第5話

 

 元々、よく人と話す方でもなかったが、熾条さんの言いつけを守り、誰とも話さずに一日を過ごし昼休みになった。


 昼休みのチャイムが鳴り、先生が教室を出ていくのを見送った後、自販機に寄って缶コーヒーを二個買ってから旧校舎へと向かった。


 周囲に誰もいないことを確認して旧校舎に入り込み昨日と同じ教室に入ると、教室の真ん中に置かれた椅子の背もたれを前にして座った熾条さんが相変わらず制服を着たまま待っていた。


「いらっしゃーい」


「...こんにちわ。これ、良かったら」


「お、気が利くねー。こう見えてコーヒー大好きなんだよ」


 コーヒーを嬉しそうに受け取る熾条さんの姿を見てほっとした。どこかで、昨日のことは夢ではないかと思っていた自分がいたから。


「結局、また制服着てるんですね」


「ああこれ?なんだかんだ学校に入る時コレ着てたら誰にも声かけられなくて楽なんだよねー」


 昨日の様子だと本当はこの人が着たかっただけなのではないかと思ったが、一応理由もあるらしい。


「そんなことはさておき、続きを聞こうかな」


 そんなことを言う間も無く、熾条さんの対面に置かれた椅子に座るよう手で勧められるまま椅子に腰掛けて昨日の続きを話し始めることにした。





 

 二人目の犠牲者である佐々木 拓哉と話したのは、中嶋 美緒が亡くなってから五日後だった。


 中嶋さんが、旧校舎で遺体となって発見されたことで捜査のため三日程学校は休校になったが、三日経つと旧校舎の立ち入りが禁止になっただけで授業が再開された。


 登校日の朝、噂で中嶋さんが亡くなったことは聞いていたが、つい最近話したばかりの人が帰らぬ人となった現実に言いようのない感情を抱きながら通学路を歩いていた。周りを歩く学生もその話題で持ちきりだった。


「中嶋って今まで取っ替え引っ替えで男と付き合ってて、その誰かに殺されたんじゃないかって話だよ」


「マジ?かわいいとは思ってたけど残念だわー」


 心無い発言に言い返そうとも思ったが、そこまで中嶋さんと仲が良かったわけでもないし、たった一度話した時間だけを切り取って、彼女の全てを知った気になっている自分をおこがましく感じ言葉を飲み込む。


 休校明けの全校朝礼で、中嶋さんが亡くなったことが正式に発表され、旧校舎への立ち入りが無期限の禁止となり、皆さんも登下校中などには一人にならずに何人かでまとまって帰るように、との校長先生からの注意を添えられて朝礼は終わった。


 その後、一限目のチャイムと同時に先生が教室に入ってくると、いつものように授業が開始された。


 どこかふわふわとした気持ちの中、あっという間に午前の授業が終わり、昼休みの時間になった。弁当は持って来ていないので購買に何か買いに行こうかと歩いていると、曲がり角を曲がった拍子に人とぶつかってしまった。


「いって!どこに目ぇつけてんだよ!......うわ!どうすんだこれ!?」


 その時まで面識すら無かったが、僕より少し目線が高いところから見下げるように睨みつけてきた人こそ、佐々木 拓哉その人であった。

 見ると、ぶつかった時に持っていたコーラをこぼしたらしく彼の制服の左胸辺りにはシミが広がっていた。


「ごめんなさい。良かったらこれ、使ってください」


 ポケットに入れていたハンカチを取り出すと、彼は舌打ちをしながら奪い取るようにハンカチを受け取ると、シミを拭き取り始めた。


「しっかり前見て歩けよな、...ったくよぉ」




「おい、何してんだ佐々木!」


「げ、谷口」


 シミを拭き取る佐々木君の前で、何かできることがあるわけでもなさそうなので立ち尽くしていると、廊下の奥から生徒指導の谷口先生が彼の名前を呼びながら駆け寄ってきた。僕は、この時始めて佐々木君の名前を知った。


「また他の生徒に迷惑かけてんのか?」


「何もしてねーって。こいつがぶつかってきてコーラこぼしちまったんだよ」


「ほんとか?」


「ほんとだって、なぁ?」


 佐々木君が僕に目配せをする。


「あ、はい。僕がぶつかっちゃったんです先生」


 谷口先生に目を付けられていることからも、普段から素行に問題があることが分かる佐々木君に同意を求められたので事態を長引かせないためにも同意しておく。


「ならいいが...」


「じゃあ、俺もう行くから」


 逃げるようにその場を去っていった佐々木君の後ろ姿とその手に握られたハンカチを見ながら、もう返ってこないだろうなぁと諦めていると、まだ佐々木君を疑っているらしく改めて質問してくる谷口先生に大丈夫だと伝えて購買部に向かった。


 教室に戻り昼食を食べながら、そういえば一年生に先生達に目をつけられている問題児がいて、その生徒の名前が確か佐々木だったっけかなと思い出しながら、まぁもう関わることはないだろうと考えて買ったパンを口に放り込んだ。


「おい......、おいお前」


 放課後、特に学校に残ってすることもないので帰り支度を済ませて校門の方へ歩いていると後ろから肩を掴んで呼び止められた。


 振り返ると、昼に会ったばかりの佐々木君だった。


「何回も呼んでんだから早く止まれよ」


「ごめん。僕のこととは思わなくて...。それで、どうかしたの?」


「これだよこれ」


 見ると、佐々木君の手には昼に彼に渡したハンカチが握られていた。


「もう使ったから返すわ」


「ああ、わざわざありがとう」


 もう返ってこないものと思っていたので案外律儀なところもあるんだなと思いハンカチを受け取ると、水で洗い流した後に絞っただけなのが分かる程の湿り具合だった。


 まぁ、返ってきただけ良しとしよう。


「しっかし呼んでも気付かねーし、お前鈍臭そうだな」


「はぁ」


 随分失礼な物言いだなと思いながらも適当に返事をしてこの場をやり過ごそうかと考えていると、


「お前みてーな奴がこないだの生徒みたいに殺されるんじゃねーの?」


 佐々木君のその言葉を聞いた時、僕の体は頭で考えるより先に彼の胸ぐらを掴んでいた。


「あ?、なんだよ?」


 臨戦態勢になった佐々木君の目が鋭くこちらを睨みつけてきたので、一瞬怯んでしまったがそんな態度は表に出さないように口を開く。


「佐々木君、言って良いことと悪いことぐらいは理解するべきだよ。僕も彼女のことは少ししか知らないけど、少なくとも彼女は死んでいいような人とは思わない」


 それだけ言うとふと我に帰り周りの視線を集め始め、ざわつき出していることに気付いて慌てて手を離した。


「いや、だからってどうこうする訳じゃないんだけど......ごめん!」


 すぐさま頭を下げて謝り、一発ぐらい殴られるかなと考えていたが、一向に体に衝撃を感じないので恐る恐る顔を上げると、


「いや、まぁ確かに俺も言い過ぎだな。すまん」


 顔を上げたら目の前に拳が飛んできていてもおかしくないと思っていたので、佐々木君が素直に頭を下げたことに驚いた。


「いや、僕の方こそ突っかかっちゃったし...」


「これ、ちゃんと洗ってまた返しに行くわ」


 佐々木君は、僕が胸ぐらを掴んだ拍子に落としたハンカチを拾うと改めて僕の方を見て、


「あんた、案外根性あるんだな。見直したよ」


 そう言うと、何事もなかったかのように校門の方へと歩いていってしまい、取り残された僕もいまだにざわついている周りの視線が痛くなってきたので逃げるように帰路についた。


 

 これが僕の見た佐々木君の最後の姿になった。

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