Q.後輩に魅了魔法を求められたらどうするべき?

棗御月

後輩魔法使いに魅了の魔法を教えてみる



「セ、ン、パ〜イ。今日って空いてます〜?」

「空いてない」

「ウソつきですね!」


 失礼な。


 魔法使いのローブを厳しい校則の中でできるギリギリで着崩し、髪色も金に染めている生意気な後輩──ディアナ=シューベルハイム。

 俺よりちょうど頭ひとつ分小さい背丈を生かして、わざわざ近くまで来た上で下から覗き込むように見上げてくる。クリっとした目が天然物らしい長睫毛に彩られていて可愛らしい。

 ハルゲニオム高等魔法学校1年。

 魔道具開発学部の期待のホープらしい彼女は、なぜか俺に懐いている。

 新魔法開発学部のと噂される俺に。


「お前、魔道具開発学部マドガクの授業は?」

「ユーミルちゃんが教室を半壊させたので午後は休講になりました!」

「なにやってんだアイツ……」

「兄ちゃんに叱られる、って半泣きになってましたよ。今頃どこかに逃げ込んでいるんじゃないですかね?」


 魔道具開発学部は、魔力で動く道具でランタンとかを作ったり、川の水を浄化する魔道具を考案したりと新しい魔道具を研究する学部だ。よっぽどなにかを間違えない限りは教室を半壊させるような事態にはならないはずなのに。

 帰ったらまずは事情を聞いて、場合によっては折檻だな、と思いつつ。ユーミルの件で気を取られた隙にディアナが踏み込んできた2歩分だけ下がる。

 ディアナが4歩出てきて。

 俺が7歩下がる。


「あの。流石にそこまで下がられるとモヤモヤするんですが」

「要件を先に言え。新魔法開発がちょうど上手くいきそうなんだ。そっちに時間を使いたい」

「毎回変な副効果が出てアレな雰囲気になるんですし、たまには既存魔法の改良とかにしません? ……っていうか、そんなのはどうでもいいんですよ!」


 6歩出てきやがった。

 もう下がれないんだけど、どうしたらいい?


「センパイっ! お願いがあります!」

「拒否する!」

「拒否しちゃダメです!」

「お願いする人間の言うことじゃねぇ」

「しかも2つあります!」

「欲張りだろおい!」


 やばい、もう顔が目と鼻の先。

 なんでこんなに近くてもクソ可愛いんだコイツ。


「センパイ──"魅了魔法"を教えてください!」


 みりょーまほー。

 魅了魔法。

 ……常時無自覚に同等のナニカを振り撒いていそうなお前が? 魅了魔法?


「なんで……?」

「好きな人がいまして……! お願いしますっ」


 このタイミングで丁寧に頭を下げられてしまうと断れない。すぐに上がったとはいえ、90度でしっかり下げられるとどうしても文句は言いにくくなる。


 たとえ、こっちを伺うように向けてくる顔が、明らかに恋する少女のそれになっていることに気がついたとしても。日夜俺か妹のユーミルに絡んでいるコイツがいつ恋なんてしたのかということが気になっても、当然聞けない。

 クソ。



◇ ◇ ◇



 暗幕で中が見えない部屋が廊下にいくつも並ぶ。

 新魔法開発学部の1年研究棟を抜け、2年生用に準備されている個人研究部屋の階にたどり着いた。

 さっきまでの暗幕だらけの階とは違い、重厚な木の扉がたくさんある。そのうちの一室の前に辿り着いて、ドアノブに手を伸ばす。


「誰かいたりしないか?」


 新魔法は、研究が実を結ぶことは少ないが、もし画期的な改良や新開発ができればそれだけで貴族になることさえある個人財産そのものだ。2年生以上にわざわざ個別の部屋が与えられているのも、生徒ごとの個室を学校が用意してまで開発や研究を促進するため。

