32 山育ち、目覚めたスラ子を見届ける
「では……行きます!」
そう言って、スラ子は持っていた棍棒でスライムを叩いた。
あの棍棒がスラ子の得物らしい。
なんで棍棒……? と思うが、とりあえず今は部屋を覆うスライムだ。
スラ子の叩き込んだ一撃は――
明らかに、スライムにダメージを与えていた。
「よし、成功だ」
「やりました!」
ガッツポーズをするスラ子。
「だが、一発では倒しきれないようだな」
「そ、そこは私がまだまだ未熟なので……」
「ああいや、責めようというわけでは」
「……でも、それならその分このスライムを叩いていいってことですよね!」
あ、ああうん。
スラ子がそれでいいのなら、俺はいいと思う。
かくしてスラ子は、ひたすらスライムを叩き始めた。
規則的な音が響く。
スラ子はただただ無心になってスライムを叩き続けていた。
決してその動きは洗練されていない。
鍛えていないのだから当然で、彼女は探索者であっても戦士ではないのだ。
ただ、気迫は間違いなく伝わってくる。
というよりも――
「――彼女、ゾーンに入ってるね」
「ゾーン?」
「あれ、コウジくんならわかっていると思ってたけど。要するに……集中を越えた集中、人間の限界を超えた集中を伴って行われる行為」
「ああ、領域のことか」
人によって呼び方の違う、極限まで集中した状態。
スラ子はその状態に突入しているわけだ。
「いやしかし、すさまじいなアレは――一体どのようにして、あそこまでの領域を練り上げたのか」
「おや、わからないかい?」
「ああ、残念ながら」
「なら、彼女を見るといい」
どうやら、アーシア殿は理解しているようだ。
アーシア殿に促され、俺はスラ子を見る。
スラ子は――
「見ろ、彼女は興奮しているんだ」
「ん、んん……?」
興奮している……?
見れば、確かにスラ子は普段の彼女とは全く違った雰囲気でスライムを叩いている。
顔を少し赤らめて、小さく笑みを浮かべながら。
深い吐息を零して、一つスライムを叩く事にその吐息が粗くなっていく。
……なるほど。
「確か、彼女はこう言っていたね。ある日、眼の前でスライムを吹き飛ばした探索者を見て以来、その光景に囚われている……と」
「ああ、確かそんな話だったけれど」
「結果、彼女はスライムを叩くことに囚われている」
まぁ、それはそうだろう。
休みのたびにダンジョンへ通ってはひたすらスライムを叩くというのは俺でも解るくらい普通じゃない。
そうしたいと彼女が強く願うくらい、その光景が鮮烈だったということのはず。
「じゃあ、コウジくんは何が彼女にそこまで突き刺さったのだと思う?」
「それは……いや、解らんな」
「鈍いなぁ。いやでも、いいよ。じゃあ簡単に言おう」
ニィ、となんとなくいたずらっぽい笑みを浮かべるアーシア殿。
楽しそうだなぁ。
「彼女はスライムを叩くことに魅入られたのを、憧れだと思っているが……少し違う」
「と、いうと?」
「彼女は臆病な性格で、言ってはなんだけど行動力のあるタイプではないだろう」
言いながら、アーシア殿はスラ子の方を見る。
スラ子はスライムに対して特効となるスキルを持っている。
けれども、持っているだけでそれ以外の能力は低い。
それはそうだ、スライムをどれだけ倒したって手に入る魔力は微々たるもの。
スキルが手に入るくらいは強くなっていても、眼の前のスライムは明らかにスラ子にとって格上だ。
一発叩いた程度で、大きなダメージが入るわけがない。
ただ無心に――というには、余りにも彼女の行動には熱が入っているが――スライムを叩き続ける。
その行為に、果たして彼女の言葉以上の意味があるのか?
「スラ子ちゃんが、積極的にスライムを倒し始めたのは、憧れのような前向きな感情が理由ではなく――もっと後ろ向きで、それでいて原初的な情動だよ」
「……全然簡単に言っていないどころか、もったいぶった物言いが更に勿体ぶっている気がするのだが」
「それが果たしてなにか、答えは――」
俺のツッコミに対し、アーシア殿はそれを無視して言葉を続けた。
「生存本能さ」
――生存本能。
なるほど、そう言われると一気に今のスラ子の感情が理解できるようになる。
命の危機を感じて、生存本能を発揮した結果、ああして情熱に満ちた瞳でスライムを叩くようになったわけか。
「生存本能を刺激され、アドレナリンがどばーっとなったスラ子ちゃんは、その時の感覚を追い求めてスライムを叩くようになった! つまり、これがどういうことかと言えば、そう!」
「そう?」
いよいよ、アーシア殿は結論を出すらしい。
いや、正直スラ子がどうしてスライムを叩くことに興奮するようになったのかは理解できたのだが。
構わず、アーシア殿は続けた。
「そう、性欲さ!」
――ふむ。
俺はその言葉を聞いて、少し考える。
スラ子がスライムを叩く音だけが聞こえて――俺は口を開いた。
「なぁ、アーシア殿」
「なんだい?」
「……性欲、とはなんだ?」
わからない、その性欲とやらがわからない。
生存本能を刺激されることで感じる情動なのか?
「――――」
そう問いかけた俺に対してアーシア殿は、どういうわけか顔を真赤にしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます