第16話 「同じ想い」

 2022年2月2日(水)――


 カラッとして澄んだ冬空にほとんど雲はなく、晴々とした陽子の気持ちを映しているようだった。塾の階段も、いつもより軽く登ることができた。



「――あっ、陽子ちゃん! どうだった……?」

「あっトモくん……。受かってた……」

「えっ! おめでとう……ほんとに……」


 友郎は自分のことのように喜んでくれた。


「うん。ありがとう」


 陽子は晴れて、第一志望である秀桜西高校に推薦枠で合格が決まった。受験すること自体を悩んでいたが、しばらく体の調子が良かったことと、高校に通わせたい両親の意向もあって推薦入試を受けることにした。


「やっぱりすごいよ陽子ちゃん。さすがだね。……俺も最後まで頑張らなきゃ」

「ううん、運が良かっただけだよ。トモくんもきっと大丈夫だよ」

「実はね、俺も憂樹も推薦は西高を受けたんだよ」

「――え? ほんとに……?」

「うん、ダメ元でね。みんな一緒に高校通えたら最高じゃん? でもやっぱりダメだったよ。おとなしく一般で北高受けるよ」


 友郎は笑っていた。


「そう……だったんだ」




――私が受けなければ、トモくんや芦沢くんが受かっていたかもしれない。




 またマイナスな気持ちが陽子を取り巻く。彼に言えばきっと「そんなことは関係ない」、「気にするな」と言ってくれるだろう――。




「陽子ちゃんすごいっ! おめでとうさすがだよ!」


 憂樹の大きな声が教室に響く。陽子は恥ずかしそうに、しーっと指を口の前で立てた。この時期の合格の知らせは周りにあまり良い印象を与えない。他の生徒たちがチラチラと陽子に視線を送るのを感じた。憂樹は気にする様子もなく、勢いよく友郎の隣に腰を下ろす。


「おうトモ。やっぱり俺らだめだったな! 切り替えて一般頑張ろう!」


 そう言って友郎の肩に手を回した。


「憂樹がそんな感じだから、俺も頑張れるわ」


 半分呆れたように、半分本当のように友郎は返事をした。


 その日の帰り道、陽子は友郎に報告することがあった。


 しなった弓のように細い月が、二人の歩く道を頼りなく照らす。まるで二人の未来が明るくないことを暗示しているかのようで、どこか心細くなる。


「あのね……実は私ね、来月引っ越しすることになったの」


「――えっ、引っ越し? ……どこに?」


「『黄水仙きすいせん』ってわかるかな。蝶子線でトモくんの住む香澄町から三駅隣の駅だよ。……パパの仕事の都合でそっちの方に行かなきゃいけなくて……。少し遠くなっちゃうの……」


 陽子の両親が彼女の体調を気遣い、西高への合格が決まり次第近くに引っ越すよう手続きを進めていた。今日、陽子から合格を聞いて、黄水仙町への引っ越しが確定したようだった。引越しの本当の理由は、友郎には言えなかった。


「あ、そうなんだ……。うん、聞いたことあるよ。まぁでももし俺が北高に合格したら、二駅は一緒に行けるじゃんね! 俺その分早く家出るよ!」


「うん! そうだね、ありがとう」


 彼は一瞬寂しそうな顔をしたが、明るい声で応えてくれた。




――どれだけあなたと一緒に通うことができるのだろう。一緒に通う回数が増えるほど、一緒に過ごす時間が増えるほど、あなたに訪れる悲しみが大きくなってしまうよね……。




「なにか悩んでるの?」


「えっ? ううん、なんにもないよ」


 陽子は慌てて笑顔で繕つくろう。


「そっか。なんでも言ってね」


 友郎と付き合って一年と八ヶ月になる。彼は変わらずずっと優しかった。今ではその優しさが、温もりが、返って陽子を辛くさせるのだった。






2022年2月19日(土)――


 二人を覆う一つの傘を、冷たくも優しい雨が小さく叩く塾の帰り道。友郎は相変わらず雨の日でも自転車で来ていて、押しながらだと難しいため陽子が傘を持っていた。


「いよいよ明後日だね、受験」


「うん。今まで頑張ってきたこと、全部ぶつけてくるよ」


「トモくんなら絶対大丈夫だよ」


「ありがとう。たくさん勉強教えてくれたことも、ほんと助かったよ」


「ううん、大したことしてないよ。トモくん自身がちゃんと頑張ってきたの、私知ってるから」


 その時、陽子の手から傘が落ちた。


「あっ――、ごめんっ、あ……あれっ……」


 傘が拾えない。手に、腕に力が入らずうまく持ち上げることができない。


「大丈夫?」


 友郎が片手で傘を持ってくれたが、二人の体が少しの間雨で濡れてしまった。


「ごめんねっ……寒くて手に力が入らなくて……」


「ううん、俺は全然大丈夫だけど……具合とか悪くない?」


「うん……平気、ありがとう。……濡れちゃったね」




――病気のことはやっぱり言えない。彼は優しいから、きっと「それでも構わない」と、それを知った上でもそばにいることを選んでくれるに違いない。そもそも、病気と知って「それなら別れます」なんて、思っても言えるわけがないよね……。




「トモくんはさ……」


 マンションのエントランスに着いて、屋根の下に入る。蛍光灯が切れかけていて、時折チカチカと点滅していた。


「うん? なに?」


「あ……私の、友達からの相談なんだけどね? 例えば……自分に付き合っている人がいるとして、いつか必ず別れなければならないと知ってたら、早めに別れる? それとも、その日が来るまで付き合う? 例えば……の話ね?」


 陽子は自分でも声が震えているのがわかった。彼には伝わらないように堪えた。さっき被った雨の水滴が、今頃髪を伝って頬を濡らした。チラッと見た彼の横顔は少しだけ困った様子だった。


「俺だったら……」


 彼と目が合い、堪らなく不安な気持ちが溢れそうになる。


「俺だったら、最後のその日まで一緒にいたい。……わがままかもしれないけど……その人のことが大好きだったら、一日でも多く、少しの時間でも多く一緒に過ごしたい……って思うかな」


「――そうだよね……?」


「うん。……なんでそんなこと聞くの?」


「えっ……だから友達が――」


「――だったらどうして、陽子ちゃんが泣いてるの?」


「――えっ? あっ……いやっ」


――そんなつもりはなかったのに……。


 彼女は両手で顔を覆い隠した。彼の言葉が自分と同じ考えで、嬉しかった。


「泣いてないよ。ありがとう。私と同じ考えだった! 友達に伝えておくね!」


 精一杯の笑顔を見せて、彼を強く抱きしめた。


「……ならいいんだけど。……変なこと言わないでね?」


「――うん。……受験、がんばってね」




――トモくん。やっぱり私は、あなたが本当に大好きです。


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