 そして同時に、機密性の保持は生徒同士の義務であり争いの種でもある。自室に掛ける"鍵の魔法"の独自改良が新魔法開発学部の生徒の最初の課題であり、卒業までずっと改良と進化をさせ続ける魔法だ。そして、新魔法開発学部でありながら最後の最後まで機密にし続ける珍しい魔法になる。

 戦闘系学部の奴らが日夜ドンパチしている間に、俺たちは情報戦や政治戦をしているわけだ。


 で、当然ながらそんな機密情報の塊である部屋にかけている"鍵の魔法"は、発動時に出る魔法陣どころか光、魔力の流れですら情報になってしまう。

 お互いに情報を仕入れるための監視魔法も掛け合っているものの、やはり直接目にして情報収集するに越したことはない。監視魔法対策の魔法も併用する以上どうしても情報に余分な内容が混じる。それを避けるには直接見るより他にない。

 故に、ディアナに誰も周囲にいないか確認したのだが。


「あ、これで開けれますよ」

「は?」


 ディアナが満面の笑みで取り出したのは、指輪型の短杖ワンド

 それを嵌めた状態でドアノブを握ると、いとも簡単に解錠の音が廊下に響く。


「は? は? え、は?」

「入りますよ〜」

「ちょっと待てェ!」


 スルリと部屋に侵入していくディアナを追いかけて自室に入る。

 今、目の前で信じられないことが起きた。他にも似たようなことをしている人はいるだろうけど、既存の基礎理論をぶっ壊して作ったのが俺の部屋に掛かっている"鍵の魔法"だ。似たような発想をしている奴はいるだろうけど、全く同じ発想をして完全解答の魔法陣を合わせないと、第5層まである魔法の第1層を突破することすらできないようにしているのに。

 あっさりと開けやがったな? しかも、発動をするときに魔法陣が見えるという弱点を解消した上で!


 部屋に入り扉を閉める。

 慣れた感じで適当な蔵書を眺めているディアナに詰め寄って。


「え、マジでどうやった?」

「以前この部屋に来た時にセンパイ、"鍵の魔法"の基礎に使ってる魔法陣を弄ってたじゃないですか」


 弄った。

 定期メンテとパターンの変更をするために、魔法の基底部分を少し弄ってた。


「アレ見て大体構造がわかったんで、攻略用の"解の魔法"を作って短杖ワンドに設定しておいたんです」


 クソが天才め、とか。

 基底部見ただけで攻略できるような構造にはしていないはずなんだが、とか。

 基礎理論を見ただけで攻略できてるってことは、攻略機構の魔法が設定されてるってことじゃねぇか、とか。

 そういうアレコレを全部無視してとりあえず頭を下げた。90度に腰を折って。


「その短杖ワンドを売ってくれ、言い値で買う」

「……じゃあ、これを今回教えて頂く魅了魔法の代金にします」


 あっさりと渡された指輪を握りしめる。

 これがあれば、同じ系統の理論構築をしているアイツとかコイツとかの鍵を攻略できるかもしれない……!

 というワクワク感で、今からディアナに魅了魔法を教えなくてはいけないという事実から目を逸らす。


 本人は無自覚そうだったり嬉しくなさそうにしていなかったりするが、いわゆる学園のアイドル的な人気を誇っているんだ、コイツは。学部ごとにかなり閉鎖的だったり内向的になりがちな魔法使いの学園でアイドル的人気を持っていること、どの学部に行っても顔を知られていて受け入れられるということはかなりの異常事態だったりする。

 そんな奴が魅了魔法を必要としているという事実。

 ……魅了魔法について聞かれるという時点で、明らかに対象外であるという事実。

 その両方を意図的に頭から追い出し、魔法を教える上で必要な聞き込みを始める。


 魔法使いにとってメンタリティは大切な要素だ。

 雰囲気を出すような照明に切り替えて、少し良い椅子に座ってもらう。


「……で。一応確認するけど、知りたいのは魅了魔法で合ってるか? 俺の聞き間違いとかじゃない?」

「はいっ」


 雰囲気に飲まれたのか、少しだけ緊張したような面持ちでディアナが答える。魔法使いは心の状態が魔法を左右しやすい。一定に保つか大きく動かすかは人によるが、どうやらディアナは動かすタイプらしい。


「ちなみに、もし俺に教えて大丈夫ならどんな奴を魅了したいのかだけ教えてくれないか? 魔法を掛けるにも向き不向きとかがある」

「そうですね……」


 じぃ、とこっちの瞳を見て。


「……とても鈍感な人だな、と思います。結構ちゃんとアプローチしているはずなんですけど、反応が悪いというか、そもそも気がついてないんじゃないかなぁと」

「珍しい奴だな。ディアナがそんなに攻めても靡かないなんて」

「そうなんですよ! ユーミルちゃんもどうしようもないねって呆れてて」


 なんでこっちを睨む。

 関係ないだろ。


「アイツに呆れられるのは相当だな。てか、アイツも知ってるってことは魔道具開発学部マドガクの奴か?」

「違いますよー。あとガチムチでも先生でも同級生でもないです。……えっと、センパイです」

「なるほど先輩かぁ。そうなると、後輩だからって気を遣っている可能性もあるな」

「……はぁー。ハイ、そうかもですね」


 魔道具開発部マドガクの面々をできるだけ思い出しつつ、誰にでも応用が効きそうな内容を考えていく。


 一口に魅了魔法と言っても内容としては多岐にわたる。

 精神に作用するもの、雰囲気を弄るだけのもの、体に作用するもの。相手の性質や魔法を使う本人に合わせて方法は変えるべきだ。当然、ひとつ魔法を開発したらマイナーチェンジ版の論理も組み立てることになる。


 ……読心魔法を作ろうとしたらできた精神高揚魔法だの、治療魔法を進化させようとしたらできた発情魔法だの、透過攻撃魔法と作ろうとしたら出来た透視魔法だののせいで、新魔法開発学部の変態などという不名誉なあだ名を付けられているわけなんだけど。それでもできた魔法にプライドはあるから、中身の研究をしたりある程度仕様に幅は持たせるようにはしている。

 今から教えようとしている魅了魔法だって、本来は別の魔法を開発していて生まれた副産物とか副作用を研究した結果として生まれただけ。せっかくそれっぽい効果ができたから完成させただけで、そんなものを作ろうとしたわけじゃない。


 ──余談はさておき。

 その人ができる手法の中で、最大限に効果がある方法を取らせるということが大切なわけだ。できる限りはその人が一番実力を出せる方法に合わせたい。


「ディアナの魔法を使おうと思うと、やっぱ光魔法を使うべきだな」

「光魔法、使えるんですか?」


 ディアナは魔道具作成の腕もさることながら、光魔法と水魔法の高位な使い手でもある。

 その中でも光魔法は魔法使い全体で見てもかなり希少。これを活かさない手はない。


 ディアナが得意としているのは、光魔法と魔道具を組み合わせた特殊ワンマンアーミー戦法だ。

 火属性なら赤や白、橙。水なら光が乱れたり曲がる。そういう属性ごとの特徴に応じて自動発動する魔道具をばら撒きながら、自分は特定の波長の光を遠隔投射することで思い通りに魔道具を操作して、自動と手動の両方で波状攻撃をする。

 その戦いっぷりの過激さと派手さ、そして対策していないとディアナの独壇場のままあっさりと押しつぶされることから、ワンマンライブ戦法とまで呼ばれている。


 そんなディアナの魔道具作成士としての極致たる魔道具が特殊カラーコンタクトだ。

 極薄の特殊な透明シートを使って作られている。

 層になったコンタクトはそれぞれの部分が別の光に反応するようになっていて、ディアナが魔法で出す特定の光に反応して魔法陣を描き出すようにできているらしい。

 手も使わず、魔法陣の大きさは最低限。発動速度は光と同等。しかも用意する魔法陣次第で、持っている光や水以外の属性の魔法も使いたい放題。特定の波長の魔法を発動するだけで多種多様な魔法を数瞬ごとに連続発動できると言うのが強みの戦法だ。

