前世で冷たかった姫様がまだ俺にご執心な件について〜こき使われたくない俺は知らないふりをする〜

餅餠

第1話願いと転生


「…美味しくないわね」


 聞き慣れた冷淡な声。心の無い言葉が飛んでくるのを俺の___グレイ・アレグリアの耳が受け止めた。

 またか、と半分諦めた目で彼女を見つめる。その目が気に入らなかったのか、お返しと言わんばかりに彼女は俺に鋭い視線を向ける。


「グレイ、貴方は私の騎士として満足に紅茶を淹れる事もできないの?」


「…申し訳ありません」


 俺は彼女の前で膝ついて頭を垂れる。いつになく冷たい表情で彼女__サイア・ミスリムは俺を睨んだ。

 彼女はこの国、エレナの王女。そして俺は彼女の専属の騎士だ。

 と言っても俺と彼女の関係は良いとは言えない。いつも冷たい態度で言葉の槍を突き刺しては俺に仕事を押し付けてくる。まったく、この人は騎士をなんだと思っているのだか…


「まったく、貴方という男は…騎士としての自覚が足りてないわ。もうお茶は十分よ。この後同盟国同士での会合があるから準備を整えて」


「仰せのままに」


 俺は彼女の前ではこうして頭を下げることしかできない。それが俺に課された役目。使命なのだから。

 俺はサイア様が衣服を選んでいる間に荷物をまとめ始める。…一体俺はいつまでこんなことをさせられるのだろうか。



 そんな事を考えてられたのもこの時までだった。






 忙しなく人が行き交う王城の中。普段から人手溢れかえっているこの場所はいつになく騒がしい。

 すれ違う一人一人の表情は様々なもので、鬼気迫る表情の者や今にも泣き崩れてしまいそうな者、もはや燃えかすのようにただ佇んでいる者など、様々な情念が入り交じるこの空気からはただごとではないことが見れ取れる。


 王城を駆け抜ける俺の元に一人の兵士がやってきた。彼が言うにはすでにこの王城に敵軍が迫ってきているとのこと。参ったものだ。僅かな油断がこの惨事にまで発展するというのだから。


 窓の外に目線を向けると、街の方から巻き上がる黒い煙が見えた。その根本は赤い光に包まれ、ところどころから轟音が聞こえてくる。きっと街の民は既に_____

 その景色は俺が見慣れたものではなく、いうなれば地獄に近い、そんななにかだった。


「戦況はどうだ」


「グレン様が一番隊を引き連れて向かわれましたが…」


 その先の言葉が帰ってくることはなかった。

 絶望。俺の頭の中にあるのはそれだけだった。

 街は壊滅。敵軍は王城まで迫っている。我が軍が抵抗出来るのも数時間かそこらだろう。迫る敵軍を押しのけて撤退させるなど、俺には、人より劣っている俺には到底__


「グレイ様、なにか策は!」


 …いや、駄目だ。こんなときに後ろめたいことばかり考えてどうする。俺は仮にでも姫様直属の騎士に選ばれたんだ。気を強く持てグレイ・アレグリア。

 目の前の兵士ですらこの俺が王国を救ってくれると信じているのだ。当の本人が投げ出してしまっては助かるものも助からない。


「…俺が出る。僅かにでも姫様が逃げる時間を作るぞ」


 兵士は俺の言葉を聞き届けるとすぐさまもと来た方向へと駆け出す。

 おそらく、この国はもう助からない。ここまで侵入を許してしまっては滅亡を強いられるだろう。相手は連合軍。近郊の国の助けを待つにしても時間がなさすぎる。

 さすれば、最適解は一つだけ。姫様を___


「グレイ」


 その時、透き通るような声が俺の耳に入り込んできた。声の方へと俺は体を向ける。

 少し力を入れてしまえば折れてしまいそうなほどに細い手足。陶器のように美しい白皙の肌。そして海をそのまま形取ったかのような美しい頭髪。どことなく儚い雰囲気を纏った彼女は翡翠色の瞳を俺に向けた。

 その姿はさながら絶壁に咲く一輪の花を思わせる。


「サイア様、なぜここに…」


 おそらく俺を探して走り回っていたのだろう。息を切らした彼女はいつになくこの緊急事態になぜ…


「グレイ、戦況は…」


 その言葉からはいつものような冷徹さを感じられなかった。息を切らして、途切れ途切れになりながら俺に問いかけてくる。

 魔法に長け、誰にでも覚めきった対応な彼女でさえもこの状況で焦らずにはいられないのだろう。『氷の魔女様』も人間だ。


「…良いとは言えません。私はこれから敵軍の迎撃に向かいます。姫様はどうか___「グレイ」


 姫様は俺の言葉を遮るようにして俺の名は呼んだ。俺に発言権を与える事なく姫様は続けた。


「命令です。生きて帰ってきなさい」


 いつになく、無理難題だ。こんな状況で生きて帰ってこい、など羽も無いのに空を飛べと言っているようなものだ。

 俺は彼女のお付きの騎士だ。彼女の要望はなんだって答えなくてはならない。彼女の気まぐれはいつだって聞いてきた。本来なら使用人がやるであろう身の回りの仕事を押し付けられたって黙ってこなしてきた。

 だが、今回は話が違う。まるで不可能だ。彼女を逃すことでさえも叶うかわからない。

 俺の視界に映るのはらしくなく懇願するような瞳で俺を見つめる彼女の姿。こんなときばかりこの人は…

 俺は頭をさげて膝をついた。


「仰せのままに」



 






 俺は硝煙の上がる空を見上げていた。声を発したいが、俺の喉からはみっともなくかすれた空気が吹き抜けるのみ。どうやら喉もとっくに潰れてしまっているらしい。


 目線を空から自分の腹部に落とす。剣が一本と矢が数本。そして魔法攻撃によってえぐられた傷が数か所。よくこの怪我で立っていられたものだ。

 腹から伝わってくる鋭い痛みと生暖かい感覚。その二つに苛まれながらも俺の視界は次第に霞んでいく。治癒魔法で意識はとりとめているが、おそらく気を保っていられるのも後数分だろう。


 今年で歳は16。長いようで短い人生だった。

 戦争で両親を失い、王家直属の騎士に成り上がり、サイア様にこき使われる人生。戦争孤児であることから、周囲からの効果は厳しく、姫様からは冷たい態度を取られ続けた。誰にでも冷たい彼女だったが、俺には一際冷たかったように思える。


 孤児になってからはひたすらに騎士を目指して鍛錬に明け暮れた。勉強も家事もできなかった俺にとって出来ることと言えば戦う事だけだった。

 訓練をしていても腕は一流とは言えなかった。魔物はまだしも、人の相手をするのは骨が折れた。周りには自分なんかよりも才能のある者が多く、俺が出来るのは人一倍努力することのみだった。


 人よりも劣っている事は自覚している。だが、適正があるとかいう理由で俺は姫様のお付きになった。そのせいで色々と苦労することになったのだが、それもいい思い出だろう。


 こう考えてみると、せわしなく過ぎた16年だった。少しぐらいは休む暇があっても良かったかもな。来世は穏やかな人生であることを願いたい。


 次第に遠のいていく意識。俺の視界に闇が侵食し始める。俺はゆっくりと目を閉じる。そして、天に向かって祈る。姫様の無事を。



 次に目覚めた時、俺が目にしたのは見知らぬ世界だった。

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