ひみつのキス

 リルが姿を消して、1週間が経った。

 ――ピピッ、ピピッ。

 スマホのアラームで起きて、ベッドの上にはひとりきり。

 朝起きたら。夜に部屋のドアを開けたら。学校の屋上にさがしにいけば。……リルが、そこにいるかもしれない。そんな想像を、どれだけしただろう。

 リルは、もういないのに。


 今日は、林間学校の日。

 リルは今、どこにいるんだろう。蒼羽くんが、リルを「帰した」って言っていたから、今いる場所は魔界なのかな。おなか減ってないかな。魔界なら、専属料理人がいるって言ってたし、わたしが作るものなんかより、おいしいものがあるか……。

 林間学校に向かうバスの中で、ため息をつく。

 会いたい。リルは……そんなこと思ってないかもしれないけど。

「ちょっと、ここな。ジメジメしすぎ。最近ずっとため息ばっかりじゃん。なんかあったの?」

 バスのとなりの席の由夢ちゃんが、ツンッと指でわたしの頬を突いた。

「あっ、ごめんね。リルのことが心配で……。風邪、全然治らないから。わたしがうつしちゃったみたいで」

 リルが学校に来なくなった初日、わたしが用意した言い訳がこれだった。

 由夢ちゃんはパチパチと目をまたたかせて、信じられないことを言い出した。

「リル? って……、誰? ここなの弟?」

「え……」

「あれ? ここなって、ひとりっこだよね。あ、ほかのクラスの友だちとか?」

「なに言っ、由夢ちゃん……。リ、リルだよ? 同じクラスの」

「やだ、寝ぼけてるの? そんな子、いないじゃん。うちのクラスは今日、全員参加してるしさ」

 リルの記憶が、ない……?

 わたしは、バスの後ろの席を見る。そこには、倉科さんとその友達の押野さんがいる。

「ねっ、ねぇ! 倉科さんなら、リルのこと分かるよね? 一緒に倉科さんの家に行ったんだもん」

「え? 誰? うちに来たのは、雨月さんだけでしょ?」

 倉科さんまで……?

 クラスにかけたリルの魔法が、解けている?

「ここな、どうしたの? さっきから変だよ」

 となりの由夢ちゃんの声も、頭に入らない。

 リルのことを、みんなが忘れていく。わたしも、いつか……?

 ううん、そんなことない。

 わたしは、自分の考えを否定するために、頭をブンブン横に振った。

 リル……。願いごとはまだ、ひとつ残ってるよ。

 それまで、そばを離れないって言ったくせに。



 目的地の海に着いて、一日目の今日は海辺近くにテントの準備をする。

 男女3人ずつのグループで、テントは男子と女子の分、ふたつ。出席番号順だから、本当ならここにリルもいるはずだった。だから、わたしたちのグループは男子ふたりで、ひとり足りない。だけど、不思議なことに誰も気が付かない。まるで、最初からいなかったみたいに。

 わたしは、ボーッとしながら、ペグを持つ。これを地面に打って、テントを固定するらしい。

「女の子には、あぶないよ。ここは、僕たち男子にまかせて」

 作業をはじめようかと思ったら、誰かに後ろから取り上げられた。

「蒼羽くん、ありがとう」

「女子には、夕飯作りをお願いしてるんだ」

 本物の天使の笑顔に、わたしは同じように笑顔を返すことはできない。

 あの日からわたしは、蒼羽くんとまともに話をしていない。わたしがさけているから。

 きっとリルだったら、代わりにこんなことやってくれない。

「蒼羽くんは、リルのこと覚えてるよね」

 ニコニコ笑っていた表情に、影が落ちる。

「だめだよ、呼んだりしたら。彼がどこにいても、雨月さんが3つ目の願いを口にしたら、必ず引きよせられて現れてしまう。それが、悪魔との契約だから。3つ目が叶うと、魂をうばわれるんだよ」