 擬似魔眼、と本人は呼んでいるソレに魅了魔法を組み込めば、バレることなく魔法が使えるはず。

 ……ということを説明すると。


「それって、センパイにも効きます?」


 などというよく分からない質問が飛んできた。


「俺は原理を知ってるから、効果はあるだろうけどタネを知っている分だけ効きにくいと思うぞ?」


 という当然の回答をする。

 なんだかメチャクチャに不満そうだ。一応の弁明をしておく。

 不本意で生まれた魔法であってもプライドはあるのだ。


「あのな、俺が有名だからってこんな魔法はホイホイ広めないぞ。ディアナが誰に使うのかなんて知らんが、タネがバレていて効かないなんてことはまず無いから安心しろ。ついでにタネを知っていようが作用するから魔法なんだ。雰囲気を変えるやつとかだと難しいかもだけど、魅了魔法なら効かないってことはないぞ」

「たぶんですけど、タネの問題は気にしなくていいと思います。タネを知っていようが知らなかろうが、たぶん鈍感すぎて効きが悪いと思うんで。全部効果があるなら、一番効果が高い魔法でお願いします」

「……よっぽどだな、ソイツ。あのユーミルにどうしようもないって言われるくらいだしなぁ」

「そうなんですよー」


 椅子に座ったまま腕を組み、じと、と目を見てくる。

 なんだ、さっきから。


 しかし、一番効果が高い魔法か。

 魅了魔法は他者の心を動かしてしまう魔法だ。それこそ物語に出てくるような魔女の魔法しかり、サキュバスのような特別な種族でもない限り、代償なしに行うということはできない。

 しかも雰囲気作りや身体的な作用を呼び起こすものでもない限り、分野が一気に変わって呪いの範疇に入ってきてしまう。呪いを掛ける側も掛けられる側もまともで済まないことが多い。

 かく言う俺も、偶然生み出してしまった最初の1回、検証と理論構築のために効果を最大限に削った上で途中で切り上げた3回以外では使っていないような魔法だ。

 当然のように呪い解除の反動があったせいで初回は完全にダウンした。酷い目にあった。


 ユーミルとディアナが呪いを打ち消してくれなかったら半月は魔法が使えなくなっていたに違いない。


 という諸事情はさておき。

 とりあえず、効果最上級を望むのならあの呪いをおいて他はない。


「あの呪いならたぶんどうにかできるぞ」

「やっぱりあれになりますかー……。ちなみに、あれの反動の研究とか、条件の緩和ってできました?」

「できてない。っていうか、そもそもそれだけ研究をするのはマズそうだからやってないな。呪いの強さは注ぎ込む魔力の量で調整する古風式で、効果はほぼ調整できん。バレて解呪されたら反動を受けるだろうけど、まあバレんだろ」


 そもそも心をどうにかしたり洗脳するタイプの魔法は基本的に禁忌扱いされている。

 俺が発見した魅了の呪いだって、俺自身が開発者であり、危険検査のためという名目で限定的に使用が許可されていただけ。最低限の危険調査が終わった後は、学園長か俺が許可を出さない限りは教えることも使用もできない。

 今回の件だって、ディアナのお願いでもなければ教えなんかしない。


 あの時助けてくれたディアナか、ユーミルのお願いでもない限り。


「……そういえばさ」

「なんですか?」

「最初の時の呪いってどうなったんだろうな?」

「ングっ」


 うめきながら視線を逸らしたディアナに疑問の目を向けつつ、ぼんやりとあの時のことを思い出す。


 新魔法開発学部の同級生に頼まれていた、体臭が相手の好きな香りになる魔法を研究していた時に事は起きた。

 開発中の魔法陣に書いてあった"相手"と"好き"という文言だけが暴走し、呪いに変質してどこかへ飛んでいってしまった。意図せず、制御をされていないまま誰かと俺が呪いで繋がれてしまったようで。

