ごひら
「あ、春子、ここにいたの?」
そこへ夏帆さんがやってきた。春子さんはまあね、と言い、苦々しい面持ちで本を一瞥する。
それを夏帆さんが見逃すはずがない。開かれたページの花の写真、そして一緒に載っている花言葉。夏帆さんはそれを見てにやりと笑った。
「何々ー、春子もとうとう乙女目覚めたの?」
「何気に失礼だな」
「だって女子力が欠片もないのだよ」
「女子力ってなんだよ」
「花を尊ぶことは善きことだよ」
「ちょっと会話繋がってる?」
ああ、まただ、と思った。この二人の会話のテンポの良さにぼくはまだ入っていけない。……二人の仲睦まじい様子を眺めることしかできない。
この、意気地なし、と心の中で自分を罵る。まあ、一度罵ったくらいで変われるものなら何度だって罵るが。
春子さんには夏帆さんが唯一で、夏帆さんにとっても、春子さんは唯一なんだろう。そんな相思相愛な中に、ぼくの片想いなんて入る隙がない。
「おっ、にっしー」
俯いていると、夏帆さんがぼくの渾名を呼ぶ。二年も呼ばれていると、周りにも結構広がるもので、クラスの一部はぼくをにっしーと呼んでいる。
いつもながらに不意討ちで名前を呼ばれたため、肩をびくんと跳ねさせた。
「何々、男女二人きりとは、春子まさかもう恋が芽生えたの?」
そんな夏帆さんの問いに胸がどきりとする。……それに春子さんが頷くか、恥ずかしがるかしたら脈ありなのだろうが。
「五月蝿いマセガキが」
仏頂面でそう返して、春子さんは夏帆さんに軽くデコピンした。夏帆さんがオーバーリアクションに痛がるのを見、呆れて肩を竦める春子さん。
コントのような一幕が、すらすらとやはりぼくの入る隙を許さずに進んでいく。……やはり、脈なんかないのだ。
ぶうたれる夏帆さんを、よしよしと適当にあしらう春子さんだが、その額を撫でる手は妙に優しく見えて、一瞬だが……優しい眼差しを向けたのを見てしまったのを、後悔した。
けれど、何をどれだけ後悔したって、ぼくはこの気持ちを捨てることはできなかった。春子さんに何の気持ちもない、と嘘を吐くことはできなかった。
とんだマセガキである。
「そういえばさー」
何も知らない夏帆さんが話題を変える。
「うちの三軒隣ってにっしーのうちなんだよね?」
「えっ、近いのか、家」
唐突に明かされたひた隠しにしてきたことにぼくは驚く。まさかバレているとは思わなかったのだ。
「……まあ、はい、そう、です」
「にっしー敬語ー。早く言ってくれればよかったのにー。そうしたらさ、三人で一緒に帰るとかできるじゃん」
「えっ、ぼくなんかいても空気ですよ」
正直この二人の会話に割り込むのはしんどい。いくらかできるようになっただけでまだまだだ。
けれど、ぼくの後ろ向き発言に春子さんがデコピンをしてきた。
「空気じゃない。お前はお前。ちゃんとここにいるじゃないか。その自分を卑下する癖、どうにかならないのか?」
「えっ、でも……」
「ほらほら、春子も遠回しだけど一緒に帰りたいって言ってるしー」
「勝手に言うな」
照れ隠しなのか、春子さんはぼくの額を撫でてきた。その手つきが優しくて……少し期待してしまう。
本当は脈ありなんじゃないか、と。そんな錯覚を抱かせる。
ぼくは卑怯で狡猾な考えが浮かんだ。
春子さんが夏帆さんに抱いている恋心は決して叶わない同性愛。それをわかっていて、春子さんが夏帆さんへの恋心を忘れられたら、忘れられるくらい好きな人ができたら。
その好きな人に自分がなれたなら。
漬け入る隙はあるとぼくは思った。
そんなの、弱虫なぼくの弱虫な作戦に過ぎなかった。
「ほら、アタシたち、もう友達でしょ?」
夏帆さんの言葉に甘えて頷き、ぼくは一歩踏み出した。
まずは「友達」。それからぼくは春子さんの「夏帆さんの身代わり」になってみせる。
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