1-2 遭難、女魔術師との出会い

 しばらく呆然としていたが、俺は気を取り直して歩き始めることにした。たしかに俺は勇者ブレイブにパーティーを追放された。しかし、大聖女プリーストフィリスと生還を誓ったのだ。彼女との約束を破るわけにはいかない。


 さて、まずは状況の整理だ。


 現在、パーティーメンバーは俺1人。聖職者なので戦闘には向かない。MP切れのため、回復魔法も使えない。ただし、HPは満タンだから、一般人男性程度の行動はできる。


 所持アイテムは、MP回復薬のみ。ほかには、松明、装備品だけだ。装備品は、身の丈ほどの聖木の杖とゆったりとした術師服で、どちらも戦闘には適さない。


 あとは、周りの状況だ。


 ここはダンジョンの第5層迷いの洞窟だ。モンスターたちが掘った穴が複雑に繋がり、地図がなければ奥に進めない。ただし、俺の場合は帰るだけなので、現在位置さえ見失わなければ迷うことはない。


 あとは、モンスターが厄介だ。第5層はこのダンジョンの開放エリアの中では最も深層だ。当然、モンスターのレベルも高い。今の俺が先制攻撃を受ければ一撃死するだろう。となれば、索敵と回避が必須だ。


「クソゲーだな……。とにかく、迷わないことと、エンカウント回避に専念しよう」


 俺は深い溜め息をついた。だが、帰れるかはさておき、やることははっきりしてきた。無事帰還することをフィリスと約束したんだ。がんばれ、俺。


「現在位置よし。マッピングは……出来ないから仕方ないか」


 勇者パーティーでは、マッピング魔法は大魔導メイジメイメイの仕事だった。しかし、彼女が加入するまでは、俺が手書きで地図を作っていた。今回俺が地図を暗記していたのは、その時の癖が残っていたからだ。

 

「周囲にモンスターの姿はなし、と」


 索敵は暗殺者アサシンシンの仕事だった。しかし、彼が加入するまでは、俺が目視で確認をしていた。ずいぶん昔の事だが、感覚はまだ失われていない。

 

「同じ場所にとどまりすぎたな。早く移動しないと、モンスターに匂いを嗅ぎつけられてしまう」


 洞窟はしばらく一本道だ。つまり、風上と風下の2方向しかない。もし風下のモンスターに匂いを嗅ぎつけられてしまえば、必ず居場所を特定されてしまうのだ。


「風向きは……、だめだ、帰り道は風下だ」


 それもそのはず、勇者パーティーは敵を回避するために風上に向かって進軍して来たのだ。来た道を帰るということは、風下に向かって帰るということになる。


「このまま進むと、風下のモンスターと鉢合わせだ。……仕方ない、迂回路を探そう」


 俺はブレイブたちが選んだ道とは逆方向に歩き出した。出口までの距離は長くなってしまうが仕方がない。俺はあいつらとは違って、エンカウントしたら一巻の終わりなのだ。



 *



「ん? 何だ、この匂いは?」


 しばらく歩いていると、風に乗って獣の匂いが流れてきた。風上……つまり、進行方向にモンスターが居るということだ。


「まさか、俺の方がモンスターを嗅ぎつけるなんてな……」


 冗談を言いつつ、俺は緊張した。ついさっきまでなら、先制攻撃のチャンスを喜んでいただろう。しかし、一人になった今ではむしろピンチだ。聖職者の俺は、何としても戦闘を回避しなければならない。


「一本道だから迂回は無理か。なら、モンスターが立ち去るのを待つか。敵の進行方向は……?」


 もし風上からこちらに近づいているなら、すぐに来た道を引き返さなければならない。風向きのセオリーを無視できるやつは、風下の雑魚を警戒する必要のない強者ということだからだ。


「向こうの様子が見えないのは、道が曲がっているからか。よかった、もし直線だったら、松明の光が丸見えだった」

 

 視覚が使えないならと、洞窟の奥に向かって耳を澄ます。……甲高い鳴き声が1つだけ聞こえるが、弱々しい。泣いているようにも聞こえることから、モンスターは相当弱っているようだ。


「負傷したモンスターが居るのか。足音は……?」


 今度は、床に耳を当てる。音は気体よりも固体の方が伝わりやすいはずだ。しかし、床からは何も聞こえなかった。


「足音はない、か。縄張り争いに負けたのか?」


 もう戦闘は終わっているようで、勝ったモンスターはそこにはいなさそうだ。恐らく、負傷したモンスターは動けなくなっているのだ。


「なら、相手が立ち去るのを待ってられないな。走れば通り抜けられるか……?」


 モンスターの横を走り抜けるのは大きなリスクだ。しかし、来た道を戻るのも同じくリスクだ。賭けるなら、少しでも情報の多い方に賭けたい。


「神のご加護を……。いくぞっ!」


 俺は覚悟を決めて飛び出した。緩やかなカーブを抜けると、少し開けた空間に出る。走りながら松明の明かりであたりを照らすと……。


「いた、ケイブバットだ!」


 獣臭の源はコウモリ型のモンスターだった。2メートルほどの巨大を地面に横たえ、警戒するようにこちらを睨んでいる。やつは松明の明かりでもわかるくらい重症を負っている。


 ケイブバットの警戒すべき点は、上空からの急襲だ。こいつは普段は天井にぶら下がって身を隠し、下を通る獲物を襲う。一方で、地上のケイブバットには、奇襲ができるほどの機動力はない。


「よし、このまま走って……」


 俺はさらにあたりを見回し、進むべき道を探した。焦るな、俺。しかし、いつモンスターが飛びかかってくるかわからないのだ……。


 その時。


「「……!」」


 何かと目が合った。あれはモンスターではない。ケイブバットの鉤爪に囚われた、ボロ布のような小さな……人間?!


「な、何でこんなところに人が……?」


 壮絶な光景に、一瞬立ち止まってしまう俺。その隙を、モンスターが見逃すはずがなかった。


 四肢をよじり、ケイブバットが俺に突進してきた!


「しまった! どうする、回避できるか?!」


 とっさに体をよじるが、さすがに完全にはかわしきれない。鉤爪の一本に盾代わりの杖が折られ、俺の右目が深くえぐられる……!


「ぐっ、ああああああああっ!」

 

 俺の悲鳴と同時に、後方で凄まじい轟音が響く。見ると、石柱に激突したケイブバットが目を回しているようだった。もし直撃していたら、戦士職でも致命傷だったに違いない。そんな攻撃で受けたダメージが片目程度なら安いものだ。すぐに回復魔法をかければ元通りになる。


「痛っ……でもチャンスだ! 逃げるか? いや、あの人を助けないと……」


 俺は狭い視界でさっきのけが人を探す。……いた! 突進の時に鉤爪が外れたらしく、床に投げ出されていた。


「大丈夫か? 生きてるか?!」

「……っ、……っ」

「よかった、まだ息はある!」


 術士服を装備しているから魔術師だろうか。こんな高難易度ダンジョンにいるのだから、相当手練れに違いない。自力で立ち上がれないようなので、駆け寄って抱き起こしてやる。すると、俺の手に柔らかい感触があった。


 魔術師は、か弱い少女だった……!


「どうしてこんな女の子が……」


 長い黒髪から覗く顔立ちはまだ幼く、俺よりも少し年下に見える。服の上からでもわかる女性らしい体つきに反して、手首は枝のように細い。わずかに開く翡翠色の瞳は、ぼんやりと俺を見つめていた。


 さらに驚いたのは、怪我の様子だ。肌に血の気はまったくない。ふくよかな胸元は深くえぐられ、鮮血が滴り落ちている。


 とっさによぎったのは保身だ。これほど重症の女魔術師を連れて、モンスターから逃げることができるのか。そもそもこの女を助けて何の得があるのか……。


 そして、俺のそんな考えを見透かしたかのように、女魔術師が予想外の言葉を口にした。

 

「だめです……私を……助けないで……」



 *


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