くひら

 その日はいつも通りに起きて、いつも通りに学校に行く。それは変わらなかった。

 秋風が吹いてきた頃だ。突然にそれはぼくの元に訪れた。

「てん、こう?」

 親から告げられた、親の事情で勝手な一言。けれど所詮子どものぼくではどうしようもない事実、現実を突き付けられた。

 冬に父が転勤になるという。それに伴い、転校しなければならないということだった。

 学校には話しておく、という親の素っ気ない言葉なんか耳に入らなくて、ぼくの思い通りにならない世界から逃げ出すようにぼくは登校した。仲の良いクラスメイトにだけ打ち明けておけばいい、と父は素っ気なく言っていたが。

 ぼくに仲の良いクラスメイトなんていない。クラスカーストは相変わらず中くらいだが、友達がいるわけでもないぼくはクラスメイトには話す必要はなかった。きっと、漫画なんかで見るような転校する日に先生から「今日は悲しいお知らせがあります」なんて感じの決まり文句の下、発表されることになるだろう。それでいいとぼくは思った。

 けれど、あの二人はそうはいかない。どうあっても同じクラスにはならない年上二人の友達。春子さんと夏帆さん。二人には、告げておくべきだろうか。

 そう悩みながら、如雨露から垂れ流しになる水が土に吸い込まれていくのを見るともなしに見ていた。無意識だから、際限なく土に水を与える。いつしかそこは沼地と呼べるくらいどろどろになっていた。それでも無意識のままのぼくは水をやるのをやめない。

 ぱし、と手を掴まれ、如雨露を奪われたところでようやく意識が戻ってきた。過剰な水分は、辺りにだあだあと流れて巻き込んで泥にしていく。そんな無情な光景をぼくは眺めていた。

「どうしたんだよ? 西園」

 そこでようやく、顔を上げて、向き合った。それは春子さんだった。

 涙がぶわりと湧き上がってきて、溢れるのを抑えられなかった。春子さんが優しい表情をしているから。夏帆さんもその後ろから心配そうに今日は茶々も入れずに覗き込んでいた。

「ど、どうした!? どこか怪我でも……」

 ぼくが突然に泣き出したものだから、春子さんは慌てふためいて、ぼくの肩を擦ったり、頭を撫でたりと忙しなくしていた。

 申し訳なかったが、言葉にできなくて、せめてもの抵抗で、声を抑えていた。とても苦しいけれど、大声を上げて泣き喚くなんて、一応男なのだから、プライドが邪魔する。

 そうして、涙が止まらずにいると、春子さんは優しくふわりと抱きしめてきた。ぼくをそのまま包み込むように。

「好きなだけ泣いていいさ。大丈夫だから」

 その優しい声に、ぼくの箍は外れてしまい、少しずつ呻くように嗚咽した。

 だんだん、転校以外のことも悲しくなってきて、次第にぼくは何故泣いているのかわからなくなってきてしまった。




 春子さんが、優しいから。勘違いしてしまうじゃないか。ぼくを想ってくれているのかもって。

 けれど、そんなことはなくって、きっとたまたま見かけたからこうして優しくしているんだと思う。一年生のあのときに出会っていなければ、歯牙にもかけなかっただろう。

 夏帆さんも、合間から背中を撫でてくれている。きっとこの二人にとって、ぼくは「友達」に過ぎないんだとぼくは思う。きっと、いなくなったら、忘れてしまう、そんな程度の友達。

 出会っていなかったなら、ぼくはクラスカースト最下位間違いなしだっただろう。出会えてよかったと思うのが大部分の感情であることは否定できない。

 けれど、でも、心の隅ではこう思うんだ。




 こんなお別れをするくらいなら、出会わなければよかった、と。


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