スキルが全ての世界でアナライズ!!

ばち公

スキルが全ての世界でアナライズ!!

 12歳の誕生日。私が『教えの泉』から授かったのは、神子様も驚くような『能力スキル』だった。


「驚いた。君の『能力』は『分析アナライズ』だ」

「アナライズ……?」


 全然ピンとこなかった。そんな『能力』、家族からも聞いたことがなかったし、どんな本にも載ってなかったからだ。

 神子様は、綺麗という言葉そのものの顔で、優しく微笑む。


「珍しい『能力』だよ。呪文が必要となるものだ。君はその目で、沢山の素晴らしいものを見通すことができるんだ。好奇心の強い、君のような子にはぴったりだね」

「『教えの泉』みたいに?」


 振り返ると、この灯りもない四角い屋内の中心に、まっ白な石で作られた『教えの泉』がある。顔をぐっと近づけると、ぷくぷくと泡のような、水の湧くような音がずっと聞こえてくる、変な泉だ。小さく見えるけど、底が見えないくらい深い。

 あの水面を覗いたとき、映った自分の頭の上に、『能力』が文字として浮かんで見えた。

 視線を戻すと、神子様は何も答えず微笑んでいた。ただ外に出るようにと、優しく私の背中を押した。


「――さあ、いってらっしゃい」




 この世界では、誰もがたった一つの『能力』を授かって生活している。

 それだけ聞くと、格差だとか嫉妬だとか、色んな問題がありそうだけど、意外とうまく回っている。

 例えば、お父さんみたいに火が使える人は、皆に火種を配ったり、獣を追い払ったりして生活しているし、お母さんみたいに植物の調子が分かる人は農家をしたり、森の管理をしたりしている。

 みんな自分が出来ることをしっかりこなして、争うことなく平和にのんびり暮らしている。

 理由は簡単。神様が私達を見守ってくれているため。そして神子様が、私達を導いてくれているためだ。

 私達が『教えの泉』で『能力』を理解できるのも、それでちゃんと生活が出来るようにという、神子様からの親切な計らい、というやつだ。

 誰だってみんな、自分の『能力』で生きていかないといけないのだから。



 『分析』の使い方はすぐに分かった。対象である人に『分析』の呪文を使うと、その人の『能力』が文字になって浮かぶのだ。

 もちろん見えるのは、神様から『能力』を授かった12歳以上の人間だけ。12歳未満だと、例え誕生日が明日だとしても、何も見えない。


「えーっ。じゃあ僕の『能力』はまだ見えないんだねー」

「見えないっていうか、だってまだ授かってないじゃん」

「そうだけどさぁ。残念だなー……」


 しゅんとするのは、私の幼馴染のルーだ。同い年だけど、私が生まれた次の日に生まれたから、私の方がお姉さんな気分でいる。

 私たちはこうしていつも、草原の丘――神殿と、私たちの町の間にある穏やかな丘――で会って遊ぶ。二人だけの掟ってやつだ。

 ルーはのんびりしていて、優しい子だ。ちなみに、将来の夢はパン屋さんになること。

……正直、将来の夢なんて持ってる人、他にはいない。皆どんな『能力』が欲しいかとか、その『能力』を使って何をするかだとか、そういう話ばかりするから。

「食べるのが好きなだけじゃパン屋さんにはなれないよ」

 って意地悪言っても、

「皆が笑って食べてる光景も好きだから大丈夫」

 なんてのんびり返してくる。

 気付いてる人は少ないけど、ルーはのん気なだけじゃない。器だって大きいし、結構頼りになるところもある。大物だから、きっとすごい『能力』なんだろうなって、私は昔から内心思っていた。

――今の、むうって拗ねた、子どもっぽい顔からは想像できないけど。


「……あっ、じゃあさ、明日僕の『能力』を見てよ! 『教えの泉』に行くのは明後日だからさ。いいでしょ?」

「もー、しょうがないなー」


 弟分のお願いは断りにくい。ルーもそれを分かって頼んでくるから、ちょっとズルい。




「お前なら、『勇者』が誰かも分かるかもしれないな」


 誕生日のご馳走をお腹いっぱい食べてごろごろしている私に、お父さんがそんなことを言った。


 『勇者』というのは、神子様達が、『教えの泉』を管理している理由――ずっとずっと現れていない、伝説の『勇者』を探している。らしい。

 ただ、『勇者』というのが何なのかは、正直よく分からない。『遥か昔、この世界を変えた存在』。知っているのは、これくらいだ。私以外の皆も――どんな大人でも、それくらいしか知らない。図書館のどんな本にも、詳しいことは書かれていなかった。

 すごく珍しい存在なことは分かる。たぶん私の『分析』なんて目じゃないくらい貴重で、重要で。

 神子様達には、絶対に必要な存在。


「ねえパパ、『勇者』ってどんな『能力』なのかな?」

「さあなあ。でも神子様達が探してるんだから、きっと重要で素敵な『能力』を持ってるに違いないさ。人を助けたり、幸せにしたり、笑顔にしたり……」

「笑顔、かあ」


 想像もつかないが……ふと弟みたいな幼馴染の、ぽやっとした顔が思い浮かぶ。まさか、と思う反面。

 ルーなら納得できる、と思わなくもない。


「でもさ、どうせ皆『教えの泉』に行くんだから、私の『分析』ってあんまり意味ないのかもしれないね」

「いや、そうだな、うーん……あっ! 『教えの泉』に行ってない人もいるかもしれないだろ?」

「……そんな人、いるはずないでしょ」


 ジトッと見つめると、お父さんは笑って遠くの方を見た。いつもそうやって誤魔化して、お母さんに怒られてるくせに。


「確かに神子様の迷惑になるようなことを、する人もいないだろうが……。でも、お前の『能力』はきっと素晴らしいものだよ。神子様だって褒めてくださったんだろう?」

「うん。素晴らしいものが見通せるって……」

「だろう? ……それに『能力』がなんであれ、お前は俺達の大切な娘だ。それだけはいつでも変わらない」


 私の頭を、お父さんの大きな手が撫でる。せっかく『能力』を授かったのに、まだ子供扱いだ。

 もう私はお姉さんなのに。


(もっとすごい、おとなっぽい『能力』だったら良かったのかなあ……)


 例えば隣のオジサンみたいに、投げると力が破裂する石を作り出せるとか。学校に通うことになった人達みたいに、知能や記憶力がすごくなるとか。この前都会に行ったお姉さんみたいに、なんでも防げるバリアーが出せるとか……。

 そこでふと疑問が浮かんだ。


――そういえば、神子様の『能力』って、なんなんだろう?



 深夜に家を抜け出して、草原の丘を越えて、こっそり神殿に侵入した。悪いことにハラハラして、ワクワクした。

 神殿は壁で囲まれてるわけでもないので、すぐに入れる。周りの、他では見ない珍しい樹木だとか植え込みだとかに隠れて進む。

 しんとして人気もないのに、不思議な青い炎が、回廊を等間隔に照らしているから、別に暗くはない。それでも夜の神殿は、変に寒気がして怖い気がする。


 私は速足で、中庭に向かった。道はわかる。『教えの泉』のある、ドアすらなくて誰でも入れるシンプルな――というか寧ろ素っ気ない――建物も、こっちの方にあったから。

 途中、大きな黒猫にビックリして悲鳴も出たけど、誰もいないから問題はなかった。


 中庭には神子様がいた。もう部屋で寝てたらどうしよう、と思っていたからラッキーだ。

 炎の光もあまり届かない、暗い場所で人と話していた。相手は、神子様よりずっと年上で背も高い男の人だけど、それでも神子様が一番偉いから、ものすごくぺこぺこしていた。

 私は大きく回って、昔は中庭を飾っていたらしい――今は植物の蔦に絡まれている――朽ちた塀の後ろに回った。塀はボロいけど、私一人なら十分隠れられる。そこには予想通り、崩れて小さな穴が空いていた。

 内心ガッツポーズしてから、そこに片目を押しあてた。神子様を見つめながら、ごめんなさい、と心の中で呟く。でも、悪いことをするわけじゃないから、許してほしい。

 そして小さな声で『分析』の呪文を唱えると、神子様の頭上に目を凝らす――。


 『洗脳』


「え?」


 ぱちぱちと慌てて瞬きした。

 信じられなかったから、すぐにまた『分析』の呪文を使った。言葉が変わる瞬間ほっとして――表れる文字にまた絶句する。

 『支配』

 私が『分析』をする度に『能力』は変わる。

 『説得』『圧力』『煽動』『操作』『矯正』――。

 まるで魔王か悪魔みたいな単語が、美しい神子様の上でぱちぱちと入れ替わっていく。

 私は震える手で口を押えた。見直してもまだ信じられない。


……やっぱり、何かの間違いだ。だって神子様が、私たちの神子様が、あんな恐ろしい『能力』を? まさか。そもそも、『能力』を複数持ってる、なんてことがあるはずない。

 だから、たぶん、私が呪文を間違えたのだ。だってこんなことを誰も知らないなんて、あるはずがない――。


 恐る恐る、再び壁に目をあてる。まだ呪文を唱えるため口を開いた瞬間、

 神子様と目が合った。


「ひっ」


 体を引くと、私はそのまま震える足で数歩下がる。穴の向こうの神子様の姿が小さくなった。

 捕まえろ、なんて声は聞こえない。と思ったけど、あの一緒に喋っていた人に、小声で頼んでいてもおかしくない。

 そのまま回れ右して、全速力で走り出す。木の枝や草が私の頬や腕をひっかいたけど、それでも逃げ続けた。恐怖がエネルギーになって体が動き続けた。走ること以外考えられなかった。


 頭のなかが真っ白のまま走って、走って。

 やがて神殿が見えなくなったころ、私はようやく足を止めた。

 振り返っても、誰も追ってきていない。


 草原の丘は、来たときと同じくらい静かだった。月明りのなかで虫が鳴いていて、そよ風がさらさらと葉っぱを揺らして吹き抜けていく。

 私はそこでようやく体の力を抜いて、溜息をついた。久しぶりに全力で走ったので、喉や肺が痛い。

 落ち着くと、手や足が小さく震え始めた。疲れたのもあるけれど、それだけじゃない。


――とんでもないものを見てしまった。


 こんなこと、誰にも相談できない。お父さんにも、お母さんにも。

 もちろん、ルーにも。




 あんなことがあったのに、それでも明日は普通にやってきた。

 普段なら清々しい気持ちになれる草原の丘も、今日は灰色になったみたいに、くすんで見えた。

 ルーは、もうとっくに私を待っていた。にこにこした優しい笑顔をみると、お腹の中が重たくなった。


「ルー、早いね。……お誕生日、おめでとう」

「うん、ありがとう! ね、僕の『能力』、見てくれるんだよね。楽しみで早く来ちゃったんだー」


 弾んだ声に、作り笑いが歪んだ。


「……うん。待ってね、時間が、すこし、かかるから……」

「そうなんだ。そうだ、『能力』の呪文ってどんな感じ? 自然と使えるの? それとも、神子様が教えてくれるの?」


 神子様という単語に、肩が跳ねた。

 ルーがきょとんと首を傾げる。


「どうしたの? なんだか顔色が……あ、もしかして具合悪い? 僕が約束したから、無理して……」

「ち、違う違う! えっと、あ、呪文ね。呪文は自然と使えたよ。でも聞いたこともない筈なのに、なんだかしっくりくるというか、なんか聞き覚えがあるというか……不思議な感覚だったなー」


 とりつくろって明るい声で答えると、ルーが「すごいなあ!」と無邪気に顔を輝かせる。

 まさかこの子に、あんなことを話すわけにはいかない。でも、どうしたら……。


「――ねえ、本当に大丈夫?」

「え?」

「今日は早めに帰ろっか。あはは、そんな顔しないでよ。僕の家、今日はご馳走だから、早めに帰るつもりだったんだー」

「ルー……」


 ルーは本当に優しい、いい子だ。

 まだ、ルーが『勇者』だって決まったわけじゃない。まさかこんないい子が、酷い目に遭うはずがない。神様だって、きっとそこまで意地悪じゃない――。

 思い込もうとして、神子様のたくさんの『能力』が、脳裏をよぎった。


「見てこれ、新しい靴を買ってもらったんだ。12歳のお祝いだって。強い革でね、硬くて丈夫なんだって。まだ少し大きいけど、僕もすぐ大きくなるからって……」


 ルーの声が耳に入ってこない。

 私はもう絶望でもするような心地で、『分析』の呪文を小さく唱えた。

 上機嫌に、楽しそうに語るルーの笑顔の上に、文字が浮かぶ。


『勇者』


――これは、繰り返す必要もない。


「……」

「ねぇねぇ、僕の『能力』、なんだった?」


 ルーが、『勇者』。優しくてお人好しで、私の弟みたいな彼が。あんな『能力』を持つ神子様達が、ずっとずっと探してきた、伝説の……。


「……笑顔」

「え?」

「人をいつでも幸せに、笑顔にするような『能力』だよ」


 首を傾げて、あれこれ尋ねてくるルーを適当にあしらいながら、私は考える。

 明日、『教えの泉』で、あの神子様にルーが『勇者』であることがバレたら……。




 私はその日の深夜、再び神殿に侵入した。結局、誰にも相談なんてできなかった。神子様の『能力』を考えると、もう誰が味方かなんて分からない。

 二回目の神殿は、何もかもが違って見えた。青々とした炎も、人気のない廊下も、生い茂る異国の植物も、こちらを圧倒して飲み込んでくるようにしか思えない。

 明るい満月の月明かりだけを頼りに、念のため、前回とは少し違う道を進む。あんまり神殿には近づかないように。大きく迂回して、植物の影を使って――。

 そうして忍び足で進む私のふくらはぎを、生暖かく、柔らかいものが撫でた。


「っ!!」


 咄嗟に左手で口を押え、右手をポケットに突っ込んだ。

 でも、そこにいたのは、ただの大きな黒猫だった。昨日も見たやつだ。暗くて気づかなかった。

 頬がひきつるみたいに笑えて、それからなぜか涙が零れた。慌ててごしごしぬぐってから、ポケットに突っ込んだままの右手の力を抜いた。シッシッと追い払うと、猫は私から離れていった。

 このポケットには、石が入ってる。

 隣のオジサンの『能力』で作られた、爆発する石が。




 やっと着いた『教えの泉』は、壁を穿った窓からの月明かりも届かないため、水が真っ黒に見えて怖かった。あいかわらずぷくぷく言っていた。

 触ったり、覗いたりするけど、どういう理屈で『能力』を教えてくれるかは、さっぱり分からない。簡単にイジれたらよかったのだけど、やっぱりそう都合よくいかないみたいだ。

 ということは、次の作戦だ。


――この『教えの泉』を壊したら、私がその代わりとして、ルーの『能力』を『分析』する。そこで、適当な嘘を吐く。そしてそのままルーを、この町から逃がす。


 あてはないが、無茶すればやりようはいくらでもある。例えば、遠くの学校に入学させる。昔いたお姉さんみたいに、都会に出ていきそうな『能力』を言ってもいいかもしれない。

 ルーの『能力』を、呪文で発生しないタイプの、例えば記憶力がすごいとか、そういうものに設定して。できる限り私が援護して、目立たないように生活する。

 最悪全部駄目だったら、ルーを引っ張って遠くに逃げちゃえばいい。

 この、何より『能力』が重要視される安全な世界なら、子ども二人でも生きていける……はず。


 私はポケットの中から、爆発する石を取り出した。オジサンの所から盗んだやつだ。覚悟はしていたけど、心臓がきゅっと縮む。

 もしかしたら、オジサンが罪人になるかもしれない。とんでもないことになってしまうかもしれない。

 それでも、と私は腕を振りかぶった。


「おかえりなさい。好奇心と正義感の強い君なら、きっと此処に来ると思っていたよ」


 ぞっとして振り返ると神子様がいた。建物の入口で月明かりに照らされて。いつもどおりの綺麗さで、優しく優しく微笑んでいる。

 一瞬手が震えたけど、私はすぐに神子様を睨みつけて怒鳴った。


「こ、来ないでください!! 来たら、貴方を攻撃します!!」


 言いながら、構えていた石を背後に隠す。これでちょっとは警戒してくれたら、なんて思うけど。期待はできそうにない。だって神子様は変わらず優しげなままだ。

 落ち着くため、私は一度深呼吸した。


「貴方は何者ですか!? 答えてください!」

「君たちのいう神子様であり、それ以外の何者でもないよ」

「ふ、ふざけないで! 私が子供だからって、馬鹿にしてるでしょ!?」

「まさか。『能力』保持者に対し、幼さは侮る理由にはならない。……君は賢く、強く、勇気に溢れた行動を取っている。それはとても立派だ」


 たぶん、本心だと思う。まじめに私のことを、褒めている。本気でわからない人だと思った。これ以上、この人自身のことを聞く気にはならなかった。たぶん、無駄だと思う。


「……『勇者』って、どんな『能力』なんですか?」

「『勇者』は、古い伝承上の存在だよ。昔々にあった世界を、破壊してしまった者のことだという。もちろん滅多に現れないし、今の世では誰も見たことがない。けれど今のこの、平和で安全な世界を、壊してしまう可能性がある。……それほど強力で、とても危険な存在なんだ。恐ろしいだろう?」


 それが嘘か本当かは分からない。でも話を聞いて浮かんだのはルーののん気な笑顔だった。お人好しで損ばっかするところ、同い年のくせにまだまだ子供っぽ過ぎるところ、苦い野菜が食べられないところ……。

 嘘でも本当でもどっちでもいい。私が信じるべきなのは神子様じゃない。ルーのことだ。

 早くここから出て、彼を連れて逃げよう。


「……そこをどいてください。私はもう、ここから出ます。絶対に、追って来ないでください。追って来たら、神子様でも攻撃しますから」

「誰も君を追いはしないよ。決してね」


 すんなり要望がとおって、びっくりして神子様の顔を見た。

 なぜだろう、その目は哀れむような、慈しむような、そんな風に見えて――。


「君はもう何処にも行けないし、行く必要もないんだよ」

「……え?」

「『分析』の保持者は、皆その泉に還るんだから」


 背後を振り返って『教えの泉』を見た瞬間、足から力が抜けた。ビックリしたのに悲鳴も出ない。


「だから君もこんな所まで来てしまったんだよ。恐れることはない。……泉の底には、沢山の君の同類が山となって眠っている」


 神子様がこっちに近づいてくる。暗い影を通って、ゆっくりとまるでいつもどおりみたいにこっちに――。


「来ないで……!」


 石を握った腕も上がらない。逃げようにも立つのも難しいし、そもそも出口は神子様の向こう側にしかない。


「大丈夫だよ、何も心配することはない。誰も悲しむことも、嘆くこともないから」


 神子様のスキルを思い出す。『洗脳』『支配』『説得』『圧力』『煽動』『操作』。

 私の、『分析』という『能力』が珍しかったんじゃない。その『能力』を持っていた人は、全員この泉に沈められて。そして神子様の『能力』で、私達は皆それを忘れて……!


「い、いや……!」


 焦って逃げようとするけど、足がうまく動かない。泉の縁にもたれかかって、がんばって体を支えるけれど、腰から下に力がはいらない。

 神子様の、氷のように冷たい手が、頬に触れる。


「大丈夫。何も怖くないよ。そこにはたくさんの君の仲間がいる。君はそこに眠るだけだ。その積み重なりが、泉を動かすための力になる」


 うつぶせた私のうなじに手がかかり、信じられないほどの力がかる。目の前に暗い水面が近づいてくる。ぷくぷくと音がする。私はそのときにやっと、『分析』の呪文に聞き覚えがあった理由を知った。

 これは、この音は、泉の底の人たちの――。


「さあ、泉の底にお還りなさい」


 神子様が囁く。どろどろと思考がとろけていく。

 泉がぷくぷくと私を招き入れる。泉の底、たくさんの眠る人影をみる。たくさんの顔。たくさんの呪文。ぷくぷくと音がする。みんなが眠っている。暗い。音が大きくなる。どこから聞こえるの、と思って、それが自分の口から溢れていることを自覚して。くらい。ぷくぷくとおとがする。みんながねむっている。たくさん。泡がのぼっていく。すいめんがとおざかる。おとがする。ずっと。わたしは――。




 少女の肢体が水底に沈みゆくのを見送り、その影すら消えてしまってから、神子は一人頭を垂れ、彼女のための祈りの言葉を口の中で唱えた。

 神子に迷いはなかった。

 やっとこの世界を争いのない、秩序だった状態にすることができたのである。


 かつて人々は絶え間なく争っていた。おおよその根源はスキル間格差によるもので、それを止める術を誰も持たなかった。肥える勝者と飢える敗者、それら全てをも破壊しかねぬ脅威の『能力』保持者。全てに対応するには、誰もがあまりにも無力だった。


 ヒトと獣の境はスキルにあると、かつての宗教は語っていた。

 しかしそれに何の意味があるだろう? 信仰は廃れ、人々は荒廃した社会で獣の如く生きている。憐れむには醜く、助けるには傲慢だ。誰が彼らに救いの手を伸ばすだろうか?

 獣は躾られなければならない。悪辣な行為には鞭を、愚かな放言には口輪を与えねばならない。しかしその原因が、生得的なスキルであれば一体どうするべきか。予期できぬ生来の『能力』と価値観は、薄汚い泥沼のような環境下で成長していく。鞭も口輪も与えられぬそれらを、一体どのように矯正したらよいのだろうか。


 始まりは、小さな子どもの怨嗟の声だった。

 予知能力を持つ母は攫われ、見つけたときには予知できる肉塊として飼われていた。

 哀れな母の側で、敵に発見され襲われたとき。自らの『能力』が発揮できなければ、その子どもは無残にも殺されていただろう。皮肉にも、己の『能力』に助けられたのだった。


 それからずっと、世界を救うことを考えていた。


 神子とその仲間、あるいは賛同者は、長い時をかけて世界を変えた。裏から徐々に手を伸ばし、人々の意識を奪ってきた。

 スキルなどで争わず、彼らはただ己の役割を朗らかにこなし、穏やかな日々を送る。まるで出来の良い人形だ。神子は彼らを愛した。獣よりも清潔で素直で、愛嬌がある。

 戦争も起きた。世界を二分する戦いだった。神子は魔王とまで称された。永遠とも思えるほど時が経った。それでも『勇者』は現れず、神子らは勝利した。

 そして、世界は救われた。


 あれから何年経ったことだろう。百より以降は数えていない。この平和で安全な、秩序の世界は、あまりにもうまくいっている。

――唯一の懸念は、『勇者』などという存在である。

 正確には、『勇者』というのは『能力』ではない。『能力』保持者でもない。

 それは、かつて女神を打ち砕きし者の魂の導きである。

 それは、全ての呪いを打ち砕きし者の名である。

 それは、この世界の破壊者である。


 そのような伝説上の存在が実在するのか、神子には長年分からなかった。

 しかしそれも過去の話である。

 時はきた。可能性の芽は潰されねばならない。やっと手に入れた平和だ。ここに至るまでの数多の犠牲者のためにも、神子はただ驕ることなく、この世界を保ち続けてゆく必要がある。




「いらっしゃい。待っていたよ」


 神子の柔和な笑みに迎えられ、ルーは不安げに視界を彷徨わせた。小作りな四角い建造物は塵一つないほど静謐で、どことなく落ち着かない。穿ち窓から日も差すというのに、奇妙に寒々しいのである。

 歩を進めれば、かつんと新品の靴底が床を叩く慣れない音が響く。戸があるでもなく、閉め切られてもいないというのに、本当に砂粒一つ落ちていない。


「さあ、こちらの泉へ」


 ルーは恐る恐る目線を前へと戻す。神子のほっそりとした指先の向こうには、白亜の泉が静かに佇んでいた。

――あの、いつでも自分を引っ張ってくれる、まるで姉のような幼馴染がいてくれたら。

 ルーはそこではっと我に返った。自分は昨日から『能力』保持者なのである。詳細は分からないが、人を笑顔にする『能力』で。つまり自分はもう、子どもではないのだ。


 これからは、自分の力で……。


 ルーは気を引き締め。そしてまた一歩、力強く足を踏み出した。

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