明日になったら、きっと

 その日は、どんなに夜が深くなっても眠れなくて、結局次の日の朝になってしまった。

 リルもずっと元の姿のままで、ベッドの上で背中合わせになったせいで、ドキドキが止まらなかった。

 今日が日曜日でよかった。

「はぁ……」

 まだスゥスゥ寝息を立てているリルを見て、思わずため息。

 なんで普通に眠れるの? わたしばっかり、なんだかくやしい。

 スマホの時間を見ると、朝の6時。日曜日のこの時間は、ママもまだ眠っているはずだから、朝ごはんでも作りに行こうかな。今日、リルには何を作ろう。

 そっと部屋を出て、キッチンに向かう。

 昨日の夜、眠る前に生気をあげなかったから、今日はさすがにあげなきゃ……だよね。想像するだけで、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 今までも恥ずかしかったけど、最近は特に緊張する。

「っ……!」

 クラッと立ちくらみがして、頭を押さえる。

 昨日、あまり眠ってないからかな。うーん、寝不足?

 こんな調子じゃ、わたし毎日寝不足になっちゃうよ。リルはずっと、同じ部屋にいるんだもん。

 冷蔵庫を開けて、中を見る。昨日作ったケーキは、まだ半分残っている。次の日のケーキは、クリームがちょっとパサパサになってしまうけど、スポンジとなじんでそれはそれでおいしくて好きなんだよね。

 えーと、あるのは、ベーコンと卵と……あ、食パンの賞味期限がギリギリだ。使い切っちゃお。

 ママの分の朝食はキッチンに置いて、ふたり分をトレーに乗せて運ぶ。

 部屋に戻ると、リルはベッドの上でわたしの本棚の漫画を、また勝手に読んでいた。

 あ、よかった。その本は、たしかキスシーンがないものだったはず。前に読まれたのは、両想いになる前にキスシーンがある漫画だったから、リルに質問されて、答えるのがすっごく気まずかったもん。

『人間も、唇をくっつけて生気吸うことがあるのか?』

『生気を吸うためじゃないよ。好きな人に、好きを伝えるためにキスをするの』

 ……あれ? わたし、あの日こう答えて……。

 じゃあリルは、人がキスをする意味を知っていたわけで。ん? それだと、リルがわたしの髪にキスをしたのって?

「ここな。どこ行ってたんだ、お前」

「!!」

 し、心臓が口から出るかと思った。

「あ、朝ごはん作ってたの。食べるよね? 昨日のケーキも、持ってきたよ」

 がんばっていつも通りのふりをして、ベッドのそばのテーブルにトレーを置く。

 リルは漫画を閉じて、ベッドからおりる。

「その前に、こっち」

 と、手まねきをされて、胸を押さえながらリルに近づく。頬を手で包まれて、指先がピクっと反応してしまう。

 これはキスじゃなくて、生気を吸うだけ。キスじゃない、キスじゃない……!

 今日は、どこ? おでこ? ほっぺた? 髪は吸えないって知ってるから、ちがうよね。

 ギュッと、痛くなるくらいに目を閉じて待っていると。

 ――ガブ。

「!? いったーい!」

 み、耳!? 耳にかみついた!?

「な、なにするの!?」

 わたしは、かまれた左耳を、ふるえる手でおさえる。

「別に。してみたくなっただけ。お前が、どんな顔すんのかなって」

「変ないじわるしないでよ!」

「悪魔だからな」

「そんなことするなら、朝ごはんあげないよ」

 わたしは、テーブルの上のトレーを、再び持ち上げた。

「は? やり方がきたねーぞ、てめぇ」

「言ったでしょ。わるいところ、リルのがうつったんだよ。ちゃんと、ごめんなさいってして」

「はいはい、ごめんなさい~。これでいいだろ。よこせ」

「もう。心がこもってない。……でも、いいや。早くしないと冷めちゃうし、一緒に食べよう」

 あー、びっくりした……。耳、ずっと熱いし。

 そんなわたしの気持ちなんてなにも知らないリルは、ベーコンエッグにパクついている。

「今日もうまいな」

 じゃあ、今日もまずいんじゃん。

 やっぱり、ずるいよ。わたしは、リルにドキドキさせられたせいで、味なんてなにもわからないのに。

「お前、なんか顔赤くないか?」

リルのせいでしょ……。

「赤くないよ」

「いや、赤いだろ。ほら」

「!」

 前髪をよけて、リルの手がわたしのおでこにピタッと触れた。

「ちょ、ち、近いよ、リル……っ」

 リルは、あたふたするわたしをジーッと見て、さらに近づいて。

「えっ?」

 とまどうわたしを無視して、そのままおでこにキスをした。

「う……っ、うわああああん!」

「いてっ」

 急な展開についていけず、とっさに両手でリルをつきとばす。

「なにすんだよ」

「生気はさっきかみつきながら吸ったでしょっ! なんで何回もするの!」

 うううううっ。心の準備がなにもできてないときにキスされた!

 いきなりなのはいつものことだけど、今日はすでに生気をあげた直後だったから、完全に油断してた。

 一瞬だったのに、リルの唇の感触だけはしっかりと残ってる。顔から火が出そう。

「は? いや、生気じゃなくて」

「じゃなくて?」

「…………なんでもない」

 リルが、はぎれわるく、言葉の続きを終了させる。

 いつもハキハキと言いたいことだけ言うくせに、めずらしい。変なの。

 でも本当に、顔の熱が全然引きそうにない。わたし、どうしちゃったんだろう。


 なんて、そんなやり取りをした、次の日の月曜日。

「ケホケホッ」

 昨日の、熱が冷めない理由は、風邪だったようで……。

「大丈夫? ここな。ママ、やっぱり仕事休もうか?」

 ベッドの上から起き上がれないわたしを、ママが心配そうにのぞきこむ。

「ううん。大した熱じゃないし、薬飲んで寝てれば、平気。ママ、お仕事忙しいんでしょ?」

「でも……」

「いいの、いいの。心配しないで。学校休めちゃって、ラッキーだよ」

「もう、この子ったら」

 ママは軽く笑って、

「ここなは、こういうときはいつも、ひとりで大丈夫って言うもんね。でも、つらかったらすぐ電話するのよ。ママ、仕事なんて放りだして、飛んでくるから」

 と、わたしの頭をなでて部屋を出ていった。

 ベッドの上でおとなしくしていた猫のぬいぐるみは、ママがいなくなったとたんに、男の子の姿に変身した。

「お前、自分の母親に対して、いっつもいい子ちゃんぶってるよな」

「そうかな? でも、なれてるからいいの。パパが亡くなってから、ママがんばってるもん。今までも、風邪のときはひとりで平気だったし」

「そうは見えないけどな」

「ケホケホッ」

 わたしの咳のせいで、リルがなにを言ったのか、聞こえなかった。

「ごめん、なにか言ったよね?」

「バカって言った」

「もう! ケホッ、のどが痛いんだから、大きな声出させないでよ……」

「勝手にでかい声出したんだろ」

 ママがベッドのそばに置いてくれた、スポーツドリンクをストローで飲む。ひんやりしていて、おいしい。

「リルはどうする? ひとりで学校行ける?」

「お前がいないのに、俺だけ行ってどうすんだよ。行くわけねーだろ、めんどくせぇ」

「本当? じゃあ、そばにいてくれるの?」

「お前、俺に授業出て欲しかったんじゃないのかよ」

 リルが、いつものわたしの言葉を、からかうように笑う。

「いつもならそうなんだけど……。正直言うとね、今日、リルはそばにいてくれるんじゃないかなって、ちょっと期待してたんだ」

 鼻声がなんだか恥ずかしくて、ごまかすように笑う。

「だから、うれしい。ありがとう、リル」

 リルは、びっくりしたように目を見開いて、「ふんっ」と、そっぽを向いた。

「別に、お前のためじゃないし」

 ぴょこんと、こちらに向いたしっぽがかわいい。

 かけ布団に口もとをかくして、「ふふ」と笑ったけど、どうやらリルにはそれがバレてしまったようで。

「お前なんか、さっさと寝てろ」

 と、布団をさらに頭がすっぽりかくれるくらいに、かけられてしまった。照れ隠しかな。

「リル、眠ってるあいだ、いてくれる?」

「起きてもいるだろ。俺は、お前の悪魔なんだから」

「へへ、そっか」

 薬が効いてきたのかな。ホッとしたら、急にうとうとしてきちゃった。

「リル……、リルは、わたしにちかづいて大丈夫? 風邪、うつったりしない?」

「人間の病気に、悪魔が負けるわけないだろ」

「よかったぁ……。じゃあ、キスしても平気だね……」

 あれ? 今、わたし、変なこと言ったのかな。

 眠気で、ついさっき口にした言葉もおぼえられない。

 まぶたをとじる直前のリルの顔が、赤かった気がする。どうしたのかな。悪魔には、人の風邪はうつらないって言ったのに。起きたら、聞かせてもらおう。

 風邪のとき、誰かがそばにいてくれるなんて、いつぶりだろう。次に目が覚めた時、そこにはリルがいるんだ。うれしいな。

 

 パラパラと、紙がこすれるような音が聞こえて、わたしは目を覚ました。

 わたしが寝ているベッドに座りながら、リルが少女漫画を読んでいる。また勝手に本棚から持ちだしたな、もう。

 スマホを見ると、お昼ちかくになっていた。

「リル」

「起きたか」

「うん。ずっと、わたしの漫画読んでたの?」

「お前寝てるから、ひとりでヒマだったし」

 本当に、ずっといてくれたんだ。リルには羽根があって、魔法が使えて、自由に外に出ることもできるのに。

「もうお昼だね。リル、おなかへってない? あまりちゃんとしたものは作れないと思うけど」

 ベッドの上で、体を起こす。眠ったからか、朝よりも体が軽い気がする。

 今、冷蔵庫になにがあったっけ。

ベッドからおりようとしたら、リルに肩をつかまれて、阻止された。

「リル?」

「いい。俺が作ったから」

「……。……えっ!?」

 聞きまちがった? 今、リルが料理をしたっぽいことを言ったような……。

「つ、作ったって、なにを?」

「人間が風邪ひくと、おかゆ? っていうのがいいんだろ? この本に書いてあった」

 リルがさっきからずっと読んでいる漫画には、風邪をひいた男の子のために、主人公の女の子がおかゆを作るシーンがあった……と、思う。けど。

「え? リルが? 作ったの?」

「ヒマだったから」

「だからって」

「待ってろ、持ってきてやる」

「えっ、あ、うん……?」

 まだポカーンとしているわたしをよそに、リルはちょっとウキウキした足取りで、部屋を出ていった。

 料理するの、楽しかったのかな?


「ほら」

 どん。と、重たそうな音を立てて、リルが土鍋を部屋のテーブルに置く。

 わたしはベッドからおりて、テーブルの前に座った。

「あ、ありがとう……」

 リルの料理。うれしいけど、正直、味の予想ができなくてこわい気持ちもある。

 ふたをあけると、あたたかな湯気が立った。

 あ、見た目はおいしそう……。

「リルも一緒に食べようよ」

「うまいのか? これ。なんかドロドロしてるぞ」

「自分で作ったんでしょ」

「俺は、その本にある通りやっただけだ。人間は、変なもん食うんだな」

 リルはため息をついて、わたしの目の前に座る。

「ありがとう、リル。いただきます」

 ふたりで同時に、スプーンを口に運ぶ。そして。

「おいしいっ」

 と、わたし。

「まずい」

 と、リル。

 ふたりで同時に声を上げて、お互いの感想に、わたしたちは顔を見合わせた。

「えっ、うそ、おいしいよ?」

「どこがだよ。めちゃくちゃまずいじゃねーか」

 あ、そっか。味覚が真逆だったんだっけ。

「リルは、料理はじめてなの?」

「当たり前だろ。魔界では、料理人がいたんだ。自分ではしない」

 料理人……? そういえば、前にわたしのこと、専属料理人にしてもいいって言ってたっけ。

 リルって、すごくお金もちのおうちの子なのかな。それとも、魔界の人はそれが普通だったり?