 俺の魔力をドカ食いしながら誰かを呪い続けた魔法は、最終的に魔力枯渇で動けなくなり死にかけていた俺を見つけたディアナとユーミルに強制的に呪いを解除して助けてもらってなんとか収束をしたわけだけど。

 あの時の呪いは、暴走していたとはいえ確実にに呪いはかかっていたわけで。


「俺は暴走した魔法に取り込まれていたから分からないけどさ。相手の方は俺が好きになる状態になっていたわけじゃん。つまり、あの時魔法にかかっていた相手だけは俺が魅了魔法を使ったことに気がついてはずなんだよなー。誰にも文句を言われたりしなかったし、そもそも俺がくたばってたから言われても反応できなかっただろうけどさ」

「だ、誰なんでしょうねー?」

「迷惑掛けてたら謝りたいんだよなー。今までなんにも言ってこないってことは大丈夫なんだろうけど」


 制御の文をギッチギチに書き込んだ2回目以降はそういう暴走は起きていない。

 最終的に制御をほぼ完全に握れるようになったところで研究は一旦お蔵入りした。


「ちなみにセンパイ、呪いが掛かる条件については研究しました?」

「ん? してないけど。制御できるようにだけして研究は終わったな。それでも効果はお墨付きだぞ?」

「そうなんですねー。……ならいっか」


 安心したように息を漏らすディアナ。

 今日はずっと挙動不審だな、コイツ。


「まあ、呪いの解説はそこまで気にしないでいいんですよ。早く魔法を教えてください」

「いいぞー。じゃあ、魔法陣と制御方法、あと掛け方だけ教えるな?」


 暴走した時とは違ってもう制御はできている。

 当初は"発動者に対して一番恋愛的感情を持っている人"に自動的に掛かってしまう仕様になっていた。恋愛感情を基準に発動し、その感情を大幅に強くすることで強制的に好きな気持ちが膨れ上がる呪いだ。

 今では掛ける対象を選べるようになっているから、どれほど自分に向けられている気持ちが小さかろうが、本人が気がついていなかろうが関係なく、恋愛として自覚的に好きになるまで膨れ上がるようになっている。

 そんな魔法の掛け方は、至って単純。


「魔法をかけたい相手に告白をしてくれ」

「はぇ……!? な、ななな、なんでですか!?」

「制御をするためにも魔法の効果を安定させるためにも必要なんだよ」


 暴走をしている時限定の暴力的な効果は消えた。

 相手の感情を引き出す効果を発動する上で、暴走させず安定して効果を出すには、対面で向き合いながらを意識させるに越したことはない。

 つまり、後者裏だの伝説のモミの木だのに呼び出して雰囲気を作る。

 それだけでも意識は少なからずしてしまうだろう。その上で告白をして、頭を下げた時にでも擬似魔眼で魅了魔法を使えばいい。


 そもそもの話、素直に告白をするだけで大体の相手は落とせるくらいには容姿も評判もいいのがディアナという人間なわけで。


「お前の場合、告白するだけでオーバーパワーなんだし。魔法まで使えば過剰すぎるくらいだろうから、相手を廃人にしないように威力は最小限でやるんだぞ。ただでさえお前が告白するってだけでほぼ確実に成功するんだし。魔法も使えば負けなしだろ」


 ほれ、と魔法陣を記録した紙を渡してやる。

 すっかり熟知しているディアナの魔力の波長を検知して、記録してある立体魔法陣を投影する魔法紙だ。これをどうにかコンタクトレンズに仕込めば告白失敗はありえないだろう。


