ミューテーション

栗餅

邂逅

「卓也〜?何してるの、もう暗いんだから外に出るんじゃないわよ」


「分かってるよ、母さん。鍵閉まってるか確認しただけ」


日の沈むのも随分早くなってきた十二月。卓也は玄関の鍵がしっかり閉まっているのを確認すると、玄関脇の窓に視線をやる。まだ十八時だが、窓から見える空は随分暗い。もう外には出られないだろう。夏に比べて遊べる時間が短くなるこの季節が、卓也は嫌いだった。


暗くなると、妖怪が出るよ。だから、外に出てはいけないよ。


幼い頃から口酸っぱく言い聞かされていたこと。絶対に破ってはいけない掟。

夜の世界に好奇心を持って外出した人間は、翌朝見るも無惨な死体になって発見される、もしくは永遠に見つからない。

子どもは、皆その話を聞かされて育つ。そして幼い彼らは、自分なら妖怪を倒せるのではないかと夢想する。


だけど、やがて気づくのだ。

人間は、妖怪に太刀打ちすることはできない。おとぎ話の英雄は所詮おとぎ話。だから、妖怪に会わないようにしなければならない。そう認識する。

そしてそれが、この町の、この国の、この世界の常識だった。


卓也も、その道理に従う人間の一人である。窓から見つめる夜の景色に憧れがないわけではないが、それよりも恐怖が勝っていた。まだ死にたくはない。

卓也は踵を返し、母の待つダイニングへ足を向けた。



短い廊下を通って扉を開ける。卓也が鍵を閉めていたわずかな時間で料理は既に出来上がっていたようで、テーブルには美味しそうな唐揚げが鎮座していた。

成長期の卓也に合わせて山のように盛られた唐揚げからは美味しそうな匂いが漂っている。

卓也は席に着いた。母がキッチンからサラダの皿をもってくるのが待てず、そわそわと椅子の上で体を動かす。そんな卓也を横目で見て、母も席に着いた。


「「いただきます」」


手を合わせて食前の挨拶をし、卓也はサラダには目もくれず唐揚げに飛びついた。じゅわりと広がる肉汁はいつも通りの母の味だ。一個丸々一気に食べきった。

しかしそこで、いつものような満足感がないことに気づく。味は変わらないのにどうしてだろう。心の中で首をひねった。


「まったく、そんなにがっつかないの」


そんな卓也の様子に気づいていないのか、母はあきれたように、でも嬉しそうにそう言う。卓也が唐揚げを食べるのを見つめていた母は、ふと何かに気づいたような表情をした。


「あれ、卓也。なんか歯伸びた?」


「歯?」


母からの不思議な質問に卓也は眉をひそめる。歯が伸びた?さすがに歯はすべて生え変わっている。伸びるはずがない。

何を言っているのかわからないというような様子の卓也に、母は「気のせいだったかもしれないわ」と笑った。




食後、歯磨きの時間。母の言っていたことが頭に残っていた卓也は、鏡を見てみる。口を「い」の形にし歯が見えるようにすると、母が言っていたことに納得がいった。


「確かにこれは歯伸びてるな......」


伸びているというか、尖っているというか。いままで特に人と変わらない形だったはずの犬歯が、鋭いものとなっていた。

なぜだろう。歯なんてまじまじと見ることがないからいつからこうなっていたのかはわからないが、これまでこんな違和感を感じたことはなかった。もしかしたら今日突然変わったのかもしれない。

人の歯というのは、こうも簡単に形が変わるものなのか。いや、そんなことはないはずだ。不思議な現象に卓也は首をひねる。親族にこんな犬歯をもった人はいなかったはずだし、遺伝でもないだろう。

突然の変化は謎のものだったが、まあそんなこともあるだろう、と卓也は歯磨きを済ませ部屋に上がった。



「おい、お前、起きろ」


深夜。卓也は自分を呼ぶ声で目を覚ました。母の声ではない、聞きなれない少女の声だ。

眠い目を擦って卓也は起き上がる。一体何の用なのだ。寝起きの卓也の頭では、深夜に少女が自分を呼んでいるという明らかに異常な状態に気づかなかった。


「なんだよ......」


目を開くと、目の前にいたのは銀髪赤目の少女だった。人間にはありえない風貌に喉が鳴る。寝ぼけていた頭はこの一瞬で冴え、あまり良くない頭が急速に回転を始めた。


「えっと、誰、ですか」


案の定卓也の頭ではこの状況を乗り切るまともな案は思いつかず、できたのは時間稼ぎのためにそんな質問をするくらいだった。

卓也に質問されたことが不快だったのか少女は眉を歪ませる。その仕草に卓也は身構えたが、少女は卓也に何もすることなく口を開いた。


「私の名前はプラム。ヴァンパイアだ」


ヴァンパイア。そう自己紹介をしたプラムに、やはり妖怪の類だったかと卓也はやけに冷静な頭で思う。自分はこれから殺されるのだろうか。それにしてはやけに丁寧な挨拶をされるな、ヴァンパイアとしての礼儀なのかと現実逃避する。


「プラムさんは......一体ここに何をしに来たんですか」


そんなの卓也を食べるためでしかないだろうと頭ではわかっているが、少しでも食べられるまでの時間を伸ばそうと、そしてあわよくば逃げようと卓也は質問をする。


「お前を迎えに来るためだ」


迎えに来る。思っていたものと違うニュアンスの言葉が来て卓也は戸惑う。

いや、”迎え”というのが食事のことを意味しているのかもしれない。油断してはならないと、卓也はプラムを見つめた。


「迎え、ってなんですか」


「いや、お前突然変異種だろう......私たちの仲間なら連れて帰らねばと思っただけだ」


突然変異種?仲間?意味の分からない言葉の羅列に頭が痛くなる。まったくもって理解不能だ。

卓也のそんな表情に気づいたのか、プラムが口を開く。


「気づいていなかったのか。お前は人間からヴァンパイアに突然変異した。お前は私たちと同種だ」


人間からヴァンパイアに突然変異?卓也が?

自分自身では全く自覚のなかったことを急に突き付けられ、卓也は戸惑う。そんなはずがないと思った。だって卓也は人間の両親から生まれた正真正銘、純度百パーセントの人間なのだから。


「そんなはずは......」


「ある。私たちが同種を見誤ることなんてありえない。......最近、味覚が変わったと思うことはなかったか?牙が発達しなかったか?お前は違うと思うかもしれないが、私から見ればお前がヴァンパイアであるということは火を見るより明らかだ」


唐揚げを食べたとき、いつもより満足感を感じなかったことを思い出す。母に犬歯の発達を気づかれたこと、自分でそれを確認したことも。

信じられないがいつもと違うという証拠は十分に揃っていて、卓也は認めるしかないのかと絶望した。

卓也は人間だ。これまでそう育ってきた。妖怪は恐れるべき存在だと教わってきた。今更それを変えることなんてできない。


プラムは様子のおかしい卓也をじっと見て、何やら思案していた。何を考えているのだろうか。同種になってしまったとわかっていても、妖怪は恐ろしい。

プラムは懐からなにかを取り出すと、卓也の口を無理やり開けさせそこになにかを突っ込んだ。


「ん゛っ」


無理やり何かを詰め込まれる圧迫感に思わず声が漏れる。プラムをちらりと見ると、厳しい視線でこちらを見つめていた。吐き出すことは許されなさそうだ。

ゆっくりと詰め込まれたなにかを咀嚼する。やけにぐにゅぐにゅとした食感で気持ち悪いが、味は今まで食べたことがないほどに美味しかった。ほんのりと甘く、舌が溶けそうなほど絶品だ。これは何なのだろうか。


「っはぁ、プラムさん、これは何なんですか」


卓也は与えられたものをすべて咀嚼しきると、プラムにそう質問をした。プラムはやけに嬉しそうな顔で腕を組む。


「美味しかったか?」


質問返しをされる。卓也は素直に口を開いた。


「まあ、はい。すごく美味しかったです」


正直な感想を言う。いままで食べたことないくらい美味しかった。

プラムがにんまりと笑う。口を横に大きく開いたその笑顔は、どこか不気味だ。


「それは人の生肉だ」


楽しそうなプラムから語られる衝撃の事実に、卓也は言葉に詰まる。人肉、それを卓也は美味しいと感じたのか。嫌悪感が胸いっぱいに広がる。人肉を美味しいと感じるなんて人間としてありえない。


気づいた時には胃の中身をぶちまけていた。


いきなり嘔吐した卓也にプラムは眉をひそめる。不快そうなその表情に怯えながらも、それ以上に人肉を食べた嫌悪感が卓也を襲っていた。


「人の肉は貴重なんだぞ。吐くなんて」


そんなことをのたまうプラムに、やはり人間に似た姿をしていてもこの人はヴァンパイア、妖怪なのだと深く感じた。例え”元”だとしても人間だった卓也に人肉を食わせるなんて正気の沙汰ではない。それをやってしまえるのがプラムなのだ。


「俺は、人間だ......!」


倫理観のない化け物に逆らいたくて、大きな声で言う。プラムはやれやれというふうに頭を振った。


「強情だな、証拠はこんなにも揃っているというのに。まあいい、また来る」


プラムはそう言って窓を開けると、闇に向かって飛び出した。外に飛び出した瞬間プラムの背中から真っ黒な羽が生え、羽ばたきながら夜の闇に消えていった。

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