第3話 憂鬱な週末
土曜日の朝、俺は松崎家の玄関前にいた。呼び鈴を鳴らすとすぐにガチャリと音がして、志保が姿を現す。少し肌寒いということもあって、志保はシャツの上にパーカーを羽織っていた。
「おはよう、志保」
「……おはよ」
「なんか元気無いな」
「んーん、そんなことないよ」
志保の目にはクマが出来ており、なんだか顔色も悪い。昨日、寝付けなかったのだろうか?
「寝不足なら無理するなよ? 別に俺だけでも」
「いいよ、大丈夫だから。それに、ここ最近の真司の方がよっぽど具合悪そうだよ?」
「……そうかな」
「うん。ほら、行こうよ」
「あ、ああ」
俺は志保に背中を押されるまま歩き出した。何があったのか分からないが、志保は志保で思うところがあったんだろう。……まあ、ずっと雪美のことを考えてばかりの俺が言えたことではないけど。
最寄り駅まで歩いていった後、俺たちは電車に乗って都心部の方へと向かっていった。二人きりだからって、俺たちはデートに出かけているわけではない。互いに何も話さぬまま、電車はただ進んでいく。
「こうしていると、三人で出かけた時のことを思い出すね」
「……そうだな」
「あの時は三人で映画を観て、三人でうなぎ食べて、三人でゲーセンに行ってさ」
「そんで俺たちが喧嘩別れってわけだ」
「もー、そこまで言わないでよ!」
「ははは、そうだな」
横に座る志保に対して、俺は作り笑いを浮かべた。明るく振舞っているつもりだったが、内心は複雑だった。三人でいた時のことを思い出すほど、今の現実がどうにも受け入れがたく感じられる。俺の停滞する心とは対照的に、電車は終着駅に向かって突き進んでいた。
『新宿~、新宿です。お乗り換えは……』
「ほら、降りよ?」
「あ、ああ」
いつの間にか寝てしまっていたようで、志保が肩を叩いて起こしてくれた。ここ最近、眠りが浅かったからなあ。やれやれ、俺も志保について言えた立場じゃないな。
「こっから先は?」
「地下鉄に乗り換えるよ。ついてきて」
「うん」
人が多かったので、俺はそっと志保の手を引いた。そういや、あの時もこうやって手を繋いだなあ。……いかんいかん、そんなことを考えていても仕方ない。今はとにかく、雪美の家に行くことだけを考えなければ……。
***
「ここが白神家か……」
「やっぱり、こんなに大きいのね」
俺たちは地下鉄を乗り継ぎ、ようやく雪美の家に到着した。都内の一等地だというのに、何平米あるのか分からないくらいの敷地面積。それをぐるりと高い塀が囲っており、まさに「お屋敷」といった雰囲気だ。
「真司、どうするの?」
「ここは正面突破しかねえな。ピンポンするか」
「うーん、それしかなさそうね」
別に忍び込んで泥棒しようってわけじゃないし、普通に呼び鈴を押した方がいいだろうな。きょろきょろと探し回ってみると、門扉の横に小さなインターホン。よし、これだな。
「押すぞ」
「うん」
深呼吸してから、俺はえいやとボタンを押した。ピンポンと(意外と庶民的な)音が鳴り、その後しばらく無音の時間が続く。
「……留守かしら?」
「いや、誰かしらはいるはずだ」
『どちらさまですか?」
その時、インターホンから誰かの声がした。使用人か何かだろうな。俺は急いで顔を近づけて、用件を説明する。
「突然伺って申し訳ございません。雪美さんの友人で、岡本真司という者です」
『どのようなご用件ですか?』
「その、雪美さんが最近学校に来ていないものですから。心配になりまして」
『……今、雪美様はお会いできる状態ではありません。お引き取り願います』
……駄目なのか? 俺は顔をしかめており、志保も厳しい表情をしている。だがしかし、簡単に諦めるわけにはいかない。
「その、会えない状態ってどういうことですか?」
『残念ですが、お伝え出来ません。今日はお引き取りを』
「そこを何とかお願いします!」
『ですから、お会い出来ないと』
「何があったのかくらい聞いてもいいじゃないですか!!」
「ちょっと、真司!」
いつの間にか声を荒げており、志保の声で我に返った。俺がこんなに取り乱すなんて、今までなかったことだ。……俺、やっぱりちょっと疲れてるのかな。
「ごめん、志保」
「ちょっと冷静になりなよ。私が代わるからさ」
志保はそっとインターホンに顔を近づけ、さらに説明を求めた。
「すみません、同じく友人の松崎志保です。あの、いつ頃から学校に来られそうかということだけでも」
『……申し訳ありません、もう一度名前をお伺いしても?』
「えっ? 松崎志保ですけど……」
『少々お待ちください』
間もなく、インターホンからの音声が途切れた。俺と志保は顔を見合わせ、戸惑ってしまう。向こうの人、明らかに志保の名前に反応していたよな? いったいどうして……?
