第二部 君を求めて
第1話 夏の終わり
「来ないな……」
俺は中庭のベンチに腰掛け、雪美が来るのを待っていた。俺が先に着くこと自体はよくあることだ。……が、流石に遅すぎる。雪美はそんなに人を待たせるような人間じゃない。
「探してみるか」
ベンチから立ち上がり、中等部の校舎へと向かう。雪美のクラスは二年三組だったか。もしかしたら単純に何かの都合で来れてないだけかもしれないし、とにかく行ってみるとするか。
俺はてくてくと校舎内を歩いて行き、目的の教室にたどり着いた。えーと、雪美の席はどこかな。俺は入り口近くの席に座っていた男子に声を掛け、雪美の所在を確かめる。
「すいません、白神雪美という子はいませんか?」
「ああ、白神さん? 休みですよ」
「え、休み?」
「はい。理由はよく分かりませんけど」
その男子は弁当を食べながら、ぶっきらぼうに答えた。夏休み明け初日から休み? 宿題でも終わらなかったのだろうか? いやいや、雪美に限ってそんなわけないしな。
「分かりました、ありがとうございます」
俺はその男子に礼を言って、教室を去った。仲が良さそうに会話を交わす他の生徒たちとすれ違いつつ、一人ぼっちで廊下を歩いていく。こうしてみると、ここ数か月はずっと雪美に付きっ切りだったことを痛感するな。他に関わりのあった人間と言えば、志保や美保ねえくらいのものだしな。
「……戻るか」
ため息をつきながら、俺は自分の教室に向かって足を早めたのだった。とりあえず、放課後になったら加藤先生――雪美の担任である――のところに行ってみようかな。
***
「それがね、僕も分からないんだ」
「はい?」
放課後、職員室を訪れてみたのだが――欠席の理由を尋ねた俺に対し、先生は困った顔で答えたのだった。
「お家の方から連絡があってね。『しばらく休む』とだけ言われて、後は何も」
「え、ええ……?」
「君こそ、何も知らないのかい?」
「いえ、僕の方も何も」
「そうか。心配だなあ……」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、不安そうに天井を見つめた。先生にすら欠席理由を知らせないなんて、どう考えてもおかしい。体調が悪いならそう言うはずだし、家の都合で休むにしてもこんな突然姿を消すなんて不自然だ。
「分かりました。失礼します」
俺は職員室を出て、鞄を持って廊下を歩き始めた。もやもやとした気持ちを抱えながら、昇降口に向かって歩いていく。話したいことはたくさんあったのに、いざ話せないとなると何とも言えないな。
「ファイトー!」
「オーッ!」
校舎を出ると、ちょうど女子バレー部がランニングをしているところだった。ジャージを着た集団が目の前を通過していく。
「あっ、志保の彼氏だー」
「ほんとだー!」
「ちちち、違うって!!」
他の部員たちは、俺の方を見てニヤニヤと志保に話しかけていた。当の志保は顔を真っ赤にして、慌てて否定している。仲直りしただけだってのに、いったいどんな噂になってんだよ。
「がんばれよー、志保ー!」
「う、うっさいっ!」
純粋に励ましたつもりだったが、鬱陶しかったようだ。志保は顔を紅潮させたまま、そっぽを向いて皆とともに走り去ってしまった。なんだかんだ言って、こうして会話が出来るようになったのも嬉しい限りだな。落ち込んでいた気分が、少しだけ前向きなものに変わった気がした。
***
「ただいまー」
家に帰ったが、どうやら誰もいないようだった。俺は小腹が減っていたので、鞄を置いて棚からせんべいを取り出した。さて、おやつのおともにテレビでも観るとするか。
「ニュースの時間です。昨日、都内に住む六十代の男性が……」
電源をつけたところ、ちょうどニュース番組が流れてきた。この時間は他のチャンネルもニュースみたいだし、これでいいか。俺はぼんやりと画面を眺めつつ、ソファに座ってぽりぽりとせんべいを貪っていた。
「続いてのニュースです。九月に入り、最高気温は二十五度と過ごしやすい一日となりました。都内の飲食店では……」
最近は九月でも暑い日が多いってのに、珍しいな。ぼちぼち夏が終わって秋に入っていくということか。この夏はいろいろあったなあ。志保や雪美との関係を改めて振り返り、新たな段階へと進むことが出来た。これからが楽しみだな――
「えー、ここで速報です!」
その時、画面内のアナウンサーの声色が明らかに変わった。緊迫感をはらんでおり、ただごとでない何かが起こったことを仄めかしている。な、なんだ?
「先月発生した白神重工業の海外工場における大規模火災について、現地当局が『明らかなテロ攻撃である』と断定しました。これを受け、犯行グループは『更なる攻撃も辞さない』との声明を発表しています」
……は? テロ? あの花火大会の時のアレがそんな大事になっていたのか? 俺は思わず立ち上がり、さらに情報を得ようとテレビ画面にかぶりつく。
「声明によりますと、犯行グループは『白神グループの企業に対して攻撃を加え続ける』と宣言しています。近年は海外展開に注力していた白神グループですが、一部では地元住民の反発もあり……」
俺はただ呆然とテレビを眺めることしか出来なかった。画面には先月の火災の様子が流されている。「白神グループの企業に対して」とは言ってるけど、白神家の人間が標的になることだってあり得るよな。……雪美は大丈夫なのか?
俺は居ても立っても居られず、すぐさま家の電話機に飛びついた。そうだ、お見合いのときに白神家の電話番号は教えてもらったはずだよな。俺は近くの棚から番号の書かれたメモ用紙を探し出し、すぐに電話をかける。
『はい、白神でございます』
「すいません、岡本真司という者なんですが!」
『……ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
どうやら使用人か何かが電話に出たらしく、かなり俺のことを訝しんでいる。とにかく、雪美がどうしているのか聞き出さなければ!
「雪美さんの友人でして、きょう学校に来なかった理由を伺いたかったのですが」
『少々お待ちください……』
受話器からは保留音が流れ始めた。陽気な音色とは裏腹に、俺の心はひどく動揺していた。とにかく雪美の声が聞きたい。学校に来なかった理由もテロが関係しているのか? 頼む、何もあってくれるな――
『お待たせしました。メッセージを預かっておりますので、お伝えいたします』
「は、はい」
『真司さん、学校にはいつか戻ります。ですが――私にもう関わらないでください』
「……えっ?」
『以上になります。では、失礼いたします」
「ちょ、ちょっと!」
俺は相手を引き留めようとしたのだが、無情にも受話器からは「ツー、ツー」という音だけが響いていた。「関わらないでください」だと? 花火大会のとき、雪美はあんなに綺麗な笑顔を見せてくれたんだ。……それが、たったの一か月でこんなことに?
「……なんでだよ」
ソファに座り、思い切り体重を預ける。俺の心と同じように、腰が深く深く沈み込んだ。信じられない、俺の心はただただその思いで占められていた。
「なんでだよ、雪美っ……!!」
すっかり夏は息を潜め、季節が秋に移ろうとしている。それに合わせるようにして、またしても雪美は陽炎の向こうに消えていったのだった――
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