「願えば、リルと会えるの?」

「雨月さん。悪魔に会いたいなんて考えないで。いい? どんなになかよくなったように思えても、悪魔は悪魔なんだ。心を許したりしちゃだめだよ」

 そうかな。本当に、そうなのかな。

 リルがここにいたら、テントの準備なんてめんどうで大変なこと、代わりにやったりはしない。でも、文句を言いながら、結局手伝いながらも、ずっと一緒にいてくれたと思う。


 同じグループの女子は、倉科さんと押野さん。

 夕飯は、カレーと魚介スープ。わたしは、決められた材料を煮込むだけの簡単なスープを任せられたのに、なぜか塩からい仕上がりになってしまった。

「ごめん、せっかくカレーがおいしいのに、スープが失敗だったよね……」

「だ、大丈夫、おいしいよ。ほら、薄めたら飲めるし」

 と、倉科さんみたいに、こうやってみんなガマンして食べてくれたけど、あの口元が引きつった笑顔は、一生忘れられないと思う。

 そんな中でわたしは、ここにリルがいたら、きっとおいしそうに食べてくれたんだろうななんて、また上の空になって考えていた。


 夜、女子のテントに入って、ひとりひとつ用意された寝ぶくろに包まれたけれど、少しも眠れそうにない。

 わかってる。蒼羽くんはわるくない。彼は、自分のやるべきことをやっただけ。

 わたしがリルともう一度会うためには、願いごとを口にするしかない。だけど、願いごとを口にすれば、わたしは魂をうばわれて、そのあとはもう二度とリルと会えなくなってしまう。どうすればいいの?

「雨月さん、眠れないの?」

 ずっとモゾモゾとしているわたしに、となりの寝ぶくろにいる倉科さんが、そっと声をかけてくれた。

「ごめんね、倉科さん、起こしちゃった?」

「ううん、わたしもまだ寝てなかったから」

「そうなんだ」

 こんなふうに、倉科さんと仲良くなったのも、ある意味ではリルのおかげなんだよね。そうじゃなかったら、きっとこの林間学校のグループも、気まずかったと思う。

「あのね、どうしても思い出せないことがあるの。わたしと雨月さん、いつからこんなに話せるくらいになったのかな」

「それは……」

「ふふ……、変だよね。家にまで呼んだのに、どうしても思い出せないんだ。あのとき、ほかにもだれか……」

 倉科さんはまどろみはじめたのか、ウトウトと目を閉じた。

 本当は、話したい。リルのこと。でもきっと、また知らないって言われるから。それを聞くのがこわい。

 リル。覚えてなくても、リルがここにいたことは残ってるよ。会いたいな。



 夜が明けて、2日目は海で水泳。

 林間学校で、いっぱい遊ぼうねって約束したのに。海を知らないリルに、この景色を見せてあげたかった。

「みんな、あまり遠くには行かないようにね! 足がつかなくなったら、戻ること! 分かった?」

 葛西先生が、砂浜で大きく手を挙げて叫んでいる。

 眠っていないから、頭がボーッとする。

 わたしは、ひとりで海の水に足をつける。冷たいけど、目が覚めるほどじゃないかな。

 水の中を、どんどん歩く。弱い波が当たって、気持ちいい。

 まわりを見ると、由夢ちゃんも、あっちゃんも、彼氏と楽しそうに遊んでる。前だったら、うらやましくて仕方なかったな。

 恋の天使を呼び出すおまじない……なんて。本当はわたしは、彼氏が欲しかったわけじゃない。

 彼氏がいる友達と一緒に帰る日が無くなっていって。同時に、遊ぶ日も少なくなっていって。パパが亡くなってからは、ママが帰るまでは家にひとりだったり。大好きな人たちにかこまれた、この生活に不満はなかったけど、いつも少しさみしくて。彼氏がいれば、由夢ちゃんみたいに、夜眠るまで話が出来たり、毎日誰かに「おやすみ」を言えることが、幸せなのかなって思ったんだ。

 おまじないを失敗して、リルが現れて。毎日、いつも一緒にいたから。だから、リルが部屋の窓から入ってきたあの日から、本当は願いなんてとっくに叶っていたの。

「リルがいないと、部屋が広いよ……。さみしい」

 口に入るこの味が、海水なのか涙なのかわからない。


 まわりに誰もいなくなって、気がついたら、わたしはずいぶん遠くまで泳いでいた。

「あれ……?」

 いつから足がつかなかったかも、覚えていない。周りを見ると、だれもいない。かろうじて見える砂浜に、小さく人の姿が見えるだけ。

 戻らなきゃ!

 あせって、海岸へ方向を変える。

「いたっ……!」

 足がつって、泳げない。手足をバシャバシャと動かして、慌てれば慌てるほど、沈んでしまう。

 誰も、遠くにいるわたしが溺れていることには、気づいていない。呼吸をするのに必死で、声も上げられない。

 青空が揺らめいているのは、顔が水の中にあるから?

「ぷはっ……!」

 力を振り絞って、水面に顔を出す。

 わたし、ここで死んじゃうの?

「っ!」

 水面に出した顔は、またすぐに水の中に入ってしまう。呼吸をしたくてひらいた口には、海水が次々と入りこんでくる。

 苦しい!

 死ぬまぎわには、今までの記憶がサッとかけめぐるように、思い出すって聞いたことがある。

 小さい頃に見たパパの笑顔と、バニラの甘い香り。パパの手作りケーキを、ママと一緒に食べて。

 ママとふたりきりになった、おうち。誰もいない、ひとりきりの夜。

 そして、いつの日か現れた真っ黒な羽根。かわいいしっぽ。からかうみたいに笑う顔。

 わたしのお菓子をおいしいって言ってくれた。

 数え切れないほどのキス。

 あの満月の日から、わたしの頭のなかにはリルばっかりだった。

 やだ。このまま終わるなんて。

 バシャバシャと手を動かして、なんとか口だけを水面に出す。

「りっ、リル!」

 青空が、揺れて見える。

「願いごと……っ叶えて!」

 青空に、黒い羽根が見える。それは、どんどん大きくなって、近づいて……。

「ここな!」

 いつもそばで聞いていた声が、わたしの名前を呼んだ。

「遅いんだよ! 死にかけてから、やっと呼びやがって」

 バシャッと水が跳ねて、リルが海に飛び込んだことを知る。

「ぷはっ、ケホケホッ!」

 リルのおかげで、首まで外に出すことができた。咳が止まらない。

 わたしの体は、水の中で力強い腕に抱きよせられたけれど、持ち上がらない。

「くそ、ずっと生気を吸収してなかったから、力が足りねぇ」

 リルは、わたしの頬を手で包む。

「はぁ、はぁ……」

 ちょっとだけ、呼吸が落ちついてきた。

「緊急事態だからな。あとで殴ったりするなよ」

 どういう意味かは、聞けなかった。

 すごく近くに、リルの顔がある。

 唇に触れたことのない、やわらかくてあたたかい……唇?

「ん……っ」

 また息ができなくて苦しくなったのは、水の中だからじゃなくて。

 リルの体が光って、同時に、わたしを抱えたままフワッと浮かび上がった。

「えっ、なにあれ!」

「浮いてる!?」

 浜辺や海にいるみんなが、わたしたちに気づきはじめる。だけど、リルが下に向かって手をかざすと、その騒ぎは一気におさまった。まるで、だれもわたしたちには気づいていなかったみたいに。

 今の、魔法? リル、また魔法が使えるようになったんだ。よかった……。

 そこで、わたしは意識をうしなった。


「ここな、おい、ここな!」

 リルの声が聞こえる。幸せな夢だな。

 リルがいなくなってから、何度この夢を見ただろう。

 でも、この夢、嫌いだな……。目を覚ませば、いないことを思い知ってしまうから。

「ここな! おい!」

 ピチャッと、頬に水滴が落ちる。つめたい。

 そっとまぶたを開く。

 あれ……? 目の前にリルの幻が見える。

「リル? すごい、今日の夢、覚めないんだ……」

「なに言ってんだ、しっかりしろ!」

 この幻、しゃべってる……。

「ここな!」

 幻……じゃない?

「!!」

「起きたか」

「リル……?」

 ふるえる手で、リルの手に触れる。

 さわれる?

「リ、リル……? 夢じゃなくて?」

「なんだ、さっきから夢って」

「リル!」

 わたしはガバッと起き上がって、リルを正面から視界に入れた。

 どこから現実? どこまでが夢だったの?

 さっきまでのわたしたちは海の中にいたのに、今は誰にも見えない岩陰にいる。そこで、わたしは砂の上に寝かされていたらしい。

 ここは、ちゃんと現実?

「大丈夫か? ここな」

 リルがわたしの名前を呼んで、頬に触れる。

「リル! よかった。また会えて……っ」

 わたしはリルに抱きついて、わんわん泣きじゃくった。

 あったかい。幻じゃない。本物のリルだ。

「もう会えないと思ってたの。みんな、リルを忘れてて、さみしくて」

 もうどこにもいかないように、しっかりと抱きしめる。

「お前が呼べば、俺はいつでも帰ってこれたんだけどな。遅いんだよ、バカ」

「だって、3つ目の願いごとを叶える時じゃないと来れないって、蒼羽くんが……」

「あのクソ天使」

「3つ目の願いを叶えたら、わたしは魂をうばわれて、リルには会えなくなっちゃうでしょ。だから、呼びたくなかったの」

 リルが、わたしの体を引きはなす。おどろいている瞳が、見つめている。

「でも、リルに会えないままおぼれて死ぬくらいなら、リルに最後伝えてから、リルに魂をうばわれたいって思ったの」

「魂をうばわれるのが嫌なんじゃなくて、お前は俺と会えなくなるのが嫌だったのか?」

「そうだよ」

 なんでくり返すんだろう。わたし、変なことは言っていないつもりなんだけど。

「おかえり、リル。ずっと会いたかった」

「ああ」

 今日からは、やっと眠れそう。

「ね、3つ目、叶えてくれる?」

 リルが、目を見開く。

「は? お前、最後の願いごとをすると、俺に会えないって」

 わたしは、リルの手をぎゅっとにぎる。

「リル、わたしとずっと一緒にいて。これが、最後の願いごとだよ」

 リルは、しばらくかたまったあと、フッと笑った。

「やっと自分のために願ったと思えば、なんだそれ。たしかに、それが叶うなら、俺はお前の魂をうばえないな」

 これは、最後の賭け。こんな願いごとが許されるのか、わからない。

 リルに魂をうばわれて一生会えなくなるか、それとも願いごとが叶って一緒にいられるのか、ふたつにひとつ。

「欲望まみれで、悪魔好みだ。本当に、お前といるとたいくつしないよ」

 と、リルは少し笑った口元で呟いて、「ん」と、指輪を見せた。石の色は、白。

「あれ? 白って、最初の色だったよね」

 由夢ちゃんの願いを使ってあざやかな赤になって、ママの願いを使って黒に近い赤になって。次は、黒のはず。

「天使のせいで魔界に帰った時、魔王に、『人のための願いごとは、契約者の“欲望”とは認められない』って言われて、指輪を初期設定に戻された」

 ……と、いうことは。

「お前はまだ、願いごとを使ってなかったんだ」

「!」

 びっくりして、でもうれしくて、わたしはまたリルに抱きついた。

「だから、あのクソ天使に魔界に帰されたとき、すぐ呼んでも問題なかったんだよ。時間かけすぎだ、バカ」

 いきおいがつきすぎて、リルが背中から砂の上に倒れる。

「はー、俺、お前と一生はなれられない気がする」

「嬉しい。ずっと一緒にいようね」

「いいのか? 願いごとがこれで」

「うん。叶えてくれるなら、ほかの願いごとはいらない」

 リルは、わたしを抱きしめ返す。

「仕方ねーな。悪魔リルが、契約者ここなの最初で最後の願いを、叶えてやる」

 指輪の色が、変わる。この先、これ以上変わることはないだろう。


 遠くの方で、先生が集合を呼びかける声が聞こえた。

 リルに手をかしてもらって立ち上がるけど、

「わ、わわっ」

「大丈夫か?」

 足がふらついて、転びそうになったところを、間一髪のところでリルが支えてくれた。

「ありがとう。なんだか、力が出なくて……」

 今日までの寝不足のせいかな?

「ああ、さっき直接生気を吸ったからな。加減できなかった」

 そういえば、わたしたちさっき、夢の中でキスをした気が……。

「えっと、そんな夢は見た気がするけど……」

「は? 夢じゃねーよ。ほら」

「!!」

 わけが分からないまま、リルの唇がわたしの唇にチュッと触れる。

 夢じゃない! ていうか、またした!

「うっ、うわあああん!」

 ──バシッ。

「いってーな。結局殴るのかよ」

「にっ、2回していいなんて言ってないっ!」

 漫画やドラマで見たキスシーンの、どれとも違う。

 あんな、ロマンティックなシチュエーションじゃなくて、一瞬で終わって。ぼやけるくらいに近い顔と、ふわふわやわらかくて、塩水の味で……。

 は、恥ずかしくて、顔が見れない……!

「き、キスした! リルがキスした!」

 わたしは、真っ赤な顔で、涙目で叫ぶ。

「はぁ? 前からしてただろ」

「前とちがう! 口にした!」

「お前が持ってる少女漫画の、あれと同じだろ」

「あれは、両想いになってからしてるもん!」

「だったら、いいだろ」

「よくな……、……え?」

 あれ? 今、結構すごいことを言われたような気が。

「ずいぶんにぎやかだね? おじゃまするよ」

 わたしたちがさわいでいると、岩陰の向こうから、ひょっこりと姿を見せたのは、蒼羽くん。

「てめぇ……!」

 顔を見たとたん、戦闘態勢に入ったリルは、公園で3人でいた時と同じように、わたしを自分の背中に隠した。

「ま、待って、待って。また無理やり魔界に帰したりしないよ。こないだのあれで、僕の力もまだ戻らないしね」

 蒼羽くんは顔の前で手を振り、苦笑いをした。

「それに、僕は雨月さんを悲しませるためじゃなく、幸せにするためにやってきたんだ。相手が悪魔でも、雨月さんにはリルくんがいないとだめみたいだしね。きみがいなくなってから、雨月さんずっと元気がないからさ」

 蒼羽くんは、わたしに申し訳なさそうな笑顔を見せる。

 思い返せばこの一週間、ずっと蒼羽くんはわたしに気をつかってくれてたな。わたしは自分のことばっかりで、わるいことをしてしまった。蒼羽くんはあくまでも、天使としての自分の役割を果たそうとしていただけなのに。

「でも、雨月さんを泣かせるようなマネをしたら、次はそのつもりでね」

「ふん。こいつは俺のもんなんだから、泣かすも泣かさないも、俺の自由だろ」

 リルが子どもみたいに、蒼羽くんにべーっと舌を出して見せる。

「やっぱり心配だな。雨月さん、魔界に帰したくなったら、いつでも言って。協力する」

「あはは……」

 わたしは、力なく笑顔を返した。

「言っておくけど、冗談じゃないよ? 僕はまだ、雨月さんの天使をあきらめたわけじゃないから。覚悟してね」

 そう言った蒼羽くんは、わたしの手の甲にキスをした。

 おとぎ話のワンシーンみたいで、ちょっとドキっとしてしまった。やっぱり、キラキラな天使の笑顔だ……。

「おい」

「いたっ。なんでたたくの、リル」

 わたしは、コツンとリルのこぶしが当たった頭を、右手でさする。リルはその手をうばって、ごしごしと手でこする。そこは、蒼羽くんがキスをした場所。

「お前今、こいつに顔赤くしてただろ」

「し、してないよ」

「してた」

「もう。それで、なんでリルがおこるの?」

「うるせー。ここなのくせに」

 また、ジャイアンみたいなこと言って。

「じゃあ、みんなのところに行こう、ふたりとも。僕が、クラス中にリルくんの記憶を戻しておいたから」


 蒼羽くんの背中を見ながら、リルの手をはなさないようにぎゅっとにぎって歩いた。

 夢じゃないんだ。リルが、ここにいる。

 わたしはリルの耳にささやく。

「ね、リル。帰ったら、なに食べたい?」

「お前が作ったものなら、ぜんぶうまいから、なんでもいい」

 聞きなれた言葉に、わたしは笑った。

「うん。一緒に帰ろう」

 わたしたちの、ふたり部屋に。

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悪魔くんとひみつのキス 榊あおい @aoi_sakaki

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