姿を持ち、声がでかい。


「俺だよ」と答えて、手を挙げたオールバックの髪の男性教師がいた。

 べらんめえ口調で有名な数学教師の高浜たかはま先生だった。


「野球部員はどこにいるんです?」

 きみは敢然とたずねた。

「いねえよ、そんなもん」

「いない?」

 きみはつぶらな目をぱちくりとさせた。


「青十字高校野球部は去年の地区予選で4回戦進出を果たしていますよね? 1年生エース草壁静くさかべしずか先輩の活躍で! それなのにどうして部員がいないんです?」

 高浜先生はカリカリと頭を掻いた。

「おめえら、野球部に入りてえのか?」

「はい」

「ちょっと部室へ行こう」


 きみと僕は高浜先生に連れられて校舎を出た。部室棟1階にある野球部室に入る。

 そこにはたくさんのボールやバット、グローブがあったが、しばらく使われていないようで、埃をかぶっていた。

 室内にベンチが3つあって、僕たちは腰を下ろした。


「煙草吸っていいか?」と先生は僕たちに訊いた。

「校内は禁煙ですよね?」きみはすかさず答えた。

「ここにいるのは俺とおめえらだけだ。固えこと言うな」

「じゃあ訊く意味ないじゃないですか」

「いちおうの礼儀だ」

 高浜先生はワイシャツのポケットから煙草を取り出してくわえ、ジッポーライターで火をつけた。


「野球部員は全員卒業した。いまはいねえ」

「3年生はそりゃあ卒業するでしょう。ワタシが訊いているのは、去年の1、2年生部員がどうなったかってことです」

 きみがたずねて、僕はじっと聞いていた。

 先生は口から紫煙をにがそうに吐き出した。


「部活クラッシャーの女子部員がいやがった。すげえマブい女だ。去年の秋、そいつと複数の男子部員との色恋沙汰で部内がしっちゃかめっちゃかになり、全員辞めちまったよ」

「ええーっ?」

 きみと僕の声がハモった。

「全員ですか?」

「全員だ。ひとり残らずな」


「そんなバカな。草壁先輩まで辞めてしまったんですか?」

 野球部の顧問は携帯灰皿に灰を落とした。

「草壁がクラッシャーなんだよ。四股かけやがった。男子部員も女子部員も草壁を憎み、辞めていった。草壁は最後まで野球をつづけたが、キャッチボールの相手もいなくなって、ついにグラウンドに来なくなった」

 きみと僕は絶句した。


「おまえら、それでもこの野球部に入りてえか? いまは部員ゼロなんだぜ」

 僕は黙っていたが、きみはすぐに答えた。

「ワタシと時根は野球をやります」

 一瞬、僕のことまで決めつけるなと思った。

 だが、きみがやるなら、結局は僕もやるのだ。僕はずっときみと一緒にいたい。

 先生は僕たちに入部届を渡した。その場で記入した。


「顧問は俺がつづけてやるよ」

 高浜先生は2本めの煙草に火をつけた。この先生、煙草を吸いたくて部室に来たんじゃないのか?


「時根と空尾か。時空コンビだな」 

 紫煙が僕たちの前に立ち昇る。臭い。

「空尾、てめえは掛け値なしの美人だな。草壁以上だ。野球部をぶち壊してくれるなよ」

「ワタシは一途な女ですよ」

 きみは僕を見て言った。僕を振った女が、なぜそこで僕を見る?

  

 きみと僕はグラウンドでキャッチボールをする。

 青十字高校は河川敷に野球部とサッカー部と陸上部とテニス部の練習場を持っている。

 サッカー部、陸上部、テニス部には大勢の部員がいて、にぎやかに声を出して練習しているが、野球部員はきみと僕だけだ。

 広いグラウンドにふたりきり。


 きみは快速球を投げ、僕は平凡な球を投げる。

「ふたりだけじゃ甲子園には行けない」

 きみは嘆く。9人部員がいたら甲子園に出場できるのに、ときみは言う。


「自信満々だね」

「だってワタシの球はプロ級だよ。そうでしょ?」

「否定はしない」


 きみのストレートは並はずれて速い。コントロールもいい。ストライクゾーンの四隅にビシビシと決まる。

 たぶんだが、草壁先輩にも負けないんじゃないか。

 きみは人間離れした球を投げる。過言ではない。少なくとも平均的な高校生投手の球とは懸絶した威力を持っている。

 きみの球を受けると、きみは変身生物なんじゃないのか、という疑念を抱いてしまう。

 きみは人間ではないんじゃないか? 筋肉を強化し、柔軟性を高めた変身生物ではないのか?


 女性プロ野球選手が変身生物ではないかと疑いをかけられて、人知れず行方不明になった事件がある。変身生物疑惑を持たれた人は、姿を消してしまうことがあるのだ。なぜそんなことが起こるのか、僕は知らない……。

 きみも変身生物なんじゃないのか?


 でも、僕は疑念を口には出さない。きみが人間だろうと変身生物だろうと、きみが僕の親友で、僕がきみの親友であることに変わりはない。僕たちはずっと一緒だ。きみが破滅するときが来れば、僕も破滅したってかまわない。


「部員を集めよう」ときみは言う。その目は未来を見つめ、甲子園を見据えている。

「きみがそう言うなら、僕も手伝うしかないね」

「手伝うとかじゃなくて、もっと主体的になってよ。時根だって部員なんだから」

「わかったよ」

「あと7人いればいい」

「それだとひとり怪我しただけで試合放棄だよ」

「じゃあもっと集めよう。時根、あてはある?」

 きみは僕の投げたボールを胸元でパシッと受けながらたずねる。


 僕は閉口した。

「ないよ」

「友達少ないからなあ」

「おい」

「友達いないからなあ」

「2回言う必要ある? しかも下方修正してるんだが」

「友達いたっけ?」

「くそっ、この学校ではきみだけだよ。いまのところはね。きみの方こそあてはあるのか?」

「ありませーん」

 きみはてへ、と舌を出す。その仕草は天使のように可愛い。僕はきみに逆らえない。

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