通天閣のネオンがギリギリ届くおでん屋
登美丘 丈
一
通天閣のネオンがギリギリ届く場所に「福」はある。カウンターに椅子が五脚だけの小さな小さなおでん屋だ。おでん屋だから、おでんしか置いていない。酒は瓶ビールと日本酒のみ。おでんはどれも百円、酒類は五百円。すべて税込だ。
メニュー表はない。おでんの種は日によって変わるから、客はカウンターからおでん鍋を覗き込んで注文する。
「福」の店主、フクは今年五十歳になった。この新世界で店を構えて十年になる。以前は飛田新地で女郎をしていた。
午後六時の開店と同時に常連が顔を見せる。
まず現れたのは、難波警察の立野だった。
「なんや、今日はもう終わりかいな?」
「いや、まだまだ、これからやがな。最近は外国人の観光客が増えたせいで、トラブルも多くてなあ。今晩も張り込みや」
「ほな、飲んでたらあかんがな」
「大丈夫や。一杯飲むだけや。急に寒なったから、酒でも飲まんとやってられへんわ」
立野は、刑事課の巡査長だ。四課に所属している。四課というと、暴力団や外国人の犯罪を検挙する部署だ。暴力団を相手にするせいか、大きな体に、角刈り、口ひげと、極道顔負けの風貌だった。実際によくその筋の人間と間違えられることがある。
フクはぬる燗にしたお銚子を立野の前へ置く。お猪口は置かない。案の定、立野はお銚子から酒を直接胃に流し込んだ。勤務中に立ち寄る時の常だった。そういう時の肴はたまごのみ。常々、「コレステロール値が高いから、たまごを食べるなって医者に言われてるんやけどな。ここのたまごは出汁がしゅんでて美味すぎる。俺の体が悪うなったのは、フクちゃん、あんたのせいや」と言いながら、たまごを食べる。
ぬる燗なのは、時間がないせいだ。二合酒をほとんど一気に飲み干し、席を立つ。
「気張りや!」
「おおきに!」
大きな体を縮めるようにしながら引き戸をくぐっていく。
と、立野と入れ違いに、岬が入ってきた。岬は新世界界隈を縄張りにする狭間組の若頭だ。立野とは同級生だが、犬猿の仲だった。時々、「福」で鉢合せしては、罵りあいを始める。
「今、デコスケが出ていったやろ? あいつ、仕事もせんと、サボってばっかりしやがって。税金でメシ食ってるくせに」
「なんか、最近外国人の数が多くなったせいか、トラブルも増えたって言うてたわ。これから張り込みやて」
フクは瓶ビールとグラスを岬の前に置いた。岬が手酌で注ぎ、一気に飲み干し、再び注ぐ。
「ほな、あいつ、また銚子のまま一気飲みして、たまごだけ食べて出ていきよったか」
フクが頷くと、
「しゃあない奴やなあ」
とグラスを干す。
若頭といえばナンバーツーだが、岬はぱっと見ヤクザには見えない。いつもビジネススーツのような地味な服装に身を包み、銀縁の眼鏡をかけている。やり手のビジネスマンそのものだった。夏でもきっちりスーツを着て、ネクタイまで締めている。若気の至りで全身に墨を入れたため、それを隠すためだそうだ。昔はともかく、今は墨が入っていたら色々と商売がしにくいらしい。
狭間組は一本独鈷の小さな組織だ。そのシノギの中心は、新世界界隈の飲食店からのみかじめ料だった。それに加え、飛田新地の遊郭をこっそり経営していた。こっそりというのは、ヤクザは遊郭の経営ができないことになっているからだ。
「外国人といえば、岬さんとこが守りをしてるお店なんかも大変ちゃうの?」
「そやなあ、あいつらは行儀が悪いから、しょっちゅう用心棒が出動や」
「そういう意味では、立野さんとこと共闘やな」
「誰がデコスケなんかと。あいつらが介入してきたら、うちはおまんまの食い上げになる」
岬は笑って、たまごを注文した。
「たまご好きなところは、立野さんと同じやなあ」
「なんでやねん。たまごは誰かて好きやろ」
そう言いながら、たまごを一口で頬張る。
「まあ、そやな」
たまごと大根が一番人気を競っている。
熱かったのだろう、
「はひがひゅんでてふまいふぁ」
と言いながら、口の中でたまごを転がしている。
出汁がしゅんでて美味いなあと言いたいようだ。
「さっき、立野さんから同じセリフ聞いたわ」
フクが笑う。
たまごを飲み込んだ岬が、
「やめてや」
と笑う。
「大根とすじもたのむわ」
「はいよ」
岬はそれらを平らげると、「ほな、また」と、代金を置いて出ていく。夜のパトロールに向かうのだろう。
最近は、若者や観光客向けの新規参入の店が増えたが、みかじめ料の支払いを拒否するケースがほとんどらしい。昔なら有無を言わさず支払わせていたようだが、暴対法の施行以後、強要することは難しくなったようだ。
ただ、みかじめ料を払わないからといって、何か問題が起きれば放っておくわけにはいかない。町を守らなければならない。
そういう意味では、立野も岬もこの町を愛しているのだ。
ちなみに「福」は、みかじめ料を支払っていない。要求されたこともなかった。 刑事とヤクザが常連客なので、必要ないと判断されたのかもしれない。
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