俺たちが気をもんでいると、間もなくお屋敷の扉が開き、中からスーツを着た男が現れた。その手には一通の封筒が握られている。これは……?
「松崎様は?」
「私ですけど……」
「雪美様より、こちらをお預かりしております。お姉さまにお渡しいただくようにと」
「お姉ちゃんに?」
男は志保に封筒を手渡した。しっかりと封緘されているようで、外見から中身を伺うのは難しい。表面には「松崎美保様」と書いてある。
「あの、これの中身って」
「私も存じ上げません。松崎と名乗る人物が現れたらこれを渡すようにと仰せつかっておりました」
「は、はあ……」
志保は困惑したまま、封筒を鞄にしまった。……俺じゃなく、美保ねえに宛てた手紙ということか? いったいなぜ?
「では、失礼いたします」
「あの、ちょっと!」
「なんでしょう?」
男が屋敷に戻りそうになったところを、俺は慌てて引き止める。話はまだ終わっていないんだ、雪美がどうしているのかだけでも聞き出さないと。
「雪美はどうしてるんですか!」
「……お答えできません。それから――もうここにお越しになるのはおやめください」
「えっ?」
「雪美様は、もうこの家にはお住みでないのですから」
男はそんな捨て台詞を残し、バタンと扉を閉めて屋敷の中に入って行った。雪美はもう住んでいない? ……どういうことだ?
「ど、どうするの真司?」
「……ここにいてもしょうがないみたいだな。今日は帰ろう」
「う、うん」
「その手紙、美保ねえに渡さないとだしな」
「そうだね。帰ろうか」
俺たちは白神家を後にして、駅に向かって歩き出した。細い道をひたすら、無言で歩いていく。……っと、向こうから誰かやってくるな。
「ねえ、君たち」
「えっ?」
すれ違おうとしたまさにその瞬間、俺たちは話しかけられた。シャツにズボンと普通そうな男だが、こんな高校生二人に話しかけて何の用だろう。
「し、真司……」
「いいから」
不安そうな志保を背中側に押しやり、俺は男と対する。男はさらに口を開き、こんなことを言い出したのだ。
「何をしにここまで来たの?」
「はっ?」
「見たところデート中のようだけど、ここらへんは金持ちの屋敷ばかりだ。そんなところに、君たちが何の用事なのかな?」
「……別に、あんたに言う筋合いはないだろう。失礼する」
「おやおや、そんなわけにはいかないよ」
志保を連れて立ち去ろうとしたのだが、男に肩を引っ掴まれた。コイツ、力強い……!
「何をしていたのか教えてくれるだけでいいんだ。そしたら帰すからさ」
「あんた、いったい何者なんだ」
「別に、ただ通りすがりの者さ」
どう考えても堅気ではないだろう。……ひょっとして、白神家のテロと関係のある人物だろうか? それでお屋敷の周りをうろつく怪しい人物に誰何してる……なんて、あり得なくはないな。
「け、警察呼ぶぞ」
「君たちこそ、何の用もないのにこんなところをうろつくなんて怪しいじゃないか」
「そ、それは……」
「さあ、何をしていたのか教えてくれよ」
まずいな。スマホを取り出そうにも、その隙に何かされるかもしれない。だいいち俺が殴られて気でも失えば、志保を守る人間がいなくなってしまう。だからって「白神家に」などと言えるはずもないしな。
「さあさあ、何をしていたんだい?」
「それは、その……。なんていうか、友人の家に――」
「あのっ、私たちホテルに行ってたんですっ!!」
「えっ?」
「はっ?」
後ろを振り向くと、そこには顔を真っ赤にした志保がいた。ほ、ホテル? それってまさか――
「恥ずかしいからこんなこと言わせないでください! 私たち今まで――」
「わー! 分かったからもう何も言うなって!!」
俺は慌てて志保を制止した。コイツ、いきなり何を言い出すんだよ!?
「いやー、そうか。それは失礼した……」
すると、男はなんだか気まずそうに頭をぽりぽりと掻いていた。……言われてみれば、たしか一軒だけ怪しげなホテルが近くにあった気がする。けど、いくらなんでもそんな言い訳はないだろ……。
「すまない、止めて悪かった。幸せにな」
「ほら、行くよダーリン!」
「気色悪いな、そんな呼び方するんじゃねえ!」
俺たちはわーきゃーと言い合いながら、なんとか男のもとを去っていった。とほほ、ピンチを脱出できたとはいえ、なんだかとっても疲れた気分だ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます