第8話 帰れば幼馴染が

 放課後の教室に俺と大塚だけが席に座っている。


 窓の外からは部活動に勤しむ声がひっきりなしに聞こえてきている。


 彼女の前の席の椅子を跨ぐようにして座り、問題集を逆さまに覗く。


 俺が彼女に教えている間、相槌の一つもすることなく無言かつ真剣に話を聞いているのが分かる。


「……すご。榎本って実は頭いいんだ」


 説明し終えると、感心といった視線を向けてきた大塚。


 勉強できないって思われてたのか俺は。


 それは外見からの偏見なのか、それとも何かそう思うような根拠があるのだろうか。


「あっ、いや悪い意味じゃなくって。なんか意外っていうかさ、ギャップ萌えみたいなやつ」


「………なにそれ、全然嬉しくないんだけど?」


 男にとっては萌えという言葉を自分に向けられても嬉しいという感情は湧かないのだ。


 あと、よく男に向かってかわいいを連呼している女を見る。


 あれも同じで、言われたこちら側は何とも言えない複雑な気持ちになる。


 もちろん言われて満更でもない表情をする男もいるにはいる。


「大塚は、あれなんだな。バカだったんだな」


「そうよ、私はバカなんです。たった今日授業でやった内容ですら分からないバカなんです」


「すげー開き直ってるじゃん……」


 基礎的な問題でも何度か躓いているが、理解の速さは悪くないように思う。


 一回言ったことを素直に聞き入れてくれるおかげで、教える側としては楽だし教えがいがある。


「でもさ、大塚はすげーと思うよ。勉強が苦手でもこうして真剣に向き合ってるんだから。ギャルのくせに超真面目じゃん」


「…………最後のはいらないでしょ」


 机に広げられた教科書と問題集を閉じてバッグにしまう大塚。


 窓の外を見れば、空が夕焼けに染まろうかというところ。


 教室に設置された時計はもうすぐ六時の方角に短針が触れようとしている。


 大塚の後を追って教室を出た。


「あんた日直の仕事は終わったわけ?」


「ちゃんとやったよ……」


 校舎を出ると、練習を終えた運動部の生徒たちが片付けをしている光景が目に入った。


 グラウンドとテニスコート、少し離れたプールからも声が聞こえてくる。


 部活動生以外でこの時間まで残っていたのは俺と大塚くらいだろうか。


 この時期は日の入り時刻とともに最終下校時刻が六時に短縮されている。


「いいの?私と一緒にいるところを見られて」


「……俺が?」


「そう。私目立つし、横に並んで歩いてるところ見られたら変な誤解されちゃうかも」


「別にいいよ、周りからどう見られたって。大塚だってそう言ってたじゃん」


 昼休憩の時間に階段で大塚が言っていたことをそっくり言い返した。


「ふんっ……それもそうね」


 陰の薄い男と大塚が一緒にいるところを見られてバラされようと、誰?と言われるだけだろう。


「ねぇ、榎本。連絡先交換しようよ」


「え、なんで?」


 唐突に言われて思わず素で疑問を抱いてしまった。


「もっと勉強教えてもらいたいし、何かと連絡先知っておいた方が楽かなと思ったの」


「そ、そうだよな。俺は全然構わないよ。なんせ学校一の美女と連絡先を交換できるんだ、願ったり叶ったりってやつだ」


「……思ってもないこと言うな。明らかに棒読みだし」


 急いで取り繕ったが大塚にはバレバレだった。


 スマホを出し、アプリを開いていく。


 大塚が自らのスマホに表示させたQRコードを俺がスマホで読み取ると、早速読み取りが完了して彼女のアイコンが表示された。


 そのアイコンには可愛らしいワンコの顔がドアップで映されている。


「犬好きなんだな」


「実家で飼ってた犬なの。かわいいでしょ」


 これみよがしに自らのスマホを俺に向けてくるが、俺のスマホからもその画面は見えている。


 大塚が自動で友達に登録されて、アプリの友達一覧に“ありさ”と書かれた名前がアイコンとともに表示された。


「じゃあね。私こっちだから」


「あ、あぁ」


 交差点で帰り道が別れた。


「今日はありがとね、勉強教えてくれて」


「いいってそんくらい。分からないところがあったらいつでも聞いてくれ」


 言い終わってから、自分で少し調子に乗ったかなと思っていたら、大塚が顔に笑みを浮かべた。


「榎本のくせに生意気じゃん」


 それだけ言うと、こちらに背を向けて歩き去っていった。




「ただいまー……」


 玄関扉を開け、いつものように帰宅の挨拶を済ませてから、足元に見える一足の靴が視界に映った。


 当然俺のものではない。


 リビングへ行き、カバンを置いた。


「……二階か」


 このまま階段を上って二階の自室へ向かった。


 半開きの扉を開けると、案の定俺のベッドに横になって漫画を読んでいる美玖がいた。


 足をパタパタと交互に動かしながら漫画に熱中している。


「………夕飯は食ってきたのか?」


「うん、もう食べたー」


 視線を漫画から移すことなくノールックで返答した。


 美玖がいる後ろで、俺は制服から部屋着へと着替えて一階へ降り、夕飯の支度を始めていく。


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