物の怪のための物語
小日向葵
物の怪のための物語
「あー暑い。溶けちゃいそうね」
「暑いって言わないでよ、余計暑く感じるから」
真夏は夜でも暑い。冷凍庫の中のアイスが全滅していることに気付いてしまった私は、止せばいいのに夜のコンビニに買い出しへと来てしまったのである。
「いっぱい買ったね明日香」
「誰かさんがぱくぱく食べるからよ」
隣にはだらしない表情で『平成二年町内盆踊り大会』と印刷された古いうちわを扇ぐ美也子がいる。彼女は私と同居している女性で……まあつまり恋人だ。頭にはこの間友人からもらったという、ねこみみのついたカチューシャを載せている。
「帰るまでに溶けちゃうかな?」
「それはないと思うけど。これ一応フリーザーバッグだし」
私は右手の、ずしりと重いバッグを少し高く持ち上げる。中身は二人で選んだ各種アイス類、約千五百円分。
「ほらほら、ねこみみ可愛いでしょ?」
「店員さん笑ってたよ。家で待っててって言ったのに」
「いいじゃないの、夜のにゃんにゃんデートだよ」
「くっつかないで暑いから」
そんな感じで家へと歩いていると、前方に何やら立ち塞がる気配がある。小山のような影。明らかに、人間のものではない。
「見つけたぞ」
それは、生臭い息を吐きながら……しゃがれた声で言った。地獄の底から響くような、深く恨みを込めた声。背筋がぞっとした。
「人間め、最早許すわけにはいかん!!」
周囲の空気が変わる。いや、風景までもが変わって行く。なんだこれ?まるで映画やゲームの中みたいに。景色がうねって変わって行く。
「なによこれ……」
美也子の右手にあるスマホもうまく動作していないようだ。たぶん動画か写真を撮ろうとしたんだろうけど……私は彼女を庇うように、その小山と対峙する。
「忌々しい人の女め!死ね!」
どう、とそいつが地面を突いた。どどどど、と地響きがして地面が割れる。割れ目はそいつの足元から、こちらに向かって走ってくる。
「避けて!」
私は美也子を抱いて横に飛ぶ。さっきまでアスファルトの道路だったはずの地面は、今はじっとりと湿る土になっている。周囲の様相も一変し、市街地ではなく枯れ木の転がる荒れ地になっていた。地面の割れ目は、私の落としたフリーザーバッグを飲み込んで閉じて行く。
「あっ、アイスたちが」
「それどころじゃ」
「ちいっ避けたか!だが逃がさん!」
ガッ!
そいつがもう一撃を地面に加えようとした瞬間、私の体の下から石礫が飛んだ。美也子が、地面の小石を拾って投げたのだ。大学のソフトボール部で鍛えている美也子のスナップだから、相当な衝撃だろう。
「いてててて、ガチで石投げた!?」
私以上にそいつは驚き、慌てふためく。ゆっくりと私の体の下から這い出た美也子は、軽く首を振りながら右手の中の小石二つを、まるで胡桃のように弄ぶ。。
「待て、なぜお前が人間を庇う!?やはり誑かされているのか!?」
「は?あんた誰?何言ってんの?」
「そんな、どうしてだ!物の怪としての誇りは捨てたというのか!?」
「物の怪?何の話?」
私は立ち上がって、そいつをよく見てみた。暗い中で今一つ良くは見えないけれど、それは巨大な動物のようにも見える。
「お前は猫又ではないのか?その耳、その毛色、化け猫の一族ではないのか?」
「あたしは人間だよ」
「へ?しかしその耳は、猫又のものではないのか?」
「これ?これはねこみみカチューシャよ」
美也子はねこみみを外して見せた。するとそいつは少しの間の後に、おんおんと泣き出した。体もどんどん縮んで行き、ついに大型犬サイズくらいまでになる。周囲の様子も元に戻っていき、またあの熱いアスファルトの路面が帰って来た。無理に帰ってこなくてもいいのに。
「あなたひょっとして、化け狸か何か?」
私は、地面に転がっていたフリーザーバッグを回収しながら聞いてみた。どうもあの地面の割れ目は幻覚だったらしい。
「ううう、その通りだ人間。儂はここより数百里西に住む古狸よ」
「その古狸が、どうして人を襲うの?」
「それには深い訳が」
「ねえ明日香、暑いからアイス食べたい」
美也子が豪快に話の腰を折る。ああ確かに、一気に暑さが戻ってきた感じがする。熱気を含んだ湿気がじっとりと体を包む、本当に嫌な感覚。
「そこに公園があるから寄ってこうか」
私と美也子は古狸を連れて薄暗い夜の公園に入り、ブランコに座る。フリーザーバッグからお目当てのチョコモナカを取り出して、喜色満面で食べ始める美也子を横目に、私は古狸に話しかけた。
「さて。深い訳とやらを聞かせてもらいましょうか」
「はい。実は我々物の怪の世界は、今は深刻な少子化に悩まされているのです」
「少子化」
「それというのも、人間と物の怪が結ばれるという物語が世に氾濫しているからです。しかも男女のみならず、男同士や女同士のものまで」
物の怪相手ではないけれど、美也子と恋人付き合いしている私にはちょっと耳が痛い話なのかも知れない。
「実際に、物の怪と人が結ばれるなどということはほぼあり得ないのですが、若い娘などは影響されて人間に憧れ、また若い男も人間に夢を見て、共に同族を拒む者が増えるありさま。このままでは物の怪の世界は先細り、いつしか絶えてしまうでしょう。そこで、実際に物の怪と同衾している人間を見つけ、不幸にすることで同胞たちに警鐘を鳴らすべく……」
「それで、あたしの耳を見て同族だと思ったってことね」
ぱりぱりと音を立ててモナカの皮をかじる美也子。
「その通りです」
「でもちょっと安直過ぎない?」
私の言葉に、古狸はわなわなとその口を震わせる。
「物の怪が人の物語に憧れるということ自体は、昔からありました。それでも人間と物の怪が互いに栄えていたのは、人間がまだ自然に近く闇を恐れる生活をしていたからなのです」
「闇を恐れる?」
「人が自然と共にあった時代には、人はその想像力で闇の中から様々な物の怪を生み出したものでした。そちらの供給も少なくなり、このままでは我々にはもう未来がないのです」
「ふうむ」
なんとなく言っていることは判るような気もするね。でも。
「だけどさ、それで人間襲って何か解決するの?」
「いえ、解決しません」
私と美也子はずっこけた。
「いやいやいやいや、解決しないんなら人間は襲われ損じゃん」
「ええ、ええ、最もです。私の本当の狙い、つまり本題はここからなのです」
古狸は私の前に土下座した。いや元々四つ足で歩いているのだから、犬で言うお座りから伏せに体勢が変わっただけかも知れない。そしてどこから出したのか、謎のノートにペンを添えてすっ、と差し出す。
「ここに呪法の筆と帳面があります」
「呪法」
「その筆で、この帳面へと人の手で物語を記して頂きたいのです」
「物語」
「はい。簡単なもので構いません。我々物の怪と、此の世ならざる者が出会う物語を」
なんだか変な話になってきたな。横を見ると、美也子がもうモナカアイスの半分ほどを食べ終えるところだった。
「それって今すぐ?」
「はい。それと、そのう」
古狸はまた何かを懐から取り出した。名刺サイズのカードだ。これは……あの有名な電子の歌姫だ、私でも知っている。特徴的な、足元まである青緑のツインテールが目を引くデザインだ。
「ヒロインはこの子にしてください」
「えええ?よそ様のキャラは色々面倒になるよ、許諾とか色々」
「そこはぼかすとか伏せ字で誤魔化すとか、はっきりと名前を出さないとかで」
「やってあげなよ明日香」
私の右肩に顎を乗せて、美也子が言う。
「そんなに長くなくていいんでしょ?その物語って」
「はい、短くて大丈夫です」
まあいいか。私はその油でべとつくノートを開く。半分くらいまではもう何やら書かれていて、様々な男女の物の怪が異世界から飛ばされてきたエルフとかドワーフとかスライムとか、はたまた宇宙生物なんかと出会う物語が書かれていた。つまりは物の怪向けのラノベ短編集だわ、このノート。
