ふたひら
「桜ってさ、綺麗だよね」
「うん?」
夏帆さんの唐突な一言に、春子さんの指先がぴくりと動く。ぼくはなんとなくだがわかった。──春子さんは意識している。
「月が綺麗ですね」が「愛している」の代用であるように他にもそういう遠回りな言い方をするものがある。「星が綺麗ですね」なんかは「あなたに私の気持ちはわからないでしょうね」という意味だったりする。
そんな中に「桜が綺麗ですね」という言葉がある。確か意味は「一緒に歩きたい」だったか。夏帆さんは意味を知らないのだろうけれど、小学一年生を相手に完膚なきまでに言葉責めした春子さんなら知っていそうだ。春子さんも不本意な言い方をするなら「最近のマセガキ」に該当する年齢であるから。
一緒に歩きたい、というのは友情的な意味合いが濃いとぼくは個人的に思うのだが、春子さんのこの反応は……もしかしたら、もしかするのかもしれない。
そんな春子さんの小さな変化に気づいた様子もなく、夏帆さんは続ける。
「でも、桜って可哀想だよねー」
「ほう? またなんで?」
春子さんが聞き返すと、夏帆さんがスニーカーの先でとんとんと地面を示す。石の貼られたそこは桜の花びらが模様のようになっていて綺麗である。
だが、なんとなく、夏帆さんの言わんとすることも察する。石に貼りついた桜が綺麗なのは……
「散った花びらを、人がこうやって踏んづけて歩いてるからっしょ? 踏まれて美しいとかさ、なんか可哀想じゃない?」
「国語が十点の夏帆とは思えない解答だね」
「さりげなく下級生の前でテストの点数ばらすなし!」
憤慨する夏帆さんはよそに、春子さんは涼しい顔だ。一体何点満点中十点だったのかは……聞かないでおこう。武士の情け? というやつだ。武士じゃないけど。
「なかなか風情のあることを言うじゃないか」
「アタシだってちゃんと色々考えて生きてるんですー」
「あー、はいはい」
幼なじみ特有の二人のテンポで会話が繰り広げられる。不思議とついていけない感じはなくて、聞き心地がよいテンポだ。
「にっしーはどう思う?」
「うえっ!? ぼ、ぼくですか?」
話題を振られると思っていなかったので何も考えていなかった。ほほう、と興味深そうに春子さんに覗き込まれて緊張する。夏帆さんが結構ハイレベルな解答をしたので、ぼくみたいな雑兵が敵うとは思えないのだが……
上級生からの質問で、校外学習始まってからこっち、お世話になりっぱなしの人が興味を持ってくれているのだ。不真面目な解答は許されない……とぼくは一人で勝手に緊張しながら、探り探り答える。
「ええと……踏まれても尚美しいんだから、桜って、実は結構強かなんじゃないですか?」
間違えていないだろうか、と恐る恐る二人の表情を窺うと、夏帆さんはきょとんとして、春子さんは感心したように頷いていた。
「強か、ねぇ。なるほどそういう考え方があったか」
「ねぇ春子、『したたか』って何? 美味しいの?」
「あたしは今夏帆がその質問をしてきたことにこの上ない安堵を覚えてる」
「意味わかんない言葉が多いけど、これだけはわかるぞ! 春子今確実にアタシを貶しただろ!」
むっとする夏帆さんにどうどう、と肩を撫でる春子さん。「馬じゃないやい!」と夏帆さんが噛みついて、「知ってたか」と春子さんが苦笑する。
なんだか、二人の会話には割って入れる気がしない。こういうのを阿吽の呼吸というのだろうか。
幸いなことに二人の会話に置いてきぼりを食らっているのはぼくだけではなく、夏帆さんの連れている一年生もそうだった。存在感がぼくと同じくらいだったので、名前も顔も上手く覚えられなかったが。
桜の舞う中を歩く春子さんはなかなかスタイルがいいため、絵になった。ただ、先程までぼくと繋がれていた手は夏帆さんの手をしっかり捕らえ、恋人繋ぎになっていた。
片想いをついさっき始めたばかりのぼくだったが、始めたばかりなりにショックを受けたと同時、少しの諦念を抱いた。──春子さんは、誰にでも分け隔てないのだ、と。
けれど、心のどこかでは勘づいていた。誰にでも分け隔てないのは確かだが、例外はいる。
夏帆さんだ。
幼なじみだから、と言ってしまえばそれまでだが、それ以上の感情があることをぼくはこの僅かな自由時間の間に気づいてしまった。
春子さんは今巷で有名になりつつある同性愛者なのだろう。つまり、夏帆さんに向けているのは友情じゃなくて恋情。……まあ、言葉には出ていないが。
そんなことにこの短時間で気づいてしまったということは、ぼくはそれだけ春子さんしか見ていなくて……その事実が胸を締め付ける。
先に同級生がぼくをマセガキと馬鹿にしてきたが、あながち間違いではないのかもしれない。小学一年生で、一目惚れでこれほど執着しているなんて、マセガキ以外の何だというのか。ぼくは軽く心中で自虐した。
そんな桜の中芽生えた初恋は、踏まれても尚強かに美しさを放つ桜なんかには到底及ばないぼくの心の中で簡単に消えると思っていた。淡く儚いという桜の一般的な印象のように。
けれど、消えなかったのだ。その心の灯火は。
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