 しかし、小さい頃からユーミルとバカをしていたり騒いでいる姿を見ていたあのディアナが彼氏持ちか。ここまで心配したり魔法を欲しがる理由は分からないけど、なんだか一歩先に行かれてしまったような、見守ってきた雛鳥が巣立っていくような、不思議な気持ちだ。

 心の中だけでホロリと涙をこぼす。人は心が老いると体も老いるらしいけど、今日だけで5歳くらい老いたような気分だ。

 変な感傷に浸っていると、緊張した感じで魔法紙を受け取って懐にしまったディアナは満足したのか、続けて別の話題を振ってきた。

 曰く。


「……話題は変わるんですけど。さっきお渡しした短杖ワンド、あれって隠密学部に依頼されて作ったものなんですよ」

「一気に物騒なものに思えてきたな。隠密学部だと?」

「はい。なので、本題はこの魅了魔法なんですけど、どちらかというと今日の副題というか、わざわざセンパイの部屋にまで入りこんだ理由はこっちなんです。鍵の魔法の抜本的な変更をしないとマズいですよ、というお知らせをしに来たんです」


 隠密学部。

 名前通り隠れて動くこと、あるいはそのことに関わる魔法を研究している学部だ。

 この学校では多岐に渡る学部が存在し、そして学生同士で積極的に交流することを求められている。新魔法開発学部の俺が魔道具開発学部マドガクのディアナと仲良くしているように。そして、俺が同級生どころか先輩後輩関係なく同級生の隠密学部生に依頼をして研究成果を奪取せんと動いているように。

 基本的に内向的であろうが、協力をしないと研究発表もなにもできないという事情もありはする。

 魔道具開発学部マドガクにいるディアナも隠密学部から依頼を受けることもあるのだろう。確かに、面倒なところで魔道具を頼れたら一気に戦力価値が上がりそうな奴らではある。


 そんな隠密学部に、ディアナが作った"解の魔法"が込められた魔道具が流れた、だと。


「おい、今すぐ鍵の様式を変えないとプライバシーとか秘密とかいう概念が全部消えるんだが……!?」

「だから、それをお知らせに来たんですってば! 最初にお願いが2つあるって言いましたよね!?」

「言ってたけど! ……って、が2つ?」

「はいっ」


 さっき、コイツは鍵の魔法の抜本的な変更をしないとマズいということをにきた、と言った。

 しかし今日ここに来た最初の理由はお願いが2つあったから、らしい。

 いくつか用意してある鍵の魔法の改訂案を脳内でグルグルと比較検討をしつつ、ディアナがしようとしているお願いとやらについて警戒をする。

 魅了の魔法などという特級に変なものを所望した目の前の後輩が、2つ目のお願いでなにを求めるのか。

 撃龍魔法を作れとか、理想の彼氏を錬成する魔法を寄越せって言われたら土下座案件なわけだが。


 警戒している俺に、緊張したようにディアナが続ける。


「既存の鍵の魔法は私が意味を消しました。……というか、鍵に主流の魔法理論などというものがある時点で脆弱性そのものなので、悪人が開発するより先に開発できて良かったな、と思っているぐらいではあるんですが」

「まあ、それはそうだな。新理論は俺たちが作ればいいし、作り手が増える方が堅牢性も上がるしな」

「期待していますよ、センパイ。本格的に解の魔法が出回るのはもう少し先だと思いますけど」

「俺は鍵の魔法の制作依頼でガッポリできるチャンスでもあるしな。……こんちくしょうめがよぉ」


 需要が増えるということは依頼が増えるということ。

 依頼が増えるということは無茶な話も増えるということなわけで。

 報酬は増える。作れる貸しもある。やっと返せる借りもある。

 ただ猛烈に面倒臭いというその一点を除いて、理想の状況ではあるのだ。自室のドアに掛ける鍵の魔法は当然、依頼されて作ったモノとは違う方式にしないといけないし。

 ディアナのことだ。恐らく隠密学部に納品してすぐに知らせに来てくれているのだろう。本来は、隠密学部に情報料を買い叩かれながらどの形式の鍵の魔法が解除されるようになったのかを探らないといけないところだが、これもディアナが短杖ワンドをくれたことで解決している。


