第2話
彼女と目が合ってから僕の時間は止まったように感じた。そこにいる彼女をずっと見ていたいような気持ちのままどれだけの時間が過ぎたのだろう。
「おーい。大丈夫かい?」
僕の目の前で手を振っている彼女の声でふと我に帰った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと...ぼーっとしてました」
「このタイミングで?......あははっ、君、変わってるねー」
僕の嘘を見抜いてかどうか、少し感心するような素振りを見せて彼女は口を開けて笑った。
「それで?どうしてこんなところに来たのかな?知ってると思うけど、ここは立ち入り禁止だけど」
それはお互い様な気がするが。
「僕は、
彼女は、僕が指差す香炉を見て「ああ、あれね」と一言だけ呟いて香炉に近づくと蓋を取り外し、口を近づけるとふっと息を吹き込む。その途端、さっきまで校舎中に充満するほど立ち込めていた匂いが、まるで初めから無かったかのように消え去った。
「え?あれ?」
彼女は、匂いの消え方に戸惑っている僕を見てくすりと笑った。
「これはちょっと特別なお香でね。どう?いい香りだったかい?」
「まぁ、ちょっと匂いはきつかったですけど、甘くていい香りだとは思いました」
そんな立ち所に匂いが消えるお香なんて聞いたこともないし意味不明すぎてちょっと怖いが素直に答える。
「ふーん。そっか。ところで自己紹介がまだだったね」
自分から匂いの感想聞いといて反応薄いな。ちゃんと答えた僕がバカみたいなんですけど。という僕のツッコミを入れる余地も与えず彼女はスカートのポケットから一枚の紙を取り出してこちらに差し出した。
「私の名前は
渡された紙はどうやら名刺だったらしく名前が書かれている...と思う。というのも肝心の名前の文字に見たこともないようなフォントが使われており字が潰れて見えない。かろうじて名前の上にローマ字で読みが書かれているので読めるが、これでは名刺の役割を果たしているのか些か疑問である。
「それで、君は?」
私は名乗ったから今度はお前の番だぞとばかりに目で訴えかけてくる熾条さんに従って自分も名を名乗ることにする。
「僕は、
「じゃあ、夕君だ。よろしく夕君」
「よろしく熾条さん。ところで、僕もちょっと聞きたいんですけど...」
「嫌だな夕くん。熾条さんなんて固い言い方しなくても、しーちゃんとか、ほうりんとかでもいいんだよ?」
僕の話を聞いてくれない熾条さんは話を遮って呼び方の候補を出してきた。
というか近い。呼び方で人との距離感が近い人なのはなんとなく分かったが物理的にも距離が近い。今にも額が付きそうなほど顔を迫らせてくる彼女からつい顔を背けてしまう。
「いや...遠慮しときます」
「じゃあ、お姉ちゃんとかにしとくかい?」
「なおのこと遠慮しておきます」
どうしても苗字で呼ばれたがらない熾条さんの呼び名候補達を一蹴し、結果として熾条さん呼びに落ち着いた。
「ま、冗談はさておき、何が聞きたいのかな夕君?」
割と本気で呼ばそうとしていた気もするが、熾条さんは少し不満そうな顔をしつつも僕が何か聞こうとしていたことは覚えていてくれたらしく耳を傾けてくれた。
「これなんですけど...」
そう言いながら指を差したのは先ほどもらった名刺の一部。そこには書体のせいで潰れた名前より気になる文字が名刺の右上に刻まれていた。名前と違う書体のおかげで潰れていない小さな文字は『超常現象専門家』とはっきり書かれていた。百人に聞いたら百人が怪しむような肩書きである。
「それ中々いい出来でしょ?私も気に入ってるんだよね」
「いや文字が潰れて名前読めないですし『超常現象専門家』ってはっきり言って怪しすぎます。それに熾条さんって学生ですよね?」
我が校の制服を身につけている熾条さんを見ながら聞いてみると、
「あー、
熾条さんは腰と胸に手を当てながら自慢げにふんぞり返って話す。
「何が大丈夫なのか全く分からないですけど、つまり熾条さんは学校に不法侵入し、しかも備品から制服を盗んで着ている不審者ってことでいいですか?」
