第22話 夏休み突入

 期末試験も終わり、いよいよ夏休みに入った。と言っても例の花火大会以外に予定があるわけではないので、俺は自宅でぼんやりとテレビを眺めている。今日は高校野球の都大会が中継されていて、ちょうどうちの高校の試合だった。


「九回裏ツーアウト、大嶋学院追い込まれた!」


 テレビからは実況の声が響いている。五点差で九回裏、ランナーなしか。割と勝ち上がった方だとは思うけど、ここまでかな……。


「空振り三振ー! 試合終了ー!」


 そうこうしているうちに、試合が終わってしまった。選手たちが本塁を挟んで整列し、挨拶を交わしている。ああ、中等部の頃に一緒に野球をやってた連中も多いな。……俺がもし野球をやめていなければ、この輪の中に入っていたのかもしれないな。


 俺はテレビの電源を消し、ソファに体重を預けてふうと息をついた。この後はどうしようか。さっさと夏休みの宿題を片付けてしまうか、それともどこか出かけるか。暑いけど、ずっと引きこもってばかりじゃなあ。俺は軽く着替えて、街に繰り出すことにした。


「母さん、ちょっと出かけてくるよー」


 玄関から大声を張り上げ、母親に外出することを告げた。ドアを開けて外に出ると、隣の家からも誰か出てくるところ。


「行ってきまーす!」


 ……志保だ。この間の件があってからは一言も話していないから、なんとなく気まずい。さっさと出かけようとしたのだが――目が合ってしまった。


「……よう」

「し、真司……」


 てっきりキレられるのかと思ったが、志保はなんだか戸惑っていた。多分、雪美から花火大会のことは聞いているはず。恐らく、志保は志保で気まずいのだろう。


「花火大会のこと、聞いたか?」

「う、うん。雪美って良い子よね……」

「全くな……」


 俺と雪美はぎこちない会話を交わす。こんな情けない俺たちのために、雪美はわざわざ二人で出かける機会を用意してくれた。良い子以外の何物でもないだろう。


「じゃあ、俺は行くから。明後日はよろしくな」

「うん。じゃあね……」


 志保に手を振り、俺は駅の方向へと歩き出した。どこに行くと決めたわけではないが、こういう成り行きじゃ仕方ない。喫茶店にでも行くとするかね。


***


「お待たせしましたー、アイスコーヒーです」

「ありがとうございまーす」


 俺はカウンターで店員からカップを受け取り、トレーに載せた。わざわざ駅前まで来てコーヒーを飲むだけとはしょうもない気がするが、たまにはこういう日があっていいだろう。さて、空いている席はどこかな。


「おや、真司くんじゃないか」

「げっ」


 ……近くの席からイヤな声がした。振り向いてみると、そこにいたのは勉強道具を広げた美保ねえ。もう高三だから、喫茶店で受験勉強をしているというわけか。それにしても、松崎姉妹とよく会う日だなあ。


「ここの席は空いてるぞ、座りたまえよ」

「……分かったよ」


 美保ねえに促されるまま、俺は席についた。相変わらず俺のことを見通していそうな感じだな。ニタニタと笑っているし、何を考えているのかさっぱり分からない。美保ねえはスマホをちらりと見て、意外な言葉を口にした。


「どうやらうちの野球部は負けたようだねえ」

「美保ねえが野球に興味があったとは意外だな」

「なに、『好きな人』が野球部員だったものでね」

「……そうかよ」


 またその話か。俺はストローを口にくわえ、コーヒーを飲んだ。美保ねえもカップを持ち、ずずずと紅茶を啜っている。


「君がいれば勝てたかもしれないのにねえ」

「たらればの話をしても仕方ないだろ」

「そうかい、相変わらず冷たいなあ真司くんは」


 冷たいんじゃなくて、イライラしているのだ。俺が野球部をやめた理由など、美保ねえが一番理解しているだろうに。……それとも、美保ねえは俺を再び野球部に入れたいのだろうか?


「それで、真司くんは何をしに来たんだい?」

「ただなんとなく来ただけだよ」

「そうか。自由でいいな、君は」

「……なんか鼻につくな」

「あはは、愉快だねえ」


 美保ねえはいつも通りだ。さっさとコーヒーを飲み干して、本屋にでも行こうかな。こんな人と一緒にいたら調子が狂う。そう思っていたのに、美保ねえが気になることを言い出した。


「……志保と何かあったかい?」

「へっ?」


 美保ねえは参考書に目を落としたまま、鋭く俺を突き刺してくる。「何か」とはどれのことを言っているのだろうか……? この間の喧嘩のことか、それとも花火大会のことか。


「別に、何もないよ」

「そうかい? 最近の志保は少し浮かれているように見えるがねえ」

「……ふーん」


 志保が浮かれている……? まさか、花火大会がそんなに楽しみなんだろうか? 俺と絶交したっていうのに? 分からんな。


「何か思い当たる節はないのかい?」

「ないよ」

「そうかい。てっきり明後日の花火にでも行くのかと思ったんだがねえ……」


 ……どうして分かるんだ。この人はもはや理屈じゃない。きっと俺と志保の様子から感じ取るものがあるのだろうな。


「別に、関係ないよ」

「そうか。では私が家で見かけた花火のチケットは何なんだろうねえ」

「! ……分かってたのかよ」

「ああ。どうせ志保が一緒に行く相手など、君しかいないだろうからな」


 どこまで俺の先を行っているんだ、この人は。会話の主導権を握られてばかりで、ちっとも俺は自分のペースで話すことが出来ない。


「なんだっていいだろ。美保ねえには関係ない」

「つれないねえ。しかし君たちは絶交していたのだろう? どうしてまたデートの約束なんか出来たんだい?」

「……ある人の手助けだよ」

「誰だい? それは」

「言えない。じゃあ、俺はもう行くよ」


 俺はコーヒーを一気に飲み干した。今度こそ本屋に行こうかな。……けど、いつもやられてばかりじゃ癪だなあ。たまにはやり返してやらないと。


「……美保ねえこそ、なんでそんなに俺たちのことを気にしてるの?」

「どういうことだい?」

「別に俺と志保がどうなろうと関係ないだろ? なんでそんなに突っかかってくるんだよ」

「それは、その……」


 美保ねえは驚いたような顔をしたあと、急に口ごもり始めた。ちょっと意地悪な気もするが、これくらい仕返ししたっていいよな。俺はさらに美保ねえを追い詰めていく。


「なあ、俺と志保が遊びに行くのがそんなに気になるのか?」

「気になるというか、だから……」


 美保ねえの目は泳いでおり、身の置き所がないという感じである。やっぱり、美保ねえは今でもそうなんだなあ。


「俺と志保が付き合いでもしないか、美保ねえは心配なんだろ?」

「ししし、真司くん!!」


 珍しく顔を真っ赤にして、美保ねえは勢いよく席を立った。だいたい何でも出来る美保ねえだが、唯一の弱点がある。そう、俺だ。


「……君という男は、油断ならないな」

「あはは、美保ねえにも可愛いとこあるんだね」

「かっ! かわいい……」


 美保ねえは完全におろおろとしていた。いつもの余裕は消え、今は完全にただの女の子だ。……やっぱり、この人は綺麗だ。


「全く、真司くんは……」

「なんだよ、言いたいことでもあるのかよ」

「どうしてあの子たちにはこうしてあげないんだい!?」

「『あの子たち』って、何?」

「……志保たちには同情するよ」


 いったいどうして志保に同情することになるのかは分からないが、とにかくこれで美保ねえをやりこめたわけだ。俺は満足感に浸りながら、カップを載せたトレーを持って席を立つ。


「じゃあね、美保ねえ」

「ちょっと、待ちたまえよ!」

「勉強、頑張って」


 俺は美保ねえに別れを告げて、食器の返却口の方へと歩き出した。やれやれ、いよいよ明後日が花火大会だ。雪美の願い通り、きちんと仲直りしないとな――

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