キズナヴラッド 七番プラットフォームの異世界交渉士

学倉十吾

プロローグ

【異世界交渉士】 いせかいこうしょうし

 現世界に迷いこんだ異世界転生者と接触し、交渉による紛争回避と彼らの保護を職務とする者。交渉士の資格を有し、転生者保護局に所属する者だけがその活動を認められる。

 ▽さらに「『異世界転生者』いせかいてんせいしゃ」の意味を調べる



『――急いでタクトくん、いまここで屋内に逃げ込まれたらこっちが不利になるわ!』


 そう急かす音声通話が、麻痺しかけていたおれの意識を呼び戻してくれた。

 靴底がコンクリートの地面をひた鳴らす音が聞こえる。息が切れそうになっている自分のものと、遠鳴りする誰かのもの。

 見渡す限りの景観は、風化を重ね薄汚れた旧市街区ばかり。せめぎ合う廃ビル群を走り抜ける間も、頭上で場違いみたいに映えてる群青だけは果てがない。

 そんな青さを無粋に遮る四本の人工支脚レグが、途方もなく巨大な影を落としている。支脚コイツなしには成立しない世界で暮らしているのはわかっていても、これほどのデカさを目の当たりにする度にスケール感がずれて、この追跡劇の決着がいつつくのかわからなくなりそうになった。


「――すみません、カザネさん。こっちはいま予定ポイントを通過しました。まだ状況に変化なし。ターゲットってどのへんなんすか?」


『ちょうどタクトくんの方に向かってるはずよ。ただ、ちょっとねぇ……あの子が追っかけるときに無茶しちゃってぇ……』


 カザネさん、回線越しでも苦笑いを隠せてないし。なんでってば毎回毎回、お約束みたいに力加減を誤っちまうんだ。こっちも舌打ちは堪えたけど、ウンザリ声が出てしまって。


「チッ――あんま無茶やらかしてくれると、ターゲットとの交渉がややこしくなんのにさ」


『こらぁタッくん、乱暴な言葉づかい、お仕事中はNGなんだからぁ!』


「いや、わかってんすけど……だったらその〝タッくん〟てのもさ――」


 そういえば舌打ちを堪えられてなかったし。仕事モードだったカザネさんが小さいころの呼び方をしてくるものだから、こっちの緊張感までゆるふわ思考に引きずられてしまう。

 おれの網膜下端末インプラント・アイリスに投影されている周辺地図によれば、ここは旧市街区の目抜き通り付近だ。

 洋上に浮かぶおれ達の町は、その構造上たいした面積じゃない。追跡中のターゲットがどこへ逃げようと、必ず行き当たりはあるということ。

 人の気配の失せた廃ビル群を、吹き渡る海風が震わせている。視界を埋め尽くすものは、ひび割れた舗装路とうずたかい墓標。立ち止まり、なけなしの唾を枯れた喉へと飲み下す。

 どん――と何かが爆発したかのような轟音に、いっきに跳ね上がる心拍。本能的に振り返れば、道路脇に設置されていた補給物資用コンテナがあり得ない高さまで吹き飛んでいた。

 ひしゃげて宙を舞う二〇フィート・コンテナ。ビルの外壁にぶち当たって四散し、内包物と瓦礫の入りまじった雨をあたり一面に降り注がせる。

 跳ね上がる鼓動を整える暇もなく、舞い上がる粉塵の中から〝彼ら〟が飛びだしてきた。

 彼ら――つまりこっちに躍り出てきた複数の人影が、おれの目にはこう認識できた。

 一人目は、剣と魔法の異世界を旅する冒険者風だった。十七歳のおれと五つも離れていないだろうこの青年が、カートゥーンみたいな大股開きで向かってくる。装備品は盾だけで、喉を張り上げさせて何か叫んでいるが、おれ達のものとは異なる言語なのは間違いない。

 そして躍り出てきた二人目は、冒険者氏よりもうんと小柄な――現世界ではゴブリンとかコボルトあたりに識別される半妖精族だった。土色の肌に、短い脚と長細い腕という不均衡さ。そんな体躯に比べて大きな頭から突き出た鷲鼻が特徴的だ。


「でさ、カザネさん……聞いてたのと状況違うんすけど。たしか同時に二名が転生、って。今回の交渉ターゲット、仲間同士じゃなかったんすか?」


 冒険者と魔物が雁首並べ、必死の形相で並走しているこの状況が根本的におかしいわけで。


『はわわ、ごめんねぇ、状況更新し忘れ。今回のターゲットである異世界転生者は、合計で四名が確認されてまぁす。そのひと達、揉め事の途中で〝こっち〟に来ちゃったみたいなの。うち二名はお姉ちゃんが追跡中だから、残り二名はタッくん達でよろしくぅ』