 であれば、俺がするべきなのは新規理論の"鍵の魔法"の開発と自室への適用だ。


「センパイが今なにをしようとしているのかは分かります。次の鍵の魔法をどうしようか、ですよね?」

「そうだな。できるだけ早く……今夜中にはどうにかしないとな」

「であれば、こういうのはどうでしょうか」


 ディアナが複雑な形の鍵を取り出した。

 一般的な平面の鍵じゃない。円柱に幾つもの棘をつけたような、複雑な形の立体鍵だ。

 ドアノブごとオーダーメイドをしないといけない、高額な一点モノだろう。これをフルオーダーするだけでいくらかかるのか。

 そんな代物を俺に差し出して。


「2つ目のお願いです。これをこの部屋の鍵にしてください。立体式の鍵を基軸にした魔法ならそうそう破られないと思いますし」

「そりゃまあ、そうなんだけど」


 世の中の物事は大抵、色々と技術が進めば進むほど、対策が回れば回るほど「基礎が強ければ強い」という結論に帰着していくものだ。


 開けられたくない扉があったら開けられなくしたらいい。あるいは己を鍛え上げて、馬鹿力の持ち主でもないと開けられない重すぎる扉にしてしまえばいい。

 反対に、どうしても開けたい扉があれば周囲の枠や建物の別の位置を壊せばいい。

 惚れさせたい相手がいたら、素直に関係構築をして告白をしたらいい。


 技術者の端くれだからこそ、ディアナが提示してきた方法の確実性がわかる。

 魔法の鍵の安全性が怪しいなら、物の模倣をしなくてはいけない上に再現が難しい形状の物理鍵を理論の中心に据えたらいい。魔法だけの鍵、あるいは平面鍵を基軸にした魔法鍵への対策は効かなくなる。


 ただそれは、それをするだけの労力をかけたい人間だったり、財力がある人間のすることなわけで。

 ディアナの顔を見る。真っ赤になりながら顔を逸らしていた。


「なんでこんなものを準備してまで……? フルオーダーの時間とか考えたら、まあまあ前から準備してないと無理だろ」

「それは、その。……そうなんですけども。私にも利益があることですし」

「利益ぃ?」

「はい」


 それ、とディアナが俺の手に渡ったばかりの鍵を指で差して。


「片方はスペアキーです。私の、です」

「え、なんで?」


 俺の部屋の鍵の話をしているのに、なぜディアナ用が必要なんだ?

 という疑問を素直に顔と口に出すと、ディアナが信じられないとでも言うような表情で控えめに叫んだ。


「〜〜〜〜分かりませんか! なんで! 私用のスペアが必要なのか! ユーミルちゃんの分すら用意しないで私とセンパイの2人分だけにしている理由が!」

「ごめん、マジで分からん。魔道具開発部マドガクの研究発表に使うサンプル集めか?」

「ちっがいます!」


 ディアナが真っ赤になって机を叩いた。

 べち、と鳴るだけの可愛らしい台パンではあったものの、普段は感情が行動に出ることがないだけに意外でびっくりしてしまう。

 どうやらかなり必死になっているらしい。勢いのまま行ったれ、という変な吹っ切れの香りもする。


「……私とセンパイ以外の人をこの部屋に入れないで欲しいんです」

「元から誰も入れる気は無いんだけどな。ディアナとユーミルはなんか普通に出入りしてるだけで。あとは一時的に同盟を組んだ奴くらいしか入れないけど」

「じゃあ言い換えます。私だけはOKして欲しいです。自由に休んだり研究したりしに来たいですし、センパイに構ってほしくなったら来たいですし、そういう特別な理由がなくてもここに居ていいっていう許可が欲しいんです」

