第24話 打ち上げ花火
上空には、大小さまざまな花火が打ちあがっていた。夜空が色とりどりに彩られ、観る者全てを魅了している。俺と志保は、ただただその光景を眺めていた。
「綺麗……」
「ああ……」
何を言うべきか、分からない。この三年間を清算して、前に進むための言葉。それをいかに紡ぎ出すべきなのか、全く見当もついていなかった。
「なあ、志保」
「なあに?」
「……いや、なんでもない」
「もー、なんなのよ」
志保に小突かれても、俺は変わらず空を見上げ続けていた。何から話すべきか。……元はと言えば、あの夏休みの日から始まったわけだからな。
「志保、お前はあの時――傷ついたよな」
「なによう、急に」
「あの練習の時だよ。お前のことを追い払っちゃってさ」
「……あの時の真司、一生懸命練習してたんだもんね。後から聞いたよ」
「そうだったのか」
「今思えば、私が悪かったなって。真面目に練習してるって分かってたら、無理に一緒に帰ろうなんて思わなかっただろうから」
「……ごめんな、さっきから謝らせてばっかりで」
「ううん、いいの。……私が悪いんだから」
俺たちは前を向いたまま、互いに言葉を交わした。これでいい。この際、思っていたことは全てぶちまけるべきだ。……それが、必ずしも志保の望む答えでないとしても。
「そしてさ、お前言ったよな」
「何を?」
「『私は、真司のことが好きなだけなのに』って」
「……その返事はさ、話の最後に聞きたいな」
「そっか」
上を見ると、皮肉にもハートマークの花火が上がっていた。俺たちの間に芽生えることのなかった感情。それがこの先どうなるのか、俺と志保はまるで分かっていなかった。
「あの頃さ、真司は私のことを守ってくれていたんだよね」
「……そうかもな」
「みんなにからかわれても言い返してくれてさ。でもね、あの頃はそれが当たり前だと思っていたの。……ずっと続くと思っていたの」
志保は相変わらず花火を見上げていたが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。コイツにとって、特に後悔していることの一つだったんだろう。でも、俺にだって非はある。
「……ごめん。あの時も言い返してやればよかったのにさ、お前に当たっちまったんだ。情けない話だよ」
「ううん、いいの。それより、伝えなくちゃいけないことがある」
「なに?」
「あの頃、私のことを守ってくれて――ありがとね」
「!」
今の言葉、三年前の俺に聞かせてやりたかった。それにしても――志保がここまで真剣に向き合ってくれているのに、俺はまだ何も伝えられてない。……しっかりしないとな。
「こっちこそありがとう。俺からも伝えたいことがあるんだ」
「なに?」
「俺が野球部に入らなかった理由だよ」
「! ……それ、気になってたの」
志保は花火から目を逸らし、俺の方を見た。高等部に入った後、どうして野球を続けなかったのか。その理由には、実は志保の存在が深く関わっていたのだ。
「俺がどうして野球をしてたのか、知ってるか?」
「ううん、分かんない」
「俺さ。……お前にカッコいいとこ見せたかったんだよ」
「えっ……?」
予想外の言葉だったのか、志保は目を丸くして驚いていた。しかし俺にとっては、志保の存在が野球を続ける唯一の理由だったのだ。
「お前は覚えていないだろうけど、小学生の頃に公園で野球をしてた時にな」
「えっ、そんな昔の話?」
「ああ。俺がバッターの時に、たまたまお前がやってきてさ」
「うん」
「俺、ホームランを打ったんだよ。ベース一周した後、お前が近寄ってきてだな」
「それで?」
「『真司、カッコよかった!』……って言われたんだ」
何か腑に落ちたのか、志保はハッとしていた。そう、俺はコイツのために野球をしていたのだ。ただカッコいいと言われたくて、そのためだけに。……あの頃は、きっと俺も志保のことが好きだったんだと思う。
「……それで、野球部に入ったんだ」
「ああ、そういうことだ。お前と絶交した後も惰性で続けてたんだけどな、中学最後の大会が終わったときに気づいたんだ。……もう、野球をやる意味がないなって」
