23 山育ち、奮い立たせる。

 ブッチャー。

 なんでもソイツは、第五階層のボス部屋に極稀に現れるモンスターらしい。

 非常に希少で、倒せばそれに見合った報酬を得られる。

 だが、強さは明らかに第五階層のそれじゃない。

 下手したら、第十階層のボスより強いとかなんとか。


「本当なら、第五階層のボスにも負けないくらい私達は強かったのよ。こないだのブラックミノタウロスくらいなら、間違いなく勝てたと思う」

「だが、出てきた相手はそうではなかった……と」

「そういうこと。んで、ボス部屋に入ると戦闘が終わるまで探索者アプリで脱出できなくなるから――」


 全滅すれば、加護薬の緊急脱出を使うことになる。

 そうなれば、当時中学生だったシオリ殿達は探索者を続けるのが難しくなるだろう。


「私は、幸い全滅する前に溜めてたお金で加護薬を買い直せた。でも、中にはそうじゃない子もいたし――」

「――そもそも、殺されかけて心を折れた者もいが、か?」

「……正解」


 どこか、怯えた様子でシオリ殿も頷く。

 死にかければ、それだけ人の心は傷ついてしまう。

 シオリ殿だって例外ではないのだろう。


「その時のことを、後悔しているのか」

「……多分、そうだと思う」

「所詮は不運だと、割り切ることはできないか」

「無理よ、だって割り切ってもあの頃の楽しい時間は戻ってこない。私はこれからも、一人で探索者を続けるしかないの」


 シオリ殿にとって、今の自分が翳ってしまうくらい当時の記憶は鮮烈に焼き付いているのだろう。

 普通に考えれば、配信者としても探索者としても成功している今のほうが、充実していてもおかしくないのに。


「――今でも、たまに思うわ。今の私は、夢を見ているんじゃないかって」

「それは……なぜ?」

。あの戦いで全滅した後、私は一人で探索者を始めて、それから配信も始めたの。そうしたら、探索者としても配信者としても、瞬く間に成功を収めたわ」


 出来すぎていると、そう感じてしまうらしい。

 それはいささか自己評価が低すぎるのではないか、とも思うが。

 ブッチャーにやられて最悪になった自己評価のまま、実感が伴わず成長したことで逆に悪循環が起きているというところか?

 なんとなく想像はできるが、いまいち言語化はできない。


「それに……もしこのまま成功し続けても、いずれブッチャーが私の前に現れて全部を台無しにしていくんじゃないかって、そんな感覚が抜けないのよ」

「それは……」

「あはは……どうして、あまり面識のない貴方に、こんなこと話してるのかしら」


 ごめんなさい、とシオリ殿は謝る。

 けど、なんとなく理由はわかる気がするのだ。


「先日の暴走、アレでシオリ殿は死にかけた。というより、。あの時現れたのはブラックミノタウロスだったが……場所が場所だ、当時のことを思い出したのではないか?」

「……そうかもね。それで、鮮烈にブラックミノタウロスを倒した貴方に、期待してるのかも」


 俺は、他人の後悔など分からない。

 自分自身、後悔したことはないのだ。

 それでも、解る気がする。

 シオリ殿が、どうしてここまで過去を引きずるのか。


「シオリ殿はその後、第五階層のボスはどうしたのだ?」

「倒してないわ。ダンジョンはここ以外にもあるし、基本ソロで後衛の私じゃ第五階層ボスは誰かと組まないと倒せないもの」


 せめて前衛なら違うんのでしょうけどね、とシオリ殿。


「前衛がいれば、また第五階層に挑めるか?」

「ブッチャーにも負けない前衛がいれば……挑むかも知れないけど」


 ならば、ちょうどいい。


「であれば、ここにいるではないか」

「……え?」


 そうして、俺は自分自身を指さした。



「俺ならば、そのブッチャーとやらにも負けないだろう」



 その言葉に、シオリ殿が停止する。


「……どうして?」

「実をいうとな、シオリ殿の後悔は俺にも少し思うところがあるのだ」

「貴方も、何か後悔をしているの?」

「後悔……とは少し違うな」


 俺は、少しだけ考えて言葉を選ぶ。


「迷っているのだ、本当にこれでよかったのだろうか――と」

「……これでよかったのか?」

、これでよかったのか……という話だ」

「あ――」


 単純に、俺は山から降りてきたことを悩んでいた。

 いや、悩むという程のものではないのかも知れないけれど。

 正直、未だに答えが出ていない。


「山から降りてきて、果たしてそれが本当に正しかったのか」


 単純な話だ。

 俺の世界は、山の中で完結していた。

 外に出る必要などなかったのだ。

 外に出ようと思ったのは完全な好奇心で、それが正しいかどうかはいまだわからない。


「シオリ殿の話を聞いて思った。きっと俺は、その迷いをこれからもずっと背負い続けるのだろう。正しいのかわからない、後悔するかも知れない選択を俺はした」


 だが、同時に。

 その後悔を恐れるシオリ殿の考えがわかるからこそ、どうにかしたいと思った。


「ブッチャーを倒せば、シオリ殿の後悔が晴れるかもしれない」

「……」

「その時に、晴れた世界がどんなものか、俺に教えてくれないか?」


 決して、単純な善意というわけではない。

 確か、外の世界ではこれをギブアンドテイクというのだろう。

 シオリ殿を助ける代わりに、俺はシオリ殿の答えを聞きたい。


「――――あは、あはは」

「むぅ……おかしかっただろうか」

「可笑しいわよ! だって、そもそもブッチャーが出現する可能性はすごく低いの。きっと二人でボス部屋まで行っても、待ってるのはブラックミノタウロスとかよ?」

「――――それは、考えてなかったな」


 完全に失念していた。

 ブッチャーとやらは、そうそう出るものではないのだ。


「でも……わかったわ」

「おお、それはよかった」

「……貴方が、とんだお節介焼きのお人好しだってことがね」

「むう」


 楽しそうに、シオリ殿は笑う。

 俺の話を面白いと思ってもらえたなら、それでいいが。


「でも、理解った。これもなにかの縁、貴方がそう提案するなら――乗るわ」

「……!」

「倒しましょう、ブッチャー。ええ、貴方となら――きっと勝てるに決まってるもの!」


 かくして、俺達は第五階層への挑戦を決めた。

 そもそもブッチャーなんて出るはずもないのに、という前置きはさておいて。

 そうすることが、シオリ殿にとっても俺にとっても良いことだと思ったから。


 けれど、このときの俺達は知らなかった。

 このときの選択が、後に大きな事件へ足を踏み入れるきっかけになることを。

 俺達はまだ、想像すらしていなかったのだ。 

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