よひら

 ぼくは図書室で探し物をしていた。

 何かというと、まあ、同級生にバレたらまた「ませてる」とか言われるのだろうけれど……「花言葉事典」というやつである。

 ぼくは臆病で、言葉にするのも上手くなくて、だから、自分なりに言葉を届ける手段として、花言葉というものに手をつけることにした。うじうじ悩んで二年が経ったことには我ながら呆れた。

 そんな自分の臆病さと優柔不断さに気づくには充分な年頃の小学三年生。一年年上の春子さんと夏帆さんは四年生になっていた。四年生ということは年齢が二桁になるのだ。それは一つの成長の象徴に思えて、ぼくは一足早くそこに到達する二人を羨んだ。──そんな傍ら、来年自分は成長しているのか不安になった。

 まだマセガキと言われる世代。同級生に言われることがしばしば。でも、一年生のときの春子さんの言葉を盾に、ぼくは生きていた。

「マセガキって言ってる時点でお前らもマセガキなんだよ」

 というように強気な春子さんのようには言えないけれど、

「マセガキという言葉の意味を知っていて言っているなら、あなたたちも充分にマセガキですよね」

 くらいは返せるようになった。

 いや……相変わらず弱々しいことには変わらない。

 けれどぼくのそんな抵抗も時間稼ぎくらいにはなってくれているみたいで、ガキ大将みたいなのに「あぁん?」って迫られているところに春子さんが「あぁん?」って割って入ってきてくれて、相手は腰を抜かして逃げる。春子さんは背が高いだけで怖い人ではないのだけれど、やはり自分より大きく見えるものに迫られると怖いものがあるのだろう。南無三である。

 そう都合よく毎回毎回来ると思ってんじゃねぇぞ、と言われ続けて早二年。実は割と都合よく毎回来てくれる春子さん。テレパシー的な何かが伝わっているんじゃないか、とぼくはそろそろ本格的に疑い始めている。

 そんなこんなでクラスカーストは中くらいを維持できている。それは春子さんのおかげだ。春子さんの勇ましい姿を見ると、胸が高鳴るし、自分も少し勇気を分けてもらえるような気がする。ちょっとだけれど、言い返せるようになってきたし。

 それでもやっぱり春子さんへの想いは口にはできなくて……「好き」というたった二文字だけれど、やはり照れくさいというのと──「あれ」がある。

 毎回、ぼくを助けて去る春子さんには、引っ付き虫のように夏帆さんがついてきていて、「今日も勇猛果敢だったねぇ。ただ、その度に遠退く春子の女子力」「いや、女子力ってなんだよ」という阿吽の会話が繰り広げられる。ちゃんとお礼のために二人の間に割って入れるようになったのは、ごく最近だ。

 阿呆らしい会話でも、二人の呼吸を崩すのは相当勇気のいることで、そこはぼくも成長したと思う。ただ、できなかったそれまでは情けなくて仕方ない。

 道徳の授業で「ありがとう」の大切さを学んでから、ようやく二人の雰囲気を打ち破ってでも「ありがとう」と春子さんにお礼を言うことができるようになった。春子さんは「別に、気にすんな」と言って、僕の頭をわしわしと撫でる。ちびと言われるぼくより大きい春子さんの手はそれでいて女性らしいしなやかさを持っていて、撫でられるのが心地よかった。

 けれど、直後、ぼくの良くなった気分はどん底に突き落とされる。春子さんは少しぼくにはにかむと、ついてきていた夏帆さんとすぐに帰っていくのだ。──以前から変わらない、恋人繋ぎで。

 学年が上がる度に、その握りしめる力は強くなっている気がする。それに伴ってか逆かは知らないが、春子さんの夏帆さんに対する気持ちも強くなっていると思う。

 それに胸に大きな擦り傷を背負ったみたいにずきずきと痛みながら、ぼくは二人を見送る。この二年でわかったことだが、ぼく、春子さん、夏帆さんの家はわりと近い。それは同じ小学校だから、想像がついてもいいものだったが。想像以上に近くてびっくりした。

