ミッドナイトタウン LowB

W4Zem4

悪夢から醒めた時

「お母さま、ヨルを見ていませんか?」



湯気の立ったコップを二つ盆に乗せ、車椅子に座る女性に尋ねる。



「ヨルなら図書室に居ますよ」



優しく微笑み、そっと手を図書室の方に向ける。

外で遊んでいる”子供たち”を柔らかな視線で見つめていた。



「また図書室…お母さま、ありがとうございます!」



軽く一礼をした後、揺れるコップを気にする様子もなく図書室へ駆けて行った。



「ふふ、本当に。貴女達には期待していますよ、ヨル、■■」



図書室の端に、いつも通り取りつかれたように本を読むヨルの姿があった。

机に何冊も積まれている分厚い本を見る限り、かなりの時間ここに居るようだ。



「ヨル、あったかい牛乳持ってきたよ」



「あぁ…えっと…あ、ありがとう」



分厚い本を伏せ、湯気の立った牛乳に息を吹く。

青いコップのフチに口を付け、少し冷めた牛乳をススる。

素朴な風味が喉を通る。働き詰めの脳と身体によく染みる。



「この本の量…ヨル、昨日ちゃんと寝た?」



身長以上に積まれた本の山をイブカし気にジッとニラむ。



「…う、うん…えっと、二時間くらい」



目線を逸らし気まずい空気の中、徐々に眉が下がる。



「寝ないと大きくなれないよ」



「だって…勉強がたりないから…もっともっと」



コップを置き、本を立てて顔を隠す。

本の古臭いノリの香りと優しい香水お母さまの匂いが鼻をく。



「だめ!ちゃんと寝るのも大事だよ!!」



身を乗り出しヨルに迫る。



「ひぃ……分かったよ。ちゃ、ちゃんと寝るから」



「ふふ~ん…よろしい!」



得意げな笑みを見せる。その笑みの裏側には確かなヨルへの心配があった。

そんな二人のやり取りが終わるころにはコップの中の牛乳は冷めていた。



魔術、魔力の勉強もひと段落着いたところで、分厚い本たちを閉じ本棚に戻す。

親友は本の山の中で寝てしまったようでお母さまがベットへ運んでいた。


そろそろ自分も寝なければ。


親友が寝息を立てている中、起こさぬように静かな足取りでベットに向かった。

二週間ぶりのベットは少し埃を被っているようで、舞った埃にしばらくセキ込んだ。


どこか理想として考えていた幸せに浸っていた。

捨てられた私にはこんなものが…捨てられたから与えられたんだろうか?



暗い考えを絶つかのように睡魔に呑まれた。




「ゴホッ…ゴホッ。あれ?…」



目を覚ます。



更地か…それにしては焦げた匂いが酷い。


目を擦り、辺りを見渡す。見える限りまで白く染まった地が広がっている。

灼熱地獄は赤い物を想像していたが、どうやら白かったらしい。

息をすると肺が焼けるほどに熱い。


…違う、孤児院で寝ていたはず。なぜこんな所に?



「……ヨ…ル…ご…めんね?……――――」



下を向く。

目を向けたくない現実がそこに広がっていた。

弾丸が胸を貫いていた。戦場にしてはあまりにも幸せそうな笑みで逝っていた。

きっとヨルが隣にいたからだろう。満足気に白い地面に横たわっていた。

灰塵舞う戦場で二人だけの時が進んでいた。



「あぁ、そうだった。私のせいだった」



静かな二人だけの時間の中、大事な記憶を噛み締め絶望の余韻に浸っていた。

いつか二人で作った刺繍シシュウに涙と血が滴り染み渡った。



砂埃舞う戦場で一人だけの時間が進んでいた。



記憶の奥底に投げ捨てた醜く美しい黒い記憶だ。

悪夢の中でまた這い上がり、私の心を刺し続ける。


止めてくれ、鳴り止んでくれ。

音すらない記憶に私はただ足掻いていた。




―――――――







「……もう、止めてくれ」



悪夢が醒めた。

こうして夢から醒めると夢の中では鮮明だった記憶を全て忘れてしまう。

遺るのは120年前のオゾましい怨嗟エンサと、もう進むことはない二人のモヤのかかった二人の記憶だけだ



「ッチ…またあの夢だ…」



ベットの横の散らかった机からタバコの箱を取る。

額の冷たい汗がヒドく震える手にシタタる。

タバコを咥え先端に軽く触れる。オレンジ色の火が灯り煙が湧く。



「ー…」



脱力感と共に不快感に似た安心が身体から抜け落ちる。

寂しいんだ。彼女の夢で見たあの夢の絶望すら愛おしいんだ。

彼女を感じる為にまた、悪夢という首吊り縄を永遠に自分に掛け続ける。

縄を掛けても…椅子を蹴る勇気がないだけだ。



「悪夢で逢いたくはないんだ…君とは」



煙のコモった部屋で一人呟いた。

机に乗った写真立てを手に取る。二人の少女が肩を並べ微笑を讃えている。

写真の中は幸せに満ちた120年前の”あの時”で止まっていた。



「…そろそろ、起きないとな」



造り笑顔を浮かべ、くたびれた毛布を畳む。

重い荷が下りたという訳でもないがここから動かないと生きてはいけない。

彼女には悪いが地獄へ堕ちるのはもう少しだけ遅れそうだ。

写真立ての裏のホコリを袖で拭き、また机に伏せる。


埃で見えなかった裏面に刻まれた文字がはっきりと見えた。


379年を忘れるな。

唾棄ダキすべき死に損ない共を殺し尽くせ。

いつか己を殺す時まで私を騙れ。


ヨル・トリガード・リッジ


黒く乾いた血で書かれたそれは一度業火で焼かれたようで黒く爛れていた。

ヨルの数多の殲滅と殺戮に意味を成し、終点へ導くための代物だ。


殺しの正当化ではない。ただの駄々だ。分かっている。

彼女の神すら焼き殺すほどの劫火に始めの火を灯す為の代物だ。


諦観と悲観の混じった黒き瞳でその悍ましき作為から目を背ける。


死に損ないを殺す為の一歩を、自分を騙る為の一歩を、忘れない為の一歩を


今日も彼女は踏み出して行った。

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