第3話 これから起こる予感
壁にかけられたアナログ時計を見ると、もうすぐ七時になろうというところ。
「じゃ、私帰るから」
そう言って、ソファから立ち上がった。
「えっ、てっきり泊まるものだと思ってたんだが?明日学校休みだし」
公園でも大塚は俺に泊めろと言っていたから、その心づもりでいた。
「この家俺しかいないから部屋は余ってるし、俺としては大塚一人が泊まる分には全然構わないんだよ」
「……そこまで言うんなら、泊まってこうかな。言い出したの私だし」
「おう、じゃあ布団の準備だけ軽くやってくるからちょっとだけ待ってて。あっ、お前の制服乾かさねぇといけないのか。シワになっちゃうよな」
「あっ、それはさすがに自分でやるよ……」
少しだけ俯き気味にそう言って、小走りで脱衣所の方へ行った。
大塚の身体では俺のジャージはややオーバーサイズなため、袖がフラフラと揺れており、彼女の手は隠れてしまっている。
小走りする全身ダボダボの後ろ姿はちょっと可愛らしくも見える。
「……さて、準備しますか」
よくよく考えてみるとクラスメイトの女子、それも話したこともない人と同じ屋根の下で寝るのは初めてのことだ。
むしろ頻繁にある方がやばいのだが、今になって少し緊張してきた。
連れ込んだ学年一の美女が実は彼氏と別れていて?
この家に泊まることになった?
もうこれって何か起きるのがテンプレだよな。
「ほんと、色々ありがと。それじゃ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ……」
二階、階段を登り切ったところで就寝の挨拶を交わし、俺たちはそれぞれ部屋の扉を閉めた。
「……………」
ベッドに仰向けになった状態で、真っ暗闇の天井を眺めながら思う。
「だよな……」
何も起きないのはいいことだ。
平和でいいことじゃないか。
ゆっくりと目を瞑り、それからどれくらい経っていただろうか。
体感では一時間ほど、ただただ目を瞑ったまま全く寝れずにいた。
次に目を覚ますと、顔面に強烈な日差しを感じた。
昨日、夜まで降り続いていた大雨が嘘のように、空は雲ひとつない快晴だ。
「あれ………カーテン閉め忘れてたっけ」
土曜はゆっくり寝たいタイプだというのに、この眩しい朝日によって起こされ、置き時計を見ればまだ七時半手前だ。
「……そうだ、寝よう。二度寝しよ」
一度起こした上半身を再び横にして、至福の眠りにつこうとした。
その時に、小さく下の階から音がした。
「………ん」
聞こえたのは玄関扉が閉まる「ガチャ」という音だった。
「もう出たのか……」
寝ようにも頭が冴えてきて、とてもじゃないが二度寝なんて愚かな真似はできなくなった。
のっそりとした足取りで部屋を出て、ゆっくり階段を下っていく。
ダイニングへ出ると、テーブルに見覚えのないものたちが置いてあることに気がつく。
皿の上に乗ったものたちと、一枚の紙。
そこには三文と少々、
『しっかり起きれた?
これはほんのお礼です、食べてください
台所勝手に使ってごめんね
大塚より
追記:ジャージは洗って後日返します』
若干丸い丁寧な字でそう書かれていた。
皿に載せられているのは、スクランブルエッグとベーコン、簡単な野菜たちと食パン一枚、そして昨日の味噌汁の残りだ。
おそらくカーテンを開けたのは彼女だ。
こんな丁寧な置き手紙まで残して、しっかりしてんだな大塚のやつ。
ジャージなんて脱ぎ捨てていいのに。
「……ベーコンと食パン、うちに置いてたっけ」
なんというか、どこまでも俺の彼女に対するイメージが違っていたことを分からせられた。
一度部屋に戻り、スマホを手に再び一階へ降りる。
ロックを解除し、簡単にスマホの通知をチェックしていくと、いくつかのグループで十数件の通知があり、こちらはまぁ適当に後で見よう。
その中で、一際通知数の多い一人の人物を発見する。
特別驚くわけでもないが、これは放置していたら何が起きるか分かったものではない。
そう、昨夜のようにはいかない。
絶対に何か起きてしまう。俺が不幸になるような何かが。
数十件にも及ぶその人物とのトーク画面に移ると、まず目に入ったのはキモ可愛いようなスタンプが数個。
送られていた時刻を見るに、おそらく大雨の中公園にいた時だろうか。
会話の途中でもないのにただスタンプだけを送りつける時は、大抵なにも用がないときだ。
その後、およそ一時間後の6時43分に、今度は文章が送られてきている。
『えっ、雨大丈夫だった?結構強かったよね』
『傘持って行ってなかったでしょ。ずぶ濡れだったんじゃない?』
『一緒に帰ってあげたかったけど、今日委員会だったの』
続けて三文送られており、当然ながらその時の俺は返信をしていない。
ここから地獄の大量送信が始まっている。
「おっと……もう見るのやめよ」
これ以上は危ないと判断して、俺はトーク画面を閉じた。
実際にやばいのは既読無視ということなのだが、この場合返信をしてもしなくても変わらないだろう。
あいつの家はここからすごく近い。
既読してしまったのだから、これはもう時間の問題だ。
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