薄幸系ぼっち、霞沢さん。

 とても気まずい空気が流れているが、だからといって時間を垂れ流している余裕はない。さっきみたいに沈黙を保っていたら普通に遅刻する、普通に。

 だからここは間髪かんはつ入れずに話しかける必要があるんだけども…………いや無理だろ、終わってんだろ。友人以下どころか知り合い以下の男にいきなり可愛いなんて言われても、言われた側はそこから下心しか採掘出来ないはずだ。


 つまり今の俺は霞沢さんから見たら、脳内海綿体野郎ブレイン・ディックマンということになる。うん、最悪のゴミ野郎だな。不快感の塊だな。

 もういっそここは開き直って、「どしたん話聞こか?てかLINEやってる?彼氏とかいるの?」とでも言っとくべきか?こんちくしょう……。


「…………か、かわ……っ……かわ、か……っ……?!」


 ……どうすっかなー、マジで。さっきから霞沢さんが呪いの言葉みたいに、かわ、という単語だけを繰り返している。過呼吸になっていないかちょっと心配になる。

 俺もここは、やま……やま……とでも呟いて、この流れに対抗するべきだろうか?そうすれば誰かが通りすがった時に、山と川を言い合っている何の変哲もない二人組になれるし。何の変哲もなくねーけど、限りなく頭のおかしい二人組だけど。


 ……ふう、朝っぱらから絶体絶命だ。助けてくれ柚月。このままだとお兄ちゃんは二度と日の目を見れなくなりそうだ。

 同級生の女子に酷い狼藉ろうぜきを働いたってうちの学校の裏サイト(あるのか知らんけど)にでも書き込まれて、皆からの白い目に耐えきれずに不登校になって、そのまま引きニートになるルートが見えたよ。

 そんなのバッドエンドが過ぎる。頼むから勘弁してくれ。

 

 だからどうすればそのルートを避けられるのかを、俺は最優先で考えていかないといけない。この先も平穏な人生を送るために。

 とりあえず、前言撤回が悪手なことだけはハッキリ分かるな。「いや今のは違うんだっ!可愛いなんてこれっぽっちも思ってないからっ!」とか言ったら最悪だ。単なるクズだ。


 だから言い間違い路線は無しとして、こうなったら同音異義語が多いという日本語の特性を最大限活用していくべきだろう。

 例えば、そうだな。「河合かわい勝ったけどなぁ」とかはどうだ?河合って誰だよとかは抜きにして、そういう路線で行った方がお互いに受けるダメージを少なく出来るんじゃないか?

 ちょうどスマホを持っていることだし、連絡が来たことにすれば良い。河合の勝敗を共有している時に、不意に言葉が出てしまったことにすればいい。

 きっと格闘家に一人ぐらいいるだろ、河合。


「あ、今のは──」


 満を持してそんな言い訳をしようとして、


「あ、す、すっ、すいま、せ……っ!わ、わた、わたし、そっ、そんなこと、い、いわ、れたこ、な、ない、ので……っ!な、なのっで、な、なんて、か、返したら、いいか、よ、良く、分からなく、て……っ!だ、だからっ……!い、嫌、とか、で、では、なくて…………っ!」


 早急さっきゅうに取り止める。

 霞沢さんの今の発言を聞いたところ、「なにこの人……き、気持ち悪い……」とか思われたわけじゃ無いみたいだ。良かった。首の皮が一枚繋がった。

 となると訂正する必要も無くなった。むしろ認めた方が潔いまである。そしてその方が印象も遥かに良いに違いない。

 だから俺は思ったことを、そのまま伝えることにした。


「なんだ、なら良かった。てっきり俺は霞沢さんに嫌われたのかと思ったからさ。そうじゃないんなら本当に良かったよ。霞沢さんみたいな可愛い女の子に嫌われたら、一男子としてはかなり厳しいものがあるからな。てか、金輪際立ち直れねぇかも」


 ははは、と爽やかな笑み(当社比)を交えながら、頬をポリポリと掻きながら、俺は穏やかにそう言う。

 後半部分は我ながら思い切ったことを言ったとは思うが、これは別にナンパ目的とかではもちろん無くて、霞沢さんのあまりにも低い自己評価を少しでも上方へと修正するためのものだ。他意はない。

 ひとつまみ程度の自信を持つだけで、霞沢さんならいくらだって友達が出来る。富士山の上で百人でおにぎりだって食べられる。その確信がある。

 だから追い討ちとばかりに俺は可愛いと霞沢さんに伝えたのだ。

 つまりは高度な作戦ってことだ。他意はない。


「そっ、そんなっ……わ、わわっ……わたし、なんて、ぜ、全然っ……か、かわ、かわい、くなんて……!」

「いやいや可愛いって。俺ビックリしたぜ、昨日も今日も。うちの学校にこんな子がいたんだなって」


 首を振る霞沢さんに、俺は負けじとダメ押し。嘘は一つも言っていない。可愛いし、ビックリもした。それは確かな事実だ。

 てか、全然可愛くないは無理があるだろ。一般的に整ってる顔に分類されるタイプの顔をしてたのを俺は見たぞ。今みたいに目元が隠れてたって、顔の下半分だけでその片鱗が余裕で出てるし。

 とりあえず君はもっと鏡を見るべきだぜ。


「……はう…………っ……」


 霞沢さんが下を向いて黙ってしまった。ちょっと言い過ぎたか?でも多少言い過ぎな方が霞沢さん相手には良かったよな、きっと。荒療治の方が効果ありそうだし。

 黙りこくった霞沢さんを横目に、俺は再度スマホを見る。画面に表示された時刻は十六分。HR開始の三十五分までは、既に二十分を切っていた。


「うわっもうこんな時間か。霞沢さん、早く行こう」


 俺は急いで霞沢さんに声をかけた。

 が、


「………はうぅ…………」


 目立った反応はない。霞沢さんは依然として俯いたままで、小動物のような呻き声?を漏らしている。


「おーい、霞沢さん?」


 おい、どうすんだこれ?俺は別に遅刻したって構いはしないが、霞沢さんが俺のせいで遅刻するようなことだけは避けたい。

 そんなのは真面目で清楚な女の子が悪い輩に感化されて、不真面目なギャルになってしまうようなものだ。それだけは絶対に避けないと。腐ったミカンにはなりたくない。


「おーい、おーい?」

「………はうう……ふぁ……」


 だ、駄目だ。やはり反応がない。もはや本当に意識があるのかすらも分からないレベルだ。

 男相手なら頬をバシンと叩いて強引に正気に戻してやれたが、流石に女子相手にそんな非道な行いは出来ない。でも、状況が状況だ。肩を軽く叩くぐらいは…………まあ、許される……か?


「おーい……?」


 恐る恐る霞沢さんの肩を叩いてみた。

 途端に、


「ひゃぁっ?!」


 霞沢さんが超音波のように甲高い悲鳴を上げながら、猫のように機敏に飛び退いた。

 え、俺いま肩じゃなくて胸でも触った?無意識に揉んでた?そう勘違いしそうになるぐらいの反応だった。

 なんか凄い罪悪感だ。俺別に悪いことしてないのに……してないよな?


「あーえっと、ゴメン。でもほら見てくれよこれ。もう十六分にもなるし、こりゃちょっと急がないと遅刻するかも分からんぜ」


 俺はスマホの画面を霞沢さんへと向けると、伝えるべきことをしっかり伝える。

 霞沢さんはここでようやく現在の状況に気が付いてくれたようで、俺のスマホの画面を見つめながら驚いたような声を上げた。


「あっ、えっ?!も、もう、こ、こんな、時間……っ!?」

「ああ、そうなんだよ。だからほら、行こう」


 流石に時間も時間だ、今回は拒否されないはず。

 俺が歩き始めると、霞沢さんは多少の距離こそ取ってはいるが、ちゃんと後ろを付いてきてくれた。


 特に会話は交わさずに、ただただ学校を目指して歩く。

 人通りの無い路地から大通りへと出ると、当然ながら道路には車が行き交っていた。まばらではあるが、道を歩いている人もいる。日常のありふれた光景がそこにはあった。

 しかしなんというか、非日常から日常に戻ってきた感。人払いが施された領域の外側へと出てきたって感じがする。なんか清々しい。

 

 歩道のあちこちにある水溜りを避けながら歩いていると、前方から大きなトラックが勢い良く走ってきた。

 そのトラックは見たところ法定速度を大幅に超えていそうな速度を出してはいたが、特別フラフラと危険な走行をしているわけでは無さそうなので、ガードレールもあることだし特に気にも留めない。

 

 だが、ブロロロッ!!とそのトラックが俺の横を荒々しく通過していったのと同時に、急になんだか嫌な予感がした。

 そういやさっき大きな水溜りが車道にあったような、無かったような……?

 何故か無性にその水溜りのことが気になってきたので、軽く後ろを振り向いて確認してみると、霞沢さんとちょうど横一線の位置に、その大きな水溜りは確かに存在していた。

 

 なんだかじゃなくて、かなり嫌な予感がした。

 

 猛スピードで車道を駆けるトラックと、そのトラックの進路にある水溜りと、その水溜りの横を歩いている霞沢さん。

 嫌な予感は一瞬で確信に変わった。あ、これ、バシャッ!キャーッ!てなるヤツ。


 そこまで思い至った瞬間、


「ちょっと待ったあっ!」

 

 俺は知らぬ間に駆け出していた。

 昨日傘を貸した時と同じだ。俺の聖人な部分が無意識に現れてしまったのだ。ああっ!俺ってなんて優しいんだか!

 

 ブレーキを踏まずに走り続けるトラックの、その巨大なタイヤが、水溜りへと躊躇なく突っ込んだ。

 やはり無情にも、霞沢さんが真横を通る瞬間の、最悪のタイミングで。

 すると案の定と言うべきか、

 

 バシャンッ!

 

 と、津波のような水しぶきが、霞沢さんに向かって獰猛に牙を剥く。


「……ひあっ……!?」

「させっかぁ!」


 間一髪のところで、俺はその水しぶきと霞沢さんの間に挟まることに成功。

 ふう、これで一安心……なわけねぇだろ!!


 バッシャーン!


 ……さて、ビニール傘を盾のように開くという最も最善な策をとれなかったということは、先に言っておこう。

 その結果、俺は昨日と同じく、上も下もびしょびしょになった。

 前髪の先からポタポタと垂れ落ちてくる水滴と、滝行でもしてきたみたいにぐしょ濡れの制服。水も滴るイイ男なんて馬鹿げた言葉があるけれど、きっとそれには該当してくれないな。………………泣きたい。

 

「だだっ、大丈夫ですかっ?!?!」


 背後から聞こえてきた霞沢さんの声は、今日一番の歯切れの良さだった。

 俺は振り返らずに答える。


「ああ、大丈夫。全然、これっぽっちも、大丈夫だから」


 一筋の雫が頬を伝った。その雫が涙なのかただの水滴なのか、俺自身にも分からなかった。


「す、すみませっ!わわっ、わたしの、せいでっ!」


 俺はまた振り返らずに答える。


「いいって、こんなの。霞沢さんが無事なら、俺はそれだけで充分さ。んなことより、さっさと行こうぜ。遅刻しちまう」


 一歩足を踏み出してみると、水がぐちょりとたちまち溢れ出してきて、靴の中に不快感が広がっていく。

 俺は涙が溢れ落ちないように空を見上げながら、何度も必死に謝ってくる霞沢さんにその度に気にしないでと言いながら、ひたすらに学校を目指して歩き続けた。

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雨宿り中の女子に傘を貸してから、俺のラブコメが加速した。 新戸よいち @yo1ds

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