10代から20代の時に書いた詩(20)

天川裕司

10代から20代の時に書いた詩(20)

僕とは暗い人間か。


永遠の友、とはこの世には居ないものか。理想からは程遠い。


時間はあるのに、何を焦っているのか。


「現実逃避」

昭和52年1月2日、僕、「天川裕司」は突然不条理にもこの世の中に生れた。いつの間にか親である神様に代わって、〝天川章子〟、〝天川賢一〟、と名乗る者が出て来て、僕の親だと教えた。その時僕は何故か考える知恵も無く言葉というものが何なのか解らなかったので、その事実を受け入れるしかなかった。今、言葉が解って、縁の糸の絡みにも神様の事を親から聞いて、知識を得た。僕は不条理にも生まれて来たのだ。唯この世に知らず知らず内に生れて来たのだ。それは皆も同じかも知れない。こんな自然体の僕は楽しむ、という事が好きだ。人間に生まれた所為か、それに嘘はない。だから僕のこのせっかくの人生の時間を、無駄に苦しむのには費やしたくない。それは無駄な事で、不条理に生れて来たのなら、楽しむ方がずっと得だ。…そう思った僕は明後日、テストがあるにも拘らずTVを観てケタケタ笑い楽しんでいる。


―――――今までの字面を見て一言、〝同じこと書いてら〟。(笑)――――


生れて、好きな事が出来る手足がある。好きな事が出きる時間がある。隠れてして居れば夜、誰にも怒られる事は無い。一応の道徳に沿ってさえいれば。僕がしたいと思う事は、思うからに些細な事だ。だが、それの度を越していると、母親の気狂いが階下から聞こえて来る。父親は単身赴任で家に居ない。故にその分、余計に母親の背に子育ての重荷が伸し掛かって来るのだ。親の狂おしい程の思いと、この現実への自己の恨みの自分の思いとに挟まれる僕はやはり臆病である。


「歴史の人」

我は芥川よりも先に、その言葉を言った。何故なら、我も、人間だからだ。


生きる道で幾度も思う事。

―――〝もう一度、強くなりたい〟―――


トランキライザー、イコール現実逃避


「笑止」

今の僕は人生の時間の使い方が下手か?(笑)


人は他人(ひと)を救えない。本来、人は他人の模範にはなれない。この世に以て生まれた使命はそれぞれ違うらしいから。(笑)


この世に男と女しか居ないとは。愛をぶつけ合うのはこの両者のみ。2つの人生を、と、無い物強請りから始まったのがオカマか?(笑)


言論を朝まで続けている輩。自分の極論とやらに自信を以て盲目になりながら他人(ひと)を責めるのは止すべきだ。人は他人を語れはしないのだから、〝結果を語れる〟等と合理的見地を擦り付けてみても、事実は時の流れの中の人の心。その事を〝良し、悪し〟と言うだけに留めて、他人の見地を見下すのはやめるべきだ。それは愚人のする事。


―――人は欲望から故、他から上の立場に居る、と見られたがる。(笑)


この世に生まれた証を欲しがる殺人者。そこにはもう年齢の境界はなくなった。何もする事が無く、平和呆けしたこの世界、いや日本で、自我に目覚めるのが早くなった人間。僕が知っている神を思うと笑うべき事。神は、人間をこの世にそれぞれの意味を背負わせて生まれさせたと聞く。なのに、その人間が自我と欲に目覚めてその証拠が欲しい、と嘆くのだ。これでは神の立場が無い。この世にもう一度神が降りて来られた時、犯罪者は、不条理にも生まれて来て、神を知らぬまま取り返しの付かない罪を犯してしまうのか。そう、僕に他人(ひと)の事を語る余裕無し。僕は神を信じているのだ。(笑)


この世は大きな罠だ。


暴力、言論、生命、この中で一番強いものはどれか。父親と母親の意見、僕は思わず悲しくなった。その一瞬の間の幸福を限りなく愛おしく思った。


「苦悶答」

神よ、何故に人間(ひと)に怯えねばならぬのか。何故に言い返してはならぬのか。何故に、仕返してはならぬのか。何故に臆病者には恐怖が付き纏うのか。何故に、汚いと思う悪を好んでしまうのか。何故に、この世は悪が栄える悪い時代なのか。僕が思うこの世での本音、生きていく為に仕方ない。頭の良さの他に、言い返す勇気と汚さが要るのだ。殺される前に殺す正当防衛が要るのだ。でなければ自分の身を護る事は出来ない。いつも眠たげな眼をしていなければならない。死んだ不良のあの人がどこへ行ったか、なんて、天国に行ったと言いたいもの。必然的な生き方は正直者の生き方。そこに嘘は無い。その本質を見抜いておいて何故に〝仕返しは私がする〟と神は言うのか。ただ今も、ヤクザと名乗る者があの家族の家のドアを蹴破って入って行ったのに。そこには病弱の父親と、健康な母親と、今年2歳になる女の子が居た。


