緋色の部屋

卯月ななし

序幕

 どうやら私が思っていたよりも、人間と言うのは痛みに弱いらしい。

「――ぁっ、はぁっ。んぐ、かはっ。げほっ……っ、はぁっ。」

 ゼイゼイと肩で息をしながら、私は後頭部に手をやった。――鮮血が掌に付く。咳と呼吸を繰り返しながら体を落ち着かせてみた。気持ちは十分冷静である、きっと大丈夫だろう。

「はぁ……、はぁっ……。」

 心臓が落ち着いてきたところで、私はリノリウムの白い床に寝そべった。

「……あ。」

 しまった、今寝そべったら――汚れる。だが、体が異様に疲れているせいで起き上がれない。私はそのまま左側に寝返りをうった。それから息を止める。

 そこには、1つの死体が転がっている。丁度今、向かい合う様な形になってしまった。

その死体から流れ出た血液が床に広がり、私の髪に染み込んでいくのが何となく分かった。そのうち切ってしまおうと思いながら目を閉じる。閉じた拍子に、目尻から涙が零れた。それに気づいて目を見開き、少ししてボロボロと涙がまた流れ始めた。

「……っぐっ、うぅ、あぁぁぁぁぁ。」

 殺してしまった。私が。殺してしまったのだ。

そんな簡単なことに気づいて、私はただ泣き続けた。今更遅いというのは分かりきっていたが、どうにも涙が止まらなかった。暫く泣き続けて、起き上がった。

「――ゃ。……やら、なきゃ。」

 最後まで、やらなきゃ。それだけが頭を占拠し、私を突き動かす。寝そべったせいで左半身にべったりと血がついている。それがぽた、ぽたと滴り落ちる音が耳に響いた。私はそっと、隣で死んでいるその人に手を伸ばした。血で汚れまくった手で、その人の頬を汚した。もう生気を失ったその白い肌に、目も眩む様な赤が滲んでいく。その人の目尻に少しだけ残っていた涙を指で拭って、そっと微笑みかける。

「……ほんと、綺麗な人。」

 ずっと見ていたいけれど。ちゃんと後処理をしなくちゃならない。このままでは駄目なのだ。私は用意していた鋸を、テーブルの傍に放置していた袋の中から取り出した。

「……ふぅぅ。」

 浅く息を吐きながら、私はその人を見下ろす。頭の中を空にして。俯いたせいで髪の先についていた血がその人の顔に垂れてしまった。耳に髪を掛けながら、これから私がしなくてはいけないことを考える。

「これ……切れる、かな。」

 四肢の切断、及び首の切断。私は今からこの人をバラバラ死体にしなくてはならない。

「……惜しいな。」

 正直全くもって気乗りしない。だって、この人は五体満足である姿が美しいんだもの。――もっとも、今はもう「命」という1番重要な部分が欠けているのだけど。私は、手に持った鋸をじっと見つめ、それからその人を見つめた。

「どこから、いこうか。」

 私はただそう呟いて、その人の傍に屈みこんだ。もう目を開いて私に微笑んでくれる事の無いその人に、私は精一杯の笑顔を向けた。

 また、微笑み返してくれるのではなんて。思ってしまった自分が居た。

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