タイトル[ラスボスの悪役の正論は極論でしかない正論であったとしても]

絶望を超越するもの

タイトル[ラスボスの悪役の正論は極論でしかない正論であったとしても]

俺たち2人の男はいつものように

学校の空き部屋で昼飯を食いながら話をしていた。


「ラスボスの悪役の正論は極論でしかない

正論であったとしても主人公も正義であるのならば

正義と正義のぶつかり合いというよくあることでしかない

貴方はそうは思いませんか?」


「俺か?俺はだな、ラスボスは大体武力行使だから

正論もクソもないと思うし、例えば資源や環境のために人を減らす系や

理想の世界に閉じ込めると言ったものであっても基本的には

ラスボスのしていることは正論であるか?とは思っているが

そう言った作品は主人公も正論と言うにはふわふわしていることが多い」


「それは何故ですかね?」


「理想の世界に閉じ込めるは正直に言って発展性というものが皆無だし

それにそうゆうので基本的に夢じゃないですか

それで別に催眠とかと変わらないよねと思うと

俺はその行為は正直に言ってまるで正しくない行為に思えますね

それにラスボスは自分がその野望を叶えた夢に浸ってれば良いのに

それをしないあくまでも誰かを助けたいのが根幹で自分は勘定に

入ってないんじゃないかと思われるかもしれないがそれは矛盾である

自分の野望を夢の世界で叶えるだけでは

満足できないなら他人が夢の世界に満足できないのも当然に過ぎない

そして資源や環境のために人を減らす系はなんかラスボスが

極端すぎる印象をもちますね、まあそうじゃ無かったら

主人公と敵対なんてしないんでそりゃそうだろて話なんですけれどね」


「そりゃそうだろうな、そして我が全てを管理すれば

全ては幸せになる系のラスボスは主人公に負けるようでは

早かれ遅かれ管理などできなかったということに過ぎない

それに大体のラスボスは正論と言うより開き直りに過ぎない

そしてそういうのの定石だ大抵1コマだけとか1シーンだけの

切り抜きで実際通しで見てみると欺瞞を超えた

欺瞞だったりもするタダの開き直りだったりする

まあ組織全体が死ぬくらいなら一人の犠牲を選ぶというのは

正論なんだよね
まあ自分を犠牲にしてくるような組織には従わないのも

正論なんだよね
行きつくところは一対多数のデスマッチじゃないのか?」


「まあ本当に数少ないが正論で殴ってくる

ボスに対して実は裏で悪事を働いていたから

倒したで済ませたりすることは作品としてクソだと思うけどな」


「そもそも突っつく隙が全く無い正論なんて存在しないんじゃないかと

私は思っているんだ、そして正論に近いものだけじゃダメであるとも

思っているんだ感情論ってのがそもそも大事なんだ

行いがどんなに正しかろうが賛同してくれる人がいなきゃ

ただの自己中カス野郎なんだ、貴方はこう思うだろう

なんだかんだ感情は実利に負けやすいとそれはバランスの問題である」


そうして二人は熱く話を続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイトル[ラスボスの悪役の正論は極論でしかない正論であったとしても] 絶望を超越するもの @qwertyuiop10025252

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