「は――――――?」


 仕事中に〝お姉ちゃん〟はよせと注意してやる余裕なんてなく、全力疾走してくる二名の異世界転生者。まだおれに気付いていないのか、背後の追っ手だけを警戒している様子だ。

 ゴブリン氏は炭坑夫みたいな兜が脱げないよう押さえつけながら、冒険者氏に負けじと駆ける。みるみる冒険者氏へと肉薄していき、怒濤の瞬発力で追い抜くと――

 ――振り返りざまにゴブリン氏が、奇襲めいた一撃を冒険者氏にお見舞いした。

 ゴブリン氏のメイスを円盾で受け損ない、「ぐわぁ」みたいな呻き声を残して歩道側へと転げてしまう冒険者氏。

 そのまま奇声を上げ追い打ちしようとしたゴブリン氏の足が止まる。まだ彼らの背後を漂っていた粉塵から、怒濤の土煙を上げ三人目が躍り出てきたからだ。

 現れた三人目の乱入者は、場違いなほどに鮮烈な真紅の甲冑をまとう、剣と魔法の異世界から飛びだしてきたとしか説明できない女騎士だった。しかも、おれのよく見知った顔。


「ふははははッ――此度の〝新入り〟どもは存外に手ぬるいなぁッ!」


 おれと同世代の女子のものとは思えない啖呵が、廃都市を震撼させる。


『おお、そこにいたかタクト殿。なるほどカザネのやつめ、挟み打ち戦法で獲物を仕留める算段だったとは見事なり!』


「見事なり、じゃねえっての! フラウリッカはまず落ちつけ。これ挟み打ちじゃねえし、この人たちも獲物じゃねえからな。……まじで討ち取っちまったら駄目だかんな?」


 忠告したそばから擦れるような金属音を鳴らせ、意気揚々と騎士剣を抜き放ってくれるストロベリーブロンドの女騎士――フラウリッカ・アイオローグ。彼女も同じ異世界転生者なんだけど、おれの職場の先輩である灰澤カザネの〈エスコート〉。異世界交渉士とツーマンセルで交渉現場に挑む身辺警護者。要するに心強い味方だ。

 でも忘れちゃいけない。彼女みたいな異世界転生者は、そもそも現世界とは異なる価値観の社会で生きてきたって現実を。

 たとえばフラウリッカの綺麗な顔には、目立つ大きな傷がある。左眼を斜めに切り裂くあの爪痕を見るたびに、おれには想像もつかない戦場で生きてきたんだって思い知らされる。


『おおとも、ここで新入りどもの退路を塞いでいてやろう。タクト殿が交渉に失敗しても、この私が一撃のもとに屠ってくれようぞ――アイオローグ家の威信、そして我が剣と騎士の誇りにかけて』


「だからフラウは何でも剣で解決しようとすんなってば! 交渉が余計にややこしくなる!」


 通信回線をまたいで、ちっとも理解していなさそうな騎士殿に釘を刺しておく。

 それよりも挟み打ちに追いこんだ異世界転生者達だ。

 ウエストポーチに手を伸ばし、取り出した円盤状の物体を宙に放り投げる。直径二〇センチ大のそれからすぐに四対のローターが展開すると、高周波の羽音を立てターゲット達の頭上で滞空を開始する。

 ドローン型端末――通称アイ・ドローンと名付けたおれカスタムのオリジナルモデルで、異世界交渉士として交渉現場を制するためになくてはならない仕事道具だったりする。

 網膜に埋め込んである網膜下端末からの遠隔操作で、アイ・ドローン内蔵スピーカーを介しておれの肉声が放たれる――異世界語に自動翻訳されて。


『私は異世界交渉士・藤見ふじみタクトです。あなたがたと敵対する意思はありません』


 これがおれ達〈異世界交渉士〉の、お決まりの口上だった。両手を大仰に広げ、言葉に偽りがないことをアピールする。

 けれどもあちらさんとしちゃ、突如現れた未確認飛行物体なわけ。しかもそれが言葉を話し始めたとくれば、冒険者氏もゴブリン氏も混乱するしかない。


『私達の望みは、対話により紛争を避け、あなたがた二名を安全に保護することです。私の言葉が通じていますか?』


 AIによる自動翻訳は、フラウリッカの出身世界であるニルヴァータ世界の言語がデフォルトだ。だからもし彼らがニルヴァータ以外から転生してきたのであれば、AIに新しい言語の学習と解釈を仰ぐ必要がある。


 ――さあ、頼むから通じていてくれよ。せめて何か言葉を発して言語解析のヒントをくれ。


 そう祈り、彼ら異世界転生者へとあゆみ寄る。慎重に、対話の場を不意にしないように。


『私の言葉が通じていたら、どうか返事をください――』


 アイ・ドローンのスピーカーから吐きだされるおれの再現音声。発音はぎこちないけど、実はこいつに合成してあるのはある種の沈静効果。こっちを警戒するしかない異世界転生者を落ちつかせる〝言霊エフェクト〟で、交渉を有利に運ぶのがおれスタイルってわけ。


『私たちは平和的な解決を求めます。どうか武器を納めていただけませんか――』


 向こう側で堂々と立ちふさがるフラウリッカが、両指で口角を吊り上げる仕草を送ってきているのに気付いた。無邪気さがおれに刺さる。強ばった笑顔を見透かされてるってことかよ。

 と、最初に応じてくれたのは、意外なことにゴブリン氏の方だった。地べたでうずくまったままの冒険者氏を尻目に、こっちにメイスを突き付け金切り声を上げる。


『宇宙・弁当・(翻訳不能)・あばば・念じろ・絶好調の猥談事件! ……意外と丸い』


「はは…………これ一応コトダマ効果、出てんのかな。誤訳ひっでえけど」


 考えてみればゴブリン語なんて、翻訳データベースにあるはずもなく。


『――わかった! あなたの話を聞くよ、見知らぬ異国の魔術士殿。でも、その前にそこのゴブリンをなんとかしてもらえないだろうか。あちらの騎士殿が聞く耳を持ってくれないお陰で、僕は丸腰になってしまったんだ』


 だ、こっちはニルヴァータ語。言葉が通じるなら、対話の距離がグッと縮まる。


『彼女の非礼についてはお詫びしたい。ですが、そちらのゴブリンの方も保護の対象です』


 ところが言い回しをマズった。コトダマ効果まで帳消しにしてしまったらしく、表情をみるみる険しくする冒険者。拳を固く握りしめ、負った傷を庇いながら必死で立ち上がってくる。


『……冗談じゃない。僕は仲間を失ったんだぞ! 大切な人だった。そいつが彼女を奪ったのだとしたら、魔術士殿がどう言おうと僕は絶対に許すわけにはいかない!!』


 さっきまでのコミカルな追いかけっこが嘘みたいな気迫に、思わずたじろいでしまった。


『これが私達のルールです。私達の世界を訪れた方々は、分け隔てなく受け入れ、保護する義務があります』


『それがこんな人殺しの魔物相手であってもか! 僕達はこいつらから町を守るために戦ってきたというのに!』


 人殺し、魔物。おれ達には想像も付かない、空想じみた他人事のように聞こえてしまう。

 けれども真っ向から受け止めなくちゃ、おれ達と彼らに対話なんて成立するはずがない。

 彼ら異世界転生者は、虚構世界の住人なんかじゃない。この世界じゃないどこかでおれ達と別の人生を歩んできただけの、等しく同じ存在なのだから。

 おれ自身だって、レンズ越しに見てきた。紛争を逃れてきた難民。貧困に喘ぎ、救いを求める下層市民。災厄に日常を奪われた人びとの苦難。

 想像しろ。おれはこの青年の物語を知らない。だからこそ想像しろ。わかり合う糸口を掴め。


『――わかりました。私があなたを守ります! あなたがたの事情をこれから時間をかけて聞きましょう。とにかく、今この場で争い合わなくてなくても大丈夫なんです!』


 だから、頼むからおれの願いをわかってくれよ。


『……もう沢山だ! 一体ここはどこなんだ? 僕達は魔物討伐の途中だったはずだ。仲間達はどこに消えてしまった? ……これ以上、僕から何を奪おうというんだ……』


 彼がパニックに陥っているのは明らかだ。興奮状態が言霊エフェクトの効果を上回ってしまってる。とにかく今は彼を落ち着かせないと。


『……お願いだ、とにかく僕を元の場所に帰してくれ。あなたにもルールがあるというのなら、あなたにだって正義はあるのだろう? だったら正義を果たしてくれ!』


 なのに拙いキーワードが聞こえてきたせいで、事態の悪化が確実になってしまって。


『ほお……正義。貴君、確かにいま確かに〝正義〟と申したな?』


 案の定、交渉の場へとしゃしゃり出てきたのは、外野に徹してくれているはずだったフラウリッカだ。それも、今回ばかりは流暢なニルヴァータ語で。


『よかろう。では、アラウテラ難民騎士団の団長にしてアイオローグ家当代、このフラウリッカ・アイオローグが、真の正義について貴君らの胸に問うてみようか――』


 そんな宣言とともに抜き放たれた騎士剣。それも、異世界交渉士に支給される非殺傷系のアイ・アームズなどではない。彼女のアレは、異世界から持ちこんできたマジものの真剣だ。


「やめろフラウ。マジやめとけって……」


 ああなったフラウはもはや制御不能。話術しか武器のない現世界人のおれごときに、人の姿をした殺戮兵器に等しいフラウリッカ・アイオローグを止める術はない。

 ぶん――と大気が唸る。風精霊の加護を得て、物理法則を無視した跳躍。直後に届く金属音と地鳴り。あんな甲冑姿で人間離れした運動能力を発揮できる異世界騎士が、コンマ秒の速さでターゲットへと間合いを詰めた。

 そう認識できた時には、騎士剣がゴブリンのメイスを寸断していた。そのまま剣戟の風圧で押し飛ばされたゴブリンが、廃ビルの窓ガラスをぶち抜き視界から消えていく。


『さあ、貴君も剣を手に取るがいい。そして己が正義を我が前に示して見せよ』


 フラウリッカが青く凍てつく瞳で足もとの冒険者氏を射貫くと、彼のものらしい両刃剣を股の間に突き立てる。その冷徹な声色を向けられれば、脅しではないことを理解できたはずだ。


『このフラウリッカ・アイオローグはかつてニルヴァータ辺境地にて、難民騎士団に名を連ねた騎士の端くれぞ。今や仕える王はなく、我らは国境を越えあらゆる弱者へと手を差し伸べる。正義の名の下に弱者を踏みにじるものそこにあらば、我が正義で応じるまで!』


 言ってることは綺麗事に聞こえても、彼女にはそれをやり遂げる力がある。けれども、そんな異世界ジャスティスを持ち込んで解決できる状況じゃないって、理解する頭もなかった。

 喉をわななかせたまま立ち上がれなくなった冒険者氏。揺るぎないフラウの視線を受け止めきれず、自分の剣を手に取るのを躊躇っているのは明らかで。

 腹の奥から頭の先まで、いっきに熱くなってきて。どうにかしなくちゃっていう衝動が、おれに言わせたんだと思う。


『――――やめるんだフラウリッカ・アイオローグ。君の剣は正しさを証明するためのものじゃない。おれは君を間違わせないっ!』


 咄嗟に叫んでしまっていた。赤面上等な青臭い台詞も、交渉を達成できるならば。


「…………た……クト、さん…………? 私の剣が……しょ……そう……でしたよね……」


 アイ・ドローンから発声したおかげで事態が好転した。コトダマ効果をダイレクトに食らったフラウは、なんだかうっとりとした表情のままフリーズしてしまっていて。


『――――マグル――――――――――――ッ!!』


 ここで突然女の子の声が聞こえて、誰かの名を呼びながら、逸るような足音が近付いてくる。

 ふいを突かれてしまったらしいフラウが剣先を引っ込めると、そんなものものともせず割って入ってきた見知らぬ女の子が、冒険者氏の首根っこに抱き付いていた。


『……そんな、信じられないよファラミィ……また会えるだなんて……』


『やっぱりマグル無事だった! 本当によかった。私ね、心配してたの。マグル途中で消えていなくなっちゃうし、あのやたらと強くて変てこな女達に襲われてないかって』


 傷を確かめようと頬をなで回す、冒険者氏の連れ合いらしい異世界の女子。感動的な再会の場面だ。すぐに互いの無事を確認し、抱きしめ合う二人。

 ただ、冒険者氏の肩越しに、女の子がしたたかに睨みつけていたのはフラウだ。フラウはフラウで騎士としての信念がすっ飛んだ顔に戻ってしまい、女の子の眼光にちょっと怯え気味。


「はぁ、間に合ってくれてホッとしたよカザ姉。おれじゃフラウを止めらんないし、どうなっちまうのかと冷や汗もんだった」


 女の子を伴って合流してきた、黒ずくめのスーツ姿の女性――彼女が灰澤はいざわカザネさん。変てこ女呼ばわりには不服そうだけど、場を収めるためにこの子を連れてきてくれたみたい。


「タッくんが頑張って堪えてくれたもの。とりあえず一件落着かな。フラウも落ち着いてね? 本部に戻ったらお説教タイム」


 思いがけない再会に感激を分かち合ったままの冒険者達。そんな仲睦まじいふたりの姿に、フラウリッカの内にたぎっていた気勢もどこかへと掻き消えてしまったようだ。


「それは…………う、うん、面目ない……です。私、カザネっちにまた恥かかせちった……」


 フラウは砕けた現世界言葉で、パートナーのカザネさんに反省の弁を述べる。お説教と言いながらいつものにこやかな表情をくずさないカザネさんが、逆にちょっと怖かった。


「――ええ、保護完了したのは三名。うちが一名。あ……はは、その、またフラウが強すぎちゃって。……ええ、そうなの、ホントごめんねっ。ポイントF7のコンテナは責任を持って復活させますってぇ。ボスにもよろしく。ひとまず現場、撤収しますね――」


 本部に状況報告するカザネさん。そういや補給物資用コンテナを破壊してくれた正義の騎士サマって誰リッカだっけ? ――なんて他人事みたいに眺めていて、ふと湧き起こった違和感。

 現場中継役ドローンが付近ビル屋上から離陸したのが見えて、急に思い出した。


「あの、ところでさ、カザネさん……」



「ん~、なあにタッくん? お仕事は終わったんだからぁ、いつもみたいに〝カザ姉〟って呼んでくれていいのよぉ?」


 人さし指を立ててウィンク。ほんわかと緩いカザネさんに気勢を削がれてしまったけど、


「……確か、さ。途中の通信で、カザ姉、なんか気になることを言ってた、ような」


 海風のどこか気味の悪い共鳴音に耳をふさぎ、周囲を見渡す。冒険者達はまだ抱き合ったままだ。フラウリッカが伸びたゴブリン氏を引きずり出して連れてきている。もうここでやり残したことなんてないはずだけど――。


「音声検索ワード、〝ターゲット〟で」


『――――今回のターゲットである異世界転生者は、合計で四名が確認されてまぁす』


 端末から検索して行き着いたのが、そんなカザ姉との音声ログ。それを聞いたのと同時に、奇妙な視線を感じた気がして。

 本能的に振り返ったおれは、どうしてなのか上方に目を引き付けられていた。

 ――そこで、視線が合った。

 旧市街区に建ち並ぶ廃ビル群。入植者の人口調整によって、過去に廃棄された都市区画。

 視線を向けた先――背の低い雑居ビルの屋上に、おれが視認したのは人影だ。

 ここからでは見えるはずがないのに、気付いたおれを〝彼女〟が嘲笑った。品定めするように見すえてくる、ゾッとするような真紅のまなざし。意識に直接触れられた心地がした。

 陽光にきらめき、海風にたゆたう髪。逆光にシルエットが長い尾を引いて、そのまま〝彼女〟はおれの視界から立ち去っていく。どうしてアレが女性――それもおれとさほど変わらない年ごろの女子だって認識できたのかもわからない。

 ――いや、違う。おれはあんなひとを……前にどこかで見かけたんじゃないのか。

 この既視感がなんなのかはわからない。例えばおれと接点のある異世界転生者だったとして、こんな立ち入り禁止区域に侵入した理由は何だ。


「――おぉ、そうじゃん、あれ、あれよぉ。忘れてたといえば、四人目の転生者の話ぃ」


 そこで拍子抜けしたカザネさんの声が飛びこんできて、緊迫の糸ごと断ち切ってくれる。今さら思い出したように手のひらをぽんと合わせて、


「超すばしっこくて、すぐショッピングモールに逃げこまれちゃったのぉ。どんなタイプの転生者なのか全然わかんなくて。でも女の子だったのは確かなのよ。フラウは見てなぁい?」


 それにフラウリッカは首を横に振って応えると、カザネさんは


「ああ、やっぱ取り逃がしちゃったってことだよねぇ……くっそー、局長に報告するのヤだなぁ……」


とうなだれてしまう。

 もう一度、さっきの廃ビルを仰ぎ見る。あの紅い瞳の少女は、本来この都市にいるはずがない何ものかなんだって、本能がわけもない警鐘を鳴らしてくる。

 本部から帰投指示を受けた後も、おれはいつもの日常に戻れた気がしないままだった。

 今回の交渉現場において、おれ達交渉士は三名の異世界転生者を保護。残る一名はその正体すら把握できないまま、旧市街区で行方を見失う結果となった。

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