「まさか!ここにいるのは警察に協力を頼まれたからだよ」
そんなことを言われるとは思わなかったとばかりに、熾条さんは目を見開いて否定する。
「警察に頼まれた?」
「そうだよ。捜査が行き詰まっている警察が助けてくれとこの私に頼み込んできたわけだよ」
どうも胡散臭さが拭いきれない。本当だとしても『超常現象専門家』なんてものに頼む警察が大丈夫か心配になる。
「まぁ、仮に警察に頼まれていたとしましょう」
「あ、その反応は信じてないね?」
「...だとしても、なんで制服を着る必要があるんですか?」
「そんなの制服が可愛くて着たくなったから以外にないだろう」
僕の質問に熾条さんは目を逸らすこともなく、さも当然のようにキョトンとした顔でこちらを見て言い切った。
「...先生を呼んできます」
「まぁ待ちなさい」
熾条さんはその場を後にしようと踵を返す僕の手首を掴んで引き止める。彼女の力は思ったより強く、全く振り解ける気がしない。
「可愛かったら誰でも着たくなるだろう?ほんの出来心だよ」
わざとらしく頬を赤らめて照れ隠しの笑顔を見せる彼女は小首を傾げている。
「...やっぱり不審者じゃないですか」
「違う違う。...そうだ!潜入捜査だよ潜入捜査」
今思いついたようにしか見えない言い訳を話しながら自分から立場を悪くしている熾条さんを見て、僕はため息を吐きながらもう一つ質問を投げかけてみることにする。
「......じゃあ証拠を見せてくださいよ」
「証拠?」
「警察の関係者と証明できるものとか、それか超常現象専門家である証拠でもいいですよ。まぁ超常現象云々はどうせ無理でしょうから警察の方を見せてくれれば...」
まぁそんなものなどないのだろうという意地悪な質問のつもりで聞いてみると、
「こういうの?」
超常現象なんて胡散臭いものは一切信じていない僕がそう話していると、熾条さんはそっと自分の手のひらを上にしたまま前に差し出した。
すると次の瞬間、彼女の手からゴウッという音と共に火柱が上がった。
「......え?」
「ありゃりゃ、ちょっと強すぎたかな」
勢いよく上がった火柱は天井を掠めて少し焦がした後、少しずつ火力を弱め今は火の玉になって熾条さんの手のひらの上でふよふよと浮いている。
「.........それ、なんですか?」
「何って、火だけど?」
いや、それは見れば分かるのだが。
「夕君が超常現象専門家の証拠見せろっていうから見せたのに...」
そう話す熾条さんは手持ち無沙汰なのか火の玉を次々と出してお手玉のように宙に浮かせてはキャッチして遊んでいる。火の玉の数は目で追えるだけでも8個はある。もはやお手玉の腕前を褒めるべきなのか火の玉を出していることを褒めればいいのか分からない。
「そうじゃなくて!」
「わっ、どしたの急に大声出して」
僕の声に驚いた熾条さんと共鳴するように、火の玉はゆらりと消えてしまった。
「そんなのはただの手品でしょ」
「手品呼ばわりとはひどいなぁ。でも似たようなものだけどね。今のは、世間一般が言うところの魔術とか超能力みたいなものだよ」
また怪しい単語が出てきた。魔術?超能力?そんなものが存在するのか?
「その顔はまだ信じてないね?夕君がこの部屋に来た原因のあの香炉も同じようなものなんだよ」
確かに。あの匂いに連れられて僕はこの部屋に来た。ぼうっとしてフラフラと匂いの元を辿るように歩いていたのを思い出す。あれは僕自身に起きた不思議な体験だ。
「それでも、やっぱり怪しく感じますよ。いきなり魔術だ超能力だなんてフィクションの話をされても...。他に何かないんですか?」
「うーん。そうだなぁ。他に今何かあるとすれば...」
考え込むように目を閉じて顎を上げた熾条さんは、ふと目を開いて僕を見つめてきた。その目はさっきまでのふざけた雰囲気の彼女のものではなく、何かを見透かされているような真剣な眼差しだった。
「私は、夕君がこの学校で起きた事件に深く関わっていることが分かるよ」
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