Attendre et espérer!

竜山藍音

待て、しかして希望せよ!

 これは私の座右の銘、人生の指針とも言うべき言葉である。

 元ネタは、フランスの小説家アレクサンドル・デュマ・ペールの代表作の一つ『モンテ・クリスト伯』を代表する言葉だ。作中で主人公モンテ・クリスト伯爵は、マクシミリアン・モレルに宛てた手紙の中で「人類の叡智は次の言葉に尽きることをお忘れにならずに」という文に続いてこの言葉を記している。

 本邦においては、十年ほど前に放送されたTVアニメ『巌窟王』の次回予告で毎回述べられたことで印象に残っている人もいるだろうし、或いはスマートフォンゲーム『Fate/Grand Order』において「巌窟王 エドモン・ダンテス」なるキャラクターが度々口にすることで知ったという人もいるだろう。

 この言葉を文字通りに受け取れば、苦難に際していつかは事態が好転すると信じて諦めないように、といったようなところだろう。随分と薄っぺらい言葉である。本当にそんなことに人類の叡智が尽きるのだろうか。

 では原典を振り返ってみればどうか。

 モンテ・クリスト伯爵=エドモン・ダンテスは苦難の半生を送った。そこからファリア神父という第二の父と出会い、彼の死を機に苦難を脱する。

 彼のその人生を鑑みれば、恩人の息子であり、自らも息子のように愛していたマクシミリアンに対し、最後の別れの言葉として、そんな薄い言葉を送るだろうか。

 全編読んだうえで言わせてもらうならば、答えは否である。

 苦難に際して、待つだけなら単純である。時間が過ぎゆくのを眺めていれば、それで待っていると言える。完全に諦めきって、ただただ時が流れるままにしていれば良い。だが、ここでは希望しなければならない。

 これは苦難を乗り越えるための言葉なのだ。窮地を脱するための言葉なのだ。

 つまり「待つ」というのは、その機会を待つということだ。性急に行動してはならない。然るべき時を待つ。そのために諦めてはいけない。希望を捨ててはいけない。

 だからと言って、ただ待っていれば良いというものではない。待ち続けて、折角事態を好転させる機会が訪れたというのに、それを掴む能力がなければ全くの無意味だ。神様の助けとて、何もせぬ者を何もせぬままに助けてくれるものではない。当のエドモンは獄中で脱獄のための準備を進めた。道具を作り、知識を蓄えながらその機会を待ち続けた。

 決して諦めず、然るべき「その時」が来た時、その機会を逃さないために、常に準備を怠ってはいけない。それが本質ではなかろうか。

 だから人類の叡智は次の言葉に尽きるのである。


 待て、しかして希望せよ!

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