「知らなかった。私、真司がそんなにっ……!」
ふと志保の顔を見ると、涙がぽろぽろと零れ落ちてきていた。俺はそっとハンカチを取り出し、拭ってやる。志保のために野球をしている――なんて大事なことを、どうして俺は伝えてなかったんだろうな。……もっと早く言えばよかった。
「でも、野球部に入って得たこともたくさんあったんだ。お前がいなければ、それもなかったからな」
「ずるいよっ、そんな今さらっ……!」
「ありがとな、志保。俺はお前に感謝しているんだよ」
「うん、うんっ……!」
泣いているんだか笑っているんだか分からないような、志保はそんな滅茶苦茶な表情をしていた。ああ、どうして今までこれが出来なかったんだろうな。この眼前の美しい花火が、俺たちの心を不思議と照らしてくれているのかもしれない。今まで話せなかった心の闇を、そっと目の前に出してくれているのかもしれない。……そんな気がした。
「……それでな、志保。一番大事な話があるんだ」
「……うん」
志保は静かに答えた。俺が今から何を言うのか感じ取ったのだろう。ずっと伝えられなかった、三年間も言えなかった言葉。それが今まさに、俺の喉から外に出ようとしていたのだ。
「ここではっきり言う。……あの頃、俺もお前が好きだった」
「えっ……!?」
志保は再び驚いた顔をして、俺の方を見た。……なんだ、志保も分かっていたと思っていたのに。意外だな。
「知らなかったのか?」
「ううん、まさかそうだと思わなくてさ。……ありがとう、すっごく嬉しい」
「そうか。でも――俺が伝えたいのは、これじゃないんだ」
「えっ……?」
「お前から『好き』だって言われて、それからずっと考えていたんだ。どうやったらお前を傷つけずに済むか、どうやったらうまく伝えられるのかって」
「……うん」
「その結果、三年も経っちまった。バカだよな、俺って」
俺は「ははは」と声を出し、バカな自分を笑い飛ばした。俺だって、仲直りのチャンスはずっと窺っていたのだ。けど、どうしても踏ん切りがつかなかった。志保の悲しむ顔が見たくなかったのだ。でも――今日こそは。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ」
「……いいよ。覚悟は出来てる」
志保は目を閉じて、深呼吸を繰り返していた。しかし不安なのか、その身体が小刻みに震えている。まるで今から説教される子どもみたいだ。俺は志保の両肩を掴み、一気に思いの丈をぶちまけた。
「……お前に絶交と言われたとき、『好き』って感情が消えたんだ。それまで志保のことが好きだったのに、ぷっつり」
「えっ……?」
志保の顔が、みるみる青くなっていくのが分かった。今にも泣き出しそうだが、俺はもう止まらない。三年間を清算するには、ここで立ち止まるわけにはいかないんだ。
「俺はあの時、一人で帰る志保のことを追いかけようとしたんだ。……追いかけようとしたのに、足が一歩も前に進まなかった」
「それって……」
「その時はっきり分かったんだ。俺――志保のことが、好きじゃなくなったんだって」
俺と志保の間で、三年間のわだかまりが一気に解消されていくのを感じた。……それと同時に、今までふわふわと浮いていた感情がどこかに固定されたのも感じた。
「ごめんな、志保。これが正直な気持ちなんだ」
「そう……なんだ。……そうだよね」
てっきり泣き崩れるかと思ったのに、志保はどこか納得したような表情だった。俺たちが無言になるのとは対照的に、周囲のカップルは花火に歓声を上げている。……と、なんだかスマホが鳴ってるな。俺は志保に気づかれないよう、そっと画面を見る。
「へっ……?」
どうやらニュースアプリの通知だったみたいだが、その見出しが衝撃的だった。俺は慌てて記事を開き、その中身を確認する。
【号外】白神重工業の海外工場で大規模火災
……俺の頭の中に、雪美の顔が思い浮かんだ。
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