「そしたらじゃあ。あるところに、素敵な声で歌う電子の歌姫がいました」
「おお素晴らしい出だしです」
「その声を自由に支配しようとする人間が、彼女に色々悪さをしましたが歌姫は屈しません」
「いいですねいいですね、芯の強いヒロインはワタクシ好みです」
「しびれを切らした人間は、歌姫を一枚のカードに封じてしまいました」
「なんてひどい」
いつの間にか美也子まで、私の手元を覗き込んでそんなことを言う。いやこれ即興で作ってるお話だからね?しかも感情移入する部分なんて全然ないじゃない。
「その話を聞いた狸の若者は、歌姫のカードを人間の屋敷からうまいこと持ち出しました」
「おおお、さすが狸いいぞ狸!やはりそこは狸なのですな」
古狸は興奮している。やはりというか、依頼主が狸なのでそうしただけなんですけどね。そんなに興奮する話か?これ。
「狸の若者が月の光の下でカードに口づけをすると、彼女の封印は解けました。こうして、狸の若者と電子の歌姫は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
かなり手抜きのいい加減な話をさらさらとしたためて、私はペンとノートを古狸に返した。
「こんなもんでいいのかな」
「はい、素晴らしいお話です。期待以上です」
「良かったね明日香、喜んでもらえて」
カードに封じるとか、その封印がキスで解けるとかツッコミどころしかないお話だけれど、シロウトに書かせるんならこんなものだよね?ぺこぺこ頭を下げる古狸には悪いけれど、ここまで評価してくれる理由が今一つ理解できない。ヒーロー役が狸だからかな?
「人間。その紡ぐ力にこそ、ワタクシは期待したのですよ」
古狸はそう言って、月の光に手元のカードを掲げ、口を付ける。
すると、そのカードから光の粒子が溢れ出し、周囲に一旦散ってからまた人の形に集まって行く。それと共に古狸の姿も、その光の大きさに近い若い男の姿に変わって行く。
なんだこれは。公園は今や光に満たされている。ブランコも滑り台もジャングルジムも、ゴミ箱でさえまるでイルミネーションのように虹色の輝きに包まれている。
「すごい」
美也子がうわ言のようにに呟く。星空がまるで見えなくなるくらいの、光の奔流。全てはあのカードが発し、そして満ちて行く。
ぱんっ、と光がはじけ、そこには恰幅の良い青年と……彼をうっとりと、そして愛しげに見つめる電子の歌姫の姿があった。その幻想的な光景に、私と美也子は言葉を失う。
「どうもありがとう」
「幸せに暮らします」
青年と歌姫が、私たちに礼を言った。そして次の瞬間、その二人の姿はかき消すように公園から消えて……私と美也子だけが蛍光灯の灯りの下に残された。夜空には星々が戻ってきており、月もまたその冷たい光を放ち始めていた。
「今のって」
「ふうん、物語っていうのは、本当に面白いね」
美也子は私の目を覗き込み、そして軽くキスをした。
「これで明日香も、あたしと幸せに暮らす。めでたしめでたし」
「え」
「……紡いだ物語が現実を変える。いえ、物語こそが現実なのかしらね?きっと今までにだって、ああいうことはあったはずよ。それこそ、この世界のあちこちで」
私は地面からフリーザーバッグを持ち上げて、中を確かめてみた。アイスはまだ、溶けてはいないようだ。
「まあいいや、帰ろ」
「うん」
ねこみみカチューシャを頭に載せ直した美也子が左腕にしがみついてきたけれど、私はされるがままにしておいた。うだるような蒸し暑さにもめげない美也子の元気さにはちょっと呆れるけれど。
あのノートには、まだ半分以上白紙のページがあった。またどこかで、誰かがノートに新たな物語を書き入れるのだろうか。物の怪のための物語を。
物の怪のための物語 小日向葵 @tsubasa-485
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