「お、おう……?」


 なんだろう。

 たぶん核心的なことを言われているんだろう、ということは分かる。ただそれがなんなのか、全く見当がつかない。掴めそうで掴めない感覚が絶妙にモヤモヤする。

 俺が内容を掴めていないことが分かったのだろう。ディアナは椅子から立ち上がって、出入り口の方に歩いていく。どうやら言うだけ言って帰るつもりらしい。

 そして、ドアの前で振り返って、真っ赤なままの顔で。


「……ここまで言ってもたぶんダメだろうなぁ、とは思っていたので。センパイでも分かるように言い換えます」

「すまん、頼む」

「今日のところは帰りますけど。頑張って鍵の魔法を完成させたら、そのスペアの方は明日のお昼休みに校舎裏のモミの木の下まで持ってきてください」


 校舎裏のモミの木。いわゆる、よくあるジンクスで使われる伝説の木だ。

 ……そこで行われることなんてひとつしかない。


 ディアナはさらに続けて、さっき渡した魅了魔法の魔法陣を取り出して叫んだ。


「私もこの魔法、今日中に擬似魔眼に組み込みます。明日のお昼にセンパイに鍵を貰う時にお披露目しますから。私が告白したらほぼ確実に成功するんですもんね! 魔法も使えば負けなしって言いましたよね! 本当にそうだったか後で教えてくださいね!!」


 それじゃ失礼しますっ! と、言い残して逃げるように去っていった。


 居心地の悪い静寂が部屋を包み込む。ディアナが2つ目のお願いをし始めたあたりから止まっていたような気がする呼吸を再開して、部屋の隅にあるクローゼットに視線を向けた。

 これまでの間でそのクローゼットに怪しいところはない。

 でも、そこに向かって声をかける。


「……ユーミル。いるんだろ」

「いないですよ、お兄ちゃん。ユーミルは今日も魔道具の開発を頑張っていますので、お兄ちゃんの部屋に逃げて泣いてたりなんかしません」

「頑張ってたけど爆発させた、学長が怖くて俺の部屋で泣いてた、が真実だろうが」


 容赦なく開け放つと、膝を抱え込んで座っているユーミルがいた。

 目の当たりには泣いた跡がある。まあ、だいぶ前から涙自体は引っ込んでいたんだろうけど。

 怒られるかも、とビクビクしているけど正直構っていられない。さっきのディアナのことの方が大変だ。


「なあ、どうしたらいいと思う?」

「自分の魔法、自分の発言、自分の鈍さを甘んじて受け入れるべきだと思います。年貢の納め時ですよ」

「そんなに言う?」

「普段からこれくらい言ってません?」

「言ってるなぁ」


 ようやく立ち上がったユーミルは、呆れたという感情を隠しもせずに見上げてくる。


「第一、お兄ちゃんは魅了魔法が最初に暴走した時のことを深掘りしていなさすぎます。相手方から苦情が来ないからと放置してるとは。お兄ちゃんの魔力が枯渇するまでずっっと感情を昂らせられた相手のことをどうお考えです?」

「……なんだよ、相手を知ってるみたいな言い方して」

「知っていますよ。あの時お兄ちゃんを助けたのは誰だと思っているんですか」


 呪いが暴走した時。

 魔力枯渇で動けなくなった俺を助け、復調するまでの間に手を焼いてくれたのは、ユーミルと──。


「危ないからと深く研究をしていないようなのでお伝えしますけど。暴走状態にあった魅了魔法がした呪う対象の選定は、お兄ちゃんに一番そういう感情を持っていた人、という基準でされていました。"相手"と"好き"の文言だけが暴走したら、まあそうなりますよね」

「……それでディアナに?」

「一応言っておきますけど、呪いにかかる前からディアナちゃんはお兄ちゃんのことを好きでしたