コーヒーミルとマグカップ
@takaiuni
風紀乱れる日
真新しい、まだ体に馴染まないぱりっとした制服を着こなす私。行きつけの、知り合いの美容師に頼んでボブヘアーになった私。肌は透けるように白く、顔は神の手で彫られたかのように美しい私。高すぎず低すぎず、異性同性が理想とする身長の私。
そう、だから仕方ない。すれ違う人々が私に視線を向けてしまうことは、必然なのだ。それは仕方のないことで、抗うことを許さないのだ。
思わず見惚れてしまうのも仕方ない。
声をかけそうになるのも仕方ない。
足を止めてしまうのも仕方ない。
私は美しいのだ。歩く姿は百合の花、いや、百合の花一本ではなく、百合の花束と言ってもいいだろう。
そんな私が高校でも注目されるのはやはり必然で、当然だ。
今日は入学式当日。地元からかなり離れた高校を受け、見知った顔など一つもないが、それでも私は声をかけられる。初対面の人間が次から次へとひっきりなしに近づいてくる。
正直慣れたものだ。知らない人に声をかけられるのは日常茶飯事、もはや生活の一部になっている。
入学早々目立ってしまうことはある程度予想していた。声をかけられることなど想定の範囲内だ。
だからだろう。私は今、目の前の男に対して不満を抱いている。
「スカートが短い、髪色明るすぎ、化粧禁止だ。入学早々要注意リスト入りとは、凄まじいな」
『風紀』と刻まれた黄金色のピンバッジを胸元に光らせる、私よりはるかに身長の高い男。手にはクリップボードを持ち、四角い黒縁眼鏡をかけている。どこにでもいるような量産型風の髪型に、制服はきっちりと着こなし、眼鏡の色も黒と、校則の範囲内に収まるべくして収まったような男だ。
さて、私がこの男の何に対して不満を抱いているかというと、私を一瞥し、それ以降は目もくれないことだ。
はっきり言おう。身も蓋もなく言おう。私は美人だ。そんじゃそこらの美女とは比較にならないほどの美人だ。自他共に認める超絶美人なのだ。
その私を、一瞥しただけとは、私にとって屈辱以外の何ものでもない。見惚れるのが当たり前なのだ。魂を抜かれたように間抜け面を見せるのが当たり前なのだ。
声をかけてきたかと思えばちらりと私を見るだけで、あとは淡々と自分の業務をこなすこの男に、私は非常に腹が立っている。
「名前は?」
「
いくら腹の立つ相手とはいえ、一応は上級生なのだから敬語を使うのは当然だ。敬いの気持ちなど微塵もないが。
「入学式前にスカートの長さを戻して、化粧は落とせ。髪については今回は見逃すが、次回から元の色に戻して登校しろ」
それに対して私は何も答えない。スカートの長さを戻す?化粧を落とす?髪色は生まれつきだ。それら私が完璧に輝くための要素を捨てろと言うのか。
「イヤです」
「なに?」
「イヤですと言ったんです」
断固許可だ。絶対に従うものか。第一校則違反以前にこの男に従う事自体、私のプライドが許さない。
こんな、なんの特徴も持たない平凡の権化のような男に、容姿端麗以上に容姿端麗な私が従うなどありえないのだ。
「入学式も終えていないから知らないかもしれないが、校則違反だぞ」
「関係ありません。そもそもいつ時代の校則なんですか、古臭い」
「古臭いかどうかではなく、ルールだ」
「では先輩は、私にクラスメイトAになれと言うんですか」
「は?」
全く、容姿だけでなく理解力も平凡なのか。この男に説明などしてやりたくもないが、なんとか言い負かしここを突破しなければ、確実に入学式に遅刻してしまう。
皆が整然と並ぶ中、後ろからこっそりと入るのも目立ち方としては悪くないが、私としては優等生キャラで通す予定なのだ。となると遅刻など言語道断。こんなところで足止めをくらっている場合ではない。
「先輩は私に個性のない、平凡でつまらない一般生徒になれと言うんですか」
「個性のない……?」
「自分で言うのもなんですが、これだけの容姿を持っているのに目立たせないのは人類の損失に等しいと思うんです」
「はあ?」
呆れ顔。まあ当然と言えば当然だ。普通に考えて、私は全くもって非常識人の発言をしているのだから。しかし半分本気でそう思っているのも事実だが。
「つまり、私は目立ちたいんです。入学式で浮かれている私を見逃してくれませんか?」
今度は大きなため息をつかれた。眉間に皺をよせ渋い顔をしながら、絞り出すように話す男。
「……今回だけだぞ。次回からは校則の範囲内の格好をしてくるように。わかったな」
「ありがとうございます!」
おや、意外と話の通じる男だ。
私はぱっと顔を輝かせ、じっと相手の目を見つめる。打算的な笑顔だが、これで落ちなかった男はいない。ちなみに私はこれを打算スマイル落としと呼んでいる。
……ネーミングセンスが皆無なのは自分でもわかっている。
「わかったから早く行け」
と言いつつも、この笑顔には流石のこの男も若干の動揺を見せている。やはりこの完璧な容姿は私の期待を裏切らない。
「優等生になったら、また会いに来ますね」
と言いつつ男を残し入学式会場の体育館へ向かう。「優等生は校則違反などしない」と後ろから聞こえたが、聞かなかった事にしよう。
*✴︎*✴︎
入学式は滞りなく終わった。本当に、全く滞りなく終わった。式の最中大量の視線がこちらに向けられていたことを除けば、もう完璧といっていいほどに終わった。私からすれば視線も含めて完璧なのだから、文句はない。
その後のクラスメイトとの挨拶や説明会も終わり、担任教師やすれ違う先生に咎められることもなく、平和な高校生活初日だった。あの風紀委員の先輩(一応先輩と呼んでおこう。私とていつまでも男呼ばわりするほど非常識ではない)と再び会うこともなく、平和そのものだった。
風紀委員の先輩という敵ができたが、友人もできた。初日の浮かれた空気の中でできた友人は長くは持たないが、いないよりはいいだろう。
そして今、私はそのできたての友人たちと帰路についている。無論話の中心は私だ。朝のやり取りからは想像がつかないかもしれないが、私はこれでも会話が得意なのだ。実際は八割がた聞き役に周り、的確なところで話を繋げる、そんな役割だ。ほとんど話していないが、しかし不思議とこの役割は話の中心になることが多い。まあ、この話し方故に私自身の話はほとんどできないのだが。
これはおいおい解決していけばいい。人間関係を計算して築こうとするならば、長期的に見るのは当たり前だ。
なに?冷たい関係だって?
それは否定しようがない。私も理解している。こんな、なんのためかもわからない友人関係など、私自身冷たいものだと思う。
しかし私は友人がほしい。たとえ取り巻きでも構わない。私の美しさにあやかろうとする輩でもなんでもいい。誰もが羨む完璧を手にした美人。その肩書きさえ得られるのならなんだって構わない。なりふり構ってなどいられない。
私には嫌いな人間がいる。心の底から嫌いなあの人の悔しがる顔、羨む顔、それが見たい。ただそれだけだ。
「じゃあ、私はここで」
会話が一旦切れた隙を狙い、すかさず言葉を滑り込ませる。全員の顔がこちらへ向いた。
「もう?駅はまだ先だけど……」
「ごめん、今日はこの近くに用事があって」
困り眉を作り、さりげなく輪から外れる。後ろに下がりつつひらひらと手を振れば、できたての友人たちは残念そうな顔を見せながら帰って行った。
疲れた。がしかし、彼女たちと別れたのは疲れたからではない。本当に、このあたりに用事があるのだ。私がわざわざ地元から遠く離れた高校を選んだのには理由がある。
制服がかわいい。
ケータイの使用は自由。
女子の割合が高い。
選んだ要素は諸々ある。しかしそれ以上に1番の決め手となったものが、学校周辺にはあるのだ。
私は友人たちが去るのを見届けた後、だれも入らなさそうな狭く暗い路地へ入った。昼だと言うのに路地は暗く、ところどころに空き缶が捨てられている。不良の溜まり場のような場所だが、ここを通らなければ目的の場所に着くことはできない。
「あれ、開いてる」
目的地には着いた。しかし閉まっていると思っていた店には『open』と書かれたプレートが下がっている。扉の脇に置かれている看板には白のチョークで『純喫茶カカオ』と書かれている。
ここは学校から徒歩十分ほどの距離にある、隠れた名店である。
真鍮のドアノブを引くと、扉の上部に着いた小さなベルが鳴る。後ろ手に扉をしめ、仄暗い店内を見渡す。おかしい、プレートは『open』だったのたが、店内の電気は一つもついていない。
「おじいちゃん、いるー?」
おじいちゃん。そう、ここは私の祖父が経営する店である。昭和中頃から続く歴史ある名店。1週間に2、3日しか開かないことから知名度は決して高くないが、しかし昔ながらの風情ある店なので、固定客は少なくない。
「おじいちゃーん?」
しかし変だ。おかしい。いつもならカウンターの片隅にいるはずのおじいちゃんがいない。おじいちゃんは1人での外出が不可能だ。人の手がないと出られないはず。それなのに気配がない。なによりあのしっかり者のおじいちゃんが店を開けたまま出かけるなど考えられない。
となると泥棒でも入ったのだろうか。まさか、とは思いつつも嫌な汗が背中を流れる。
もう一度呼んでみようか、と息を吸い込んだそのとき、カウンターの奥の奥、暖簾の向こうであるキッチンから高身長の男が出てきた。
まさか本当に泥棒が入っていたとは。初めての事態に直面した私の体はこわばって動かなくなった。心臓は早鐘を打ち、嫌な汗は額からも流れる。
部屋が暗いせいで相手の顔は見えない。いざとなったら思いっきりぶってやろうと、鞄を持つ手に力をこめる。中学ではテニス部に所属していたのだ。スイングにはいささか自信がある。
「すみません、今店閉まってるんです」
暖簾の奥から出てきた人物はそう言った。パニックになりかけていた脳でも、どこか聞き覚えのある声だな?と思うことはできた。すっと握りしめていた拳が緩む。
「そういえば、おじいちゃんと言っていませんでしたか?店長のお孫さんですか?」
やはり、やはり聞いたことのある声だ。そう、まさに今朝、数時間前、ついさっきとも言えるほど前に聞いたような、真面目そうな声。
まさか、まさかとは思うが……
「風紀委員の先輩?」
「え?」
相手の声が硬くなる。依然として部屋は暗いままなので顔は見えないが、しかしこの声は間違いなく、今朝の敵、風紀委員の先輩のものに間違いなかった。
なぜ、なぜ風紀委員の先輩がここに、祖父の店にいる。顔はわからないが、緑色のエプロンは見える。緑色のエプロンは、すなわちここの従業員であることを意味する。それはつまり風紀委員の先輩が、祖父の店で働いていると言う事。
だがしかし、今朝の説明会で聞いた校則によると原則アルバイト禁止のはずだが。よりにもよって校則の手本となる風紀委員の先輩が、まさか祖父の店で働いているとは。
「先輩、アルバイトって禁止ですよね?」
「……」
何も言わない。沈黙を貫こうというのか。今朝方散々私を咎めておいて、自分は黙秘権を行使するなど、そんなのは私が許さない。不公平だ、理不尽だ。
「先輩、禁止、ですよね?」
黙りこくったままである。このままでは埒が開かない。
私はつかつかと先輩に歩み寄り、頭上にある先輩の顔を正面から見つめた。流石にこの距離であれば、太陽がなくなるか、あるいは狭い空間に閉じ込められない限り、暗くとも先輩の顔ははっきりと見える。
「この事、学校に報告しましょうか?」
「だああああ!もう!わかった!今朝は悪かったな!そうだよ!俺はここで働いてるんだよ!」
諦めたように、半ば怒りながら話す先輩。ふふん、これで公平だ。少しばかりではあるが、胸の空く思いだ。
校則違反に関してはここまでにしよう。泥棒でなかっただけよかったものだ。それよりも先輩がおじいちゃんの店で働いているということは、当然おじいちゃんの秘密も知っているわけで。それはあまり知られたくない事なのだが、おじいちゃんは大丈夫なのだろうか。
「祖父は今どこに?」
「キッチンにいる。さっきまで新作のコーヒーを試作中だったんだ」
よかった。先輩1人に店を任して誰かと出かけていたらどうしようかと思ったものだが、杞憂に終わって本当によかった。
「おじいちゃん、いるなら返事してよ」
暖簾をくぐり、キッチンへ入った私は、返事ひとつ返さないおじいちゃんに文句を言った。咎める口調になるのも仕方ない。あれだけひやひやさせられたのだ。文句の一つでも言わなければ気が済まない。
「美波、きとったんか」
今頃私に気付いたらしい。新作のコーヒーの調合によっぽど熱中していたのか、本当に気付かなかったようだ。
ちなみに、キッチンには足腰の曲がった白髪の老人の姿はない。いるのは私とその後ろの先輩と、そしてキッチンカウンターの上に乗る小さなマグカップ。
地震もないのにマグカップはカタカタと揺れている。マグカップが喋る度に揺れている。
マグカップが喋るわけがない?あいにくとこのマグカップは特別だ。なんたって私のおじいちゃんなのだから。
コーヒーミルとマグカップ @takaiuni
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