人付き合い

 私は人付き合いが嫌いである。

 決して苦手というわけではない。初対面の人とでも平気で話せるし、会社の人とも円滑なコミュニケーションが取れている。

 尤も、そう思っているのは私だけかもしれない。皆がどう思っているかなど、それこそ神のみぞ知る、というところだ。

 さて、会社の新人――派遣社員だが――に困った人がいる。

 まず、会話をしてくれない。質問しても答えてくれないし、わからないことを訊いてもくれない。その上遅刻魔で、その時はまあ何となく謝るのだが、ほとぼりが冷めるよりも早く同じことをやらかす。これで仕事が出来るなら百歩譲って許せなくはないかもしれないが、実際には兎に角仕事が出来ない。分からないから上手く出来ないとかそういう次元ではなく、何もしないか、指示を無視して勝手なことをするかの二択である。ごく偶に「ちょっと頑張ってるな、見直したな」と思ったら、翌日は無断欠勤する。極めつけは、仕事中に寝る。

 まあ、周囲からの評価が高くなる理由は無い。私はまだ大人になりきれていない部分があって、時々彼に注意をするのだが、他の人はもうバッサリ切り捨てていて、注意なんかしてあげない。ただひたすら彼の評価が下がるという状態だ。

 私とても、彼のためを思って注意している訳ではない。そんな時期はとうに過ぎた。ただ私にとって迷惑だからとか、そんなんじゃ仕事が回らないからとか、そういう理由である。

 ただ一人、課長だけが彼を庇っていて、何とか派遣契約を切らずに騙し騙しやっているところだ。

 この課長も、件の彼も、ベクトルは違えど仕事が出来ないので、皆から大層嫌われている。まあそんなことはよくあるだろう。問題は、皆本人のいないところで盛んに悪口を言うというところだ。

 勿論、言われるのはその二人だけではない。その二人は本当に皆、つまり全員から言われるが、人によっては他の社員の悪口や愚痴も言う。

 そんな有り様を見ていたら、人付き合いが嫌いになろうというものだ。自分だって何を言われてるか分からないではないか。

 私だって他の社員から見れば新卒二年目の新人だ。新人のくせに偉そうにものを言うとか、態度がでかいとか、空気の読めない発言をするとか、そういうことを言われてる可能性はもういくらでもある。

 まあ、上記の事柄に関しては事実だし、私が悪いのは私も理解しているので、言われても仕方ないとは思うが、それはそれだ。そのへんはまた別の機会に弁解するとして、自分の悪口が言われているかもしれないと思ったら、いい気分でないのは確かだろう。

 いい気分でないとしても、私は社会人で、私の仕事はチームでの仕事だ。如何に嫌いでも、人付き合いを避けてはいられない。だから私なりに頑張ってやってきたつもりだった。

 それが報われないのが、人間社会の辛いところだ。先日もその洗礼を受けた。

 入社前に「毎年一回受けてもらって、最低三種類は取得して貰う」と言われていた資格の二つ目の試験を何故か一つ目の半年後なのに受けさせられ、その時点で話が微妙に違うのだが、そのタイミングで受けさせられるとは聞いていなかった私は完全に油断していて落第した。まあ前回の試験から予測した出題傾向がまるっきり間違っていて、その予測に基づいて念入りにやっていた試験対策が何の役にも立たなかったことが最大の原因だったのだが、不合格は不合格だ。文句を言われるのは致し方ない。それが会社の指示のくせに私の金で受けさせられた試験だとしても。

 問題は、先にも挙げた課長が合格発表を見て、びっしり並んだ赤い「呪」という字で私の名前を囲んだメールを課内に配信したことである。それが課長のすることか。

 勿論すぐに部長に告げ口した。いくら試験に落ちたからといっても、そんなことをされる謂れはない。きつく指導したということなので、取り敢えずこの件についてそれ以上大事にはしないことにしたが、本人のことは決して許せるものではない。

 おかげさまで、ますます人付き合いが嫌いになった。

 何故人は社会を形成する生物だというのに、他人を平気で傷付けるようなことを出来るのだろうか。それをされたり言われた人がどう感じるか、何故想像することをしないのだろうか。それはこの課長に限った話ではない。

 思うに、しないのではなく出来ないのだ。よく感情のままに怒鳴り散らす、老害と呼ばれる人物を見ることがあるが、それと同じことなのだろう。年をとって段々自制心が機能しなくなって、思いついたことをそのまま実行してしまったとか、そういうやつだ。

 対面で話している時にうっかり口から出てしまうなんてことは誰しもあると思うが、メールなら送る前に内容を確認するだろう。それで問題無しと考えるくらいなのだから、まるっきりそういう能力が欠如してしまっているとしか考えられない。

 聞けば課長は私の両親と同い年だという。それだけ年の差があれば感性の違いとか、ハラスメント云々に関する感覚の違いとか、そういうところで不快になることだってある。それは幾らか仕方のないところはある。生きてきた時代が異なるのだから、さもありなん。

 しかし今は昭和でも平成初期でもない。現代には現代の人付き合いの仕方というものがある。

 残念ながらそのあたりの感覚がアップデートされていない人が、この世にはたくさんいる。そういう人がセクハラやろパワハラやら、その他ハラスメントで問題を起こす場合が多い。その他にも、先程言ったようにまるっきり他人のことを考える能力が欠如した人もいるように思われる。

 そういう人ばかりが得をして、私のように立場の弱い人が辛い思いをする。なまじ立場が弱いから泣き寝入りするしかない場合も多いだろう。そんな人付き合いが罷り通るのが人間社会なのだ。必死になって働いて、頑張って勉強して、なお駄目だった人にかける言葉が「呪」になるのがこの社会だ。

 段々是正されていくようにはなってきているようだが、それでもこういう事例はなくならないし、私のこれだって、私はとても落ち込んだが、社会全体で見ればかなりマシな部類だろう。

 老人の作った社会に問題を提起し、抜本的に変革していかなければ、根本的な解決は出来ない。それが出来るのは我々若者であり、そして後に我々の立場に立つ子供達である。若者が行動しなければ社会は変わらない。変わろうとしない老人を排除し、より良い方向へ舵をきらなければならないのだ。私だけでなく、全ての若者が。

 それがかなった時、ようやく私の「人付き合い嫌い」がなくなることだろう。そうなることを願ってやまない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る