「したことないのに、どうして急に料理しようって思ったの?」

「お前がいつも、俺のために料理するとき、すげーニコニコしてるから。そんなに楽しいもんなんだと思って。同じことしてみただけだ」

 それって、つまり……。あれ? かんちがいかな。わたしのためって、言ってるような気がする。

「でも、だめだな。俺には向いてない」

「ううん、そんなことないよ。だってすごくおいしいもん」

 またひと口、スプーンで運ぶ。やっぱりおいしい。

「魔法を使わないで、リルが自分で作ってくれたんでしょ? ありがとう」

 にこっと笑ったつもりだったけど、熱でまだぼーっとして、うまく笑顔にできなかったかもしれない。

「でも、わたしはリルがおいしいって言ってくれるものが作れて、リルはわたしがおいしいと思えるものが作れるから、ずっと一緒にいたらちょうどいいね」

 でも、それってむずかしいのかなぁ。リルは、魔界に帰りたいよね。自分の家では、料理人においしいごはん作ってもらってたんだろうし。

 うーん……。あったかいごはんを食べたら、またウトウトしてきちゃった。

「ごめん……、またねむるね……」

 目を閉じる直前に見たリルの顔は、どこか苦しそうに見えた。

「俺だって、お前と……」

 リルの声が聞こえる。これは、夢?


 ──ピコンッ。

 スマホから、メッセージの通知音が鳴って、わたしは目を覚ました。メッセージを確認するついでに時間を見ると、もう夕方の3時。メッセージの相手は、由夢ちゃん。

『風邪大丈夫? 早く学校きてね』

 心配してくれたんだ。やさしいな。

 ベッドの上で起き上がる。

 って、あれ? わたし、いつベッドに入ったんだろう。確か、リルが作ってくれたおかゆを食べている途中で、テーブルでそのまま寝ちゃった気が……。

「起きたか」

「!!」

 び、びっくりした……!

 リルがベッドに座って、わたしの顔をのぞきこんだ。

「リ、リル、ずっとここにいてくれたの?」

「だってお前、俺にここにいてほしかったんだろ」

「う、うん……」

 改めて言われると、なんかはずかしいな。もしかして、ベッドまではこんでくれたのって、リル?

「あ、リル、おなかへってない? さっき、あまり食べてなかったよね」

「へった」

「なにか作ろっか」

「いいよ、別に」

「大丈夫。熱も下がったし」

 ベッドからおりたところで、由夢ちゃんからまたメッセージが届いた。

『蒼羽くんも心配してたよ♡』

「えっ、蒼羽くん?」

 首をかしげる。なんで、語尾にハートマークがついてるんだろう。

「は? 蒼羽? なんであいつの名前が出るんだよ」

 蒼羽くんの名前を口にしたとたん、リルの機嫌が急にわるくなった。しまった。リルは、蒼羽くんのことよく思ってないから。

「なんでって、由夢ちゃんが……」

 なんて、話をしていたら、今度は着信があって、よりにもよってその相手は蒼羽くんだった。

「も、もしもし……?」

 リルににらまれながら、電話に出る。

 もう。本当に、仲がわるいんだから。

『雨月さん? ごめんね、急に電話しちゃって』

「ううん、大丈夫だよ。どうしたの? 蒼羽くん」

 リルがずっと、ものすごい顔をしてるから、あまり大丈夫でもないけど。

『鈴木さんが、僕のことを雨月さんに言ったっていうから、びっくりして電話しちゃったんだ。ごめん、具合のわるいときに、しゃべらせちゃって』

「あ、し、心配してくれたんだよね? ありがとう」

 うう、リルの視線がチクチクと刺さって、痛い。さっさと切れって、じーっと見られている。

『体調はどう? 少し風邪声だね』

「でも、朝よりは、よくなったんだよ」

 蒼羽くんには申しわけないけど、電話、早く切らせてもらおう。

『そっか。明日は、学校来れそう?』

「おい、ここな、腹へったぞ」

 蒼羽くんの言葉にかぶせて、リルがうしろから腕をまわして、わたしにのしかかってきた。

「わっ、待って、リル、重いよ」

『あ、リルくんも、そこにいるんだ?』

「えっと、うん、そうなんだ……」

 そういえば、学校のみんなにいつもかけている、リルの魔法って、今日はどうなってるんだろう。普段、授業に出なくてもバレないように、今日もリルだけは登校していることになってるのかな。

『そっか。リルくんも、学校来てないもんね。ずっと雨月さんと一緒にいたんだね』

 ……蒼羽くんには、なぜか魔法が効かないから、参考にならなくてよくわからない。

「あ、あのね、蒼羽くんって……」

 なにか知ってるの? そう、続けようとしたけど、口から言葉を出すことはできなかった。

「っ……――!!」

 ゴトンッ! と、大きな音を立てて、スマホが床に落ちる。

『えっ、今の音なに? 大丈夫?』

 蒼羽くんの声が、遠くから聞こえる。

「ちょ、リ、リル……っ」

 うしろから抱きしめて、リルはわたしの耳にキスをした。

「や、やめて、ちょっと……! う、うつるよ、風邪!」

「お前が言ったんだろ。風邪がうつらないから、キスしても平気だって」

 蒼羽くんに、変に思われる!

「ここな、切って、電話」

「み、耳元で言わないで……!」

「早く。切れよ」

「~~っ!」

 手を伸ばして、スマホをつかむ。なにも言わずに、通話終了のボタンを押した。

 蒼羽くん、ごめん。

「切った! 電話切ったから、はなれて!」

「だめ。まだ、全然足りないから」

「ひえっ!?」

 ちゅ、ちゅ、と、何度も耳に、頬に、場所を変えてキスをされて、変な声しか出ない。

「お、多い、多いよっ!」

「んー、お前が体調わるいからか? 全然生気吸えねぇ」

「み、耳元でしゃべんないでってば……!」

 風邪の熱のせいで、感覚がびんかんになったからか、リルの触れるところがぜんぶ、ゾワゾワする。

「も、もう! 何回もしないで……っ!」

 意地でも治して、明日は絶対に学校に行く。こんな日が何日も続いたら、わたしの心臓がもたない。

「リル、今日はずっとそばにいてくれて、ありがとう」

 この時間を終わらせるのは、ちょっともったいないな。


「あ、リル、ママがそろそろ帰ってきちゃう。猫になって」

「無理」

「またそうやって、いじわるして」

「そうじゃない。お前から生気が吸えないから、魔法が使えないんだよ」

「あ、そっか……」

 だからこそ、何回もキスされたんだもんね……。

「リルは、それで大丈夫? 体、つらくない?」

「前に言っただろ。魔法が使えなくなるだけだって」

「よかった……」

「お前は、本当に変な女だな。普通は、弱ってる悪魔を退治できる、いいチャンスだって思うもんだぞ」

「チャンスって、なんで? リルにそんなことしないよ」

「普通の人間はそうなんだってよ。俺たち悪魔は、人間の魂をうばうからな。親父が人間界に来たときは、何回かあぶなかったって言ってた」

「お父さん、大変だったんだね」

「だから、お前がおかしいんだって。たまに、俺が悪魔だってこと、忘れてるだろ」

「んー、わたしはリルと一緒にいたいし、普通の人間なんかじゃなくていいかな」

 リルのお父さんは、結構こわい目にあってきたんだろうな。退治するチャンスって……。そのときの契約者とは、なかよくなれなかったのかな。

 リルも、わたしの次の契約者となかよくなれなかったら、命をねらわれる可能性があるんだ。

 わたしの次……。やだな。考えたくない。わたしじゃない、ずっと誰かのそばにいるリルなんて。

「俺だって、お前といるとたいくつしないから、変な女のままでいいけどさ」

「本当? じゃあ……」

 ずっと一緒にいてほしいけど、リルはやっぱり魔界に帰りたい? 次の契約者を見つけたい?

「? なんだ?」

「えっ? うーん、……なにを言うか、忘れちゃった。ごめん」

「なんだよ、それ」

 目を細めてやさしそうに笑う顔に、ドキッとして、同時に少し切なくなる。

 わかってしまった。この気持ちに、気づいてしまった。

 リルにキスをされても、ずっと嫌じゃなかった、この気持ちに。

 わたし、たぶんリルのことが……。



 その日の夜は、リルが猫に変身できないから、人の姿のまま、同じベッドに入った。

 恥ずかしくて、わたしはずっとリルに背中を向けていた。何かの本で読んだことがある。誰かと世界一とおくにはなれる方法は、背中合わせになることだって。

 ぴったりとくっついた背中があたたかくて、ずっとドキドキしていた。

 リルは、どんな顔をしていたんだろう。ふりむいて、見る勇気は出せなかった。

 ドキドキする。

 今のわたしたちは、世界一とおい。でも、世界一ちかい背中のぬくもりに、安心する。

 明日には、リルの目を見て「おやすみ」を言おう。

 明日になったら、きっと。

 そんなことを思って、わたしは目をとじた。

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