 春子さんと夏帆さんのうちが隣同士で、ぼくは夏帆さんのうちから三軒隣。春子さんのうちからだと四軒になる。

 だから、一緒に帰る、ということもできたのだけれど……それはまあお察しだ。あの二人の恋人繋ぎを見ながら帰る苦しさと、一緒に帰ろうと誘う気概もないことが、ぼくに「一緒に帰る」という手段を取らせなかった。二人に家が近いことも知らせていない。ただ、登校途中にぼんやり並び立つ家屋の門を見ていたら、近くに「南」と「東雲」という苗字を見つけただけだ。南はともかく、東雲はそうあるもんじゃないだろうから、春子さんの家だろう。夏帆さんは春子さんの隣の家だと言っていたし、間違いない。

 だが、教えられていないのに家の位置を知っているとなったら、気味悪がられるんじゃないかと思って言い出せないでいる。小学生からストーカー扱いを受けたら、「女々しい」くらいでは折れなくなったものでも、ぼくの心は簡単にへし折られるだろう。

 ぼくはまだ弱いままだ。花言葉事典を探すくらいしかできないくらいには。

 放課後の図書室で事典のコーナーを探していると、ようやく「花言葉事典」の文字が見えた。少し高いが背伸びすれば届く。

 ──と、手を伸ばしたところ。

 ぴと、とぼくの小さな手の上にしなやかな手が重なった。ぼくは反射ですぐ手を引っ込め、「お先にどうぞ!」と相手の顔も見ずに慌てて言う。

「今日はあたしがありがとうを言う番かな」

 その声にはっとして顔を上げる。するとそこにはすらりとした脚長美人の春子さんが立っていた。また背が伸びたんじゃないだろうか。女子の成長期というのは男子より早めに来ると聞くが、この人は早すぎやしないだろうか、と毎度のことながら思う。

 ありがとう、と春子さんは透き通る声で言うと、その事典を手に取り、それからぼくを振り返る。

「どうせなら、一緒に読まないか?」

「えっ、えっ、いいんですか!?」

 ぼくは驚いた声を出し、少々無愛想な図書委員に「図書室は静かに」と諭されて、やってしまった、と顔を赤くした。

 好きな人の隣で同じ本を読めるということについ感動と興奮を覚えてしまった。

 人気の少ない図書室の一角にある閲覧用の机に二人並んで座った。隣が春子さんだから、緊張して汗が滲んでいるのを悟られないようにしなければ、と更にぼくは緊張していた。

 春子さんがページをめくり、ぼくが片側を持つ。すると早速春子さんが頭を抱えた。

「この花言葉の由来の話がちょっとよく意味がわからない」

「え? アドニス……福寿草は結構素敵なお話ですよ?」

「あたし、この手の話への理解がからっきしで……」

 では何故この本を読もうと思ったのか。

 その疑問は口にするまでもなく、春子さんに伝わったようで、少し愚痴っぽい口調で語り出す。

「夏帆がさぁ、毎回毎回女子力女子力五月蝿いだろ? だから、花のことなんかを覚えてさ、見返してやろうと思ってさ」

 確かに、何かにつけて夏帆さんは春子さんの女子力のなさをやっかむ。男勝りな性格は春子さんの魅力の一つだけれど、そんなに身近な人物に騒がれては何か一つ、ぎゃふんと言わせるような知識を身につけておきたいだろう。それで花を選ぶ辺り、春子さんも一端の乙女だ。

「西園、お前今失礼なこと考えなかったか?」

「ええっ!? そんな、滅相もない」

 ぼくは話題を提供するため、簡単に福寿草の「悲しい思い出」という花言葉の由来と思われる神話を説明した。

 それに聞き入っていた春子さんは、一つ頷き、ぼくの肩を叩いた。

「お前の説明はわかりやすい。だから、その本はお前が借りて、後日、あたしに内容を教えてくれないか?」

「えっ、ぼ、ぼくなんかでよければ」

 まさかわかりやすいなんて褒められると思わず、謙遜してしまう。すると、むう、と春子さんは唇を尖らせた。

「ぼくなんかとか言うな。過剰な謙遜は時に人を傷つける。……それに、お前がいいんだ」

 春子さんの「お前がいいんだ」が脳内で谺し、染み渡り、やがてぼくはそれを快諾した。

 好きな人に必要とされるのは、やはり嬉しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る