歌を唄うにも、その歌(自分)を売り付けるそれなりの強さが要るのだ。要所、要所に。


母さん、あなたは心が広く、今まで周りのあらゆる雑音(ノイズ)に我慢して来た。神を信じてるから、平気、だとは言うが、僕は唯〝有難う〟と感謝の思いと一緒に母さんの周りの雑音への怒りを、あなたに擦(す)り付けたい。何れ、この地を離れ、僕も同じ場所へ行く時、この地上でのその我慢がきっと、幸福に変るよね。僕はあなたを心から愛します。本当にあなたの子供で良かったです。理屈じゃなくて、今まで僕を愛してくれたその見返りの無さが僕には堪らなく幸福だった。


本音:僕が何をしても両親、苦しまないでくれ。


「悲しい瞳をしている愛する人」

僕が昏睡状態の時、理想だったあの人が出て来た。文字通り夏で、浴衣を着て線香花火をしている。子供と大人とを兼ねそろえた僕らは、線香花火が終わるまで一言も口を利かないだろう。幸福だから。


僕は両親を愛したい。心から愛したい。愛したい。

唯、生きてる以上、右と左が分らないんだ。唐突な場面では。


「問答」

神よ、何故幸せな家族から、悪者を来させてその幸福を奪われるのか。そして勇気を奮ってその悪者を殺せばその者も死に。どんな意味があるのか。悪が栄えると言う事に。7月13日。


「心の中」

そこに小さな女の子が居た。臆病な瞳で、何が幸福で何が悪い事かも分からない無知な女の子だ。その子はいつものように、やっと咲いた花に水をやって育てている。どこまで育つか分らないその花に、汚れているかさえも分からない水をやっている。その子は世間に中々出られない。すぐに心が変わってしまうから。心が変わってその咲き掛けた花を捨ててしまう事を恐れていたからだ。その子は今もまだ、一定の喜怒哀楽に満ちながら黙っている。「そこ」とは僕の心の中だ。


母さんの中心部はこの僕か。父さんの中心部はこの僕か。この僕の中心部とは?


「午前5時の決心」

親が生きてる間は決して僕は折れてはいけない。僕自身もそれ以上に苦しまなくては行けなくなる。唯この世で強く生きるという事は、人一人を幸せにするという事は、一瞬なりとも、いや、一生臆病を忘れて消してしまう事だ。つまり神が見て、辛くなられる事をするという事。それでも僕はこの世で折れてはいけない。それをどうしても、親に話しておきたいんだ。


確かに、臆病に病んでいても仕方が無い。


「サイコ、making by his mother」

全部狭い方へ捉えてしまう。…人を殺すなんて以ての外。人を傷付ける事は悪い事。聖書の十戒を守れないなりにも、守る努力をして、悔い改め。しかし、その子供の臆病がその善言よりも上回っていた。その善言通りにするのが怖いのだ。


男である以上、〝女〟で悩み続けなきゃいけない。なんて嫌な事だ。その欲を殺したい。


「冗談」

つくづく思う。僕に魔法が使えたら。そうすれば悪い奴等をやっつけてくのに。(笑)これはマイナス思考か?でもそこの君、笑っただろう。


今の殺人事件に対して、〝人間性が無い〟と言う。でも人間である。神が創られたとされる人間だ。それを忘れてはならない。殺すのはお互い様なのだ。殺る前に殺す、自分の命を自然に護る事が何故悪いのか。罪の在り方をもう一度、正義(見掛けの強さ)に生き易いように改め見るべきだ。でなければ、まだまだ、少年の屑共が図に乗るのだ。早く殺すのだ。


今もどこかで連続殺人犯は眠って居る。そいつが目覚めた時、標的になるのは何だ。人間か、動物か。言葉が喋れる分だけ人間を選ぶだろう。僕は無敵じゃない。人間(ひと)は脆い。標的にされた事を考えた事があるか。皆、標的にだけはされまい、と必死だ。誰だって標的にされた上でピストル発砲されたら、死んでしまう。殺人はいつどこで起こるか分からない。いつもその結果を待つのみだ。今日の一寸先も分からない人間(ひと)は、その結果が来てから初めて驚く。驚いた時は既に遅し、命は無いものとなる。皮肉なものだ。同じ人間ながら、そういう類に怯えながら生きねばならないと言うのは。そこに嫌気が差し、本来の姿に戻れば、〝自分の身は自分で護る〟だ。襲って来る事件は、あるていど伏線がある。警察も人間、命は惜しいもの。誰でもそうだ。僕が不死身で、神から遣わされた者ならばこんな事で悩まなくても良いのに。やはり死ぬ事が一番の不幸なのだ。


「ある殺人鬼を殺害した殺人鬼」

ある男が〝自分の身は自分で守る〟と言いながら、周りの人間を片っ端から殺して廻った。偶々その中に、今朝の新聞にトップで出ていた殺人鬼も入っていた。その〝ある男〟が殺した数、総勢53人、その殺人鬼は23人。30人程多い。そのある男は捕まり、刑務所送りになった。そこでその男は自己弁護に、戦時中の話をし始めた。〝一人を殺せば殺人鬼に、だが大勢を殺せば英雄に…その過去がある以上、今の恵みはその殺戮のお陰で在り続けるのだ…〟。その男は、死ぬまでその言葉を言い続けていた。


「無防備の臆病」

この無防備の世の中に居て、安心さはどれくらい?暇な連中、持って生まれた悪い連中、それを止めるのは誰か。神様か、人間か。〝光か暗きか、正義か悪か。どちらにか就くべき我が身〟、あの人はどちら?この人はどちら?僕が何をしたと言うのだ。無防備でこの世に生まれて、僕の持って生まれたものは臆病。多かれ少なかれ厄介なものだ。この世の汚れの中に僕が浸っている時、心の中には僕という人気(ひとけ)がまったく無いのだ。


…明かりを点けてくれないか。


「最近長らく手紙出してないなぁ。」


「7月13~14日」

明日のテスト、ちょっと辛いな。2つもあるんだもの。また電車の中で覚えて行かなきゃいけない。明日は山本はテストが無いから僕一人か。ゲームしに行くのも、一人じゃしょぼくれちゃうなぁ。(笑)そういやあいつらとは一緒だったな。3人来るのかねぇ、いつも来てないのが1人居たけれど、明日は来るだろうか。ま、何はともあれ、早く寝てしまおう。明日は遅いけど、一応テストだ。頭を冴えさせとかなきゃ。あ、いま蚊一匹捕まえた。(AM2時14分)


「孤独破戒」

楽しいな、楽しいな、今は一人だけど、一人でベッドの上で世間から隠れてこのノートに思ったこと書きなぐってるんだ。誰にも見付からない。誰からも文句を言われない。僕一人の世界だ。クーラー点けて、部屋の灯(あかり)は消して、ベッドの灯だけ点ける。これだけで充分。楽しく白紙に字は書けるさ。ルーズに生きたいものだ、ルーズなりにも〝きちっ〟とした生活。人間いつかは消えてなくなる。この地上はそれまでの舞台だ。ただ神が居る、っていうのが誰かれ少しは気がかりなもので。それでもたった一度きりの人生。自分だけのものだ。消えてなくなるまで、あいつと共に生きよう。


悪を見てしまうと、自分の中の悪が出て来る。その先に破滅が在る事くらいは分かる。限度を超えると何でも良くないのだ。でも人間(ひと)は欲故に競い合う。自分の存在が勝たねば中々気が済まないのだ。女は男と違ってこの世を楽しめるように化粧品と服が揃っているから存在等に拘る事は必要ない。だが、〝中身だ〟と言っている男は、その存在の意味に拘るのだ。中には例外が沢山居る(今の時代)。何か刺激ある物を見ると、その向上欲を煽り立てられれば、それ以上の自分の存在を欲しがるもの。例えば僕がそれだ。そして僕は人間である。


今日は何の夢を見ようかな。あの子の夢でも…。皆知らないから(笑)AM2時28分、7月13日


〝現実は、言う程奇麗ではないんです。〟

人間は欲望。その人間が数え切れないくらい居るこの世の中。奇麗な訳がない。


そこに、男と女の違いなど無い、欲望は強過ぎる。

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10代から20代の時に書いた詩(20) 天川裕司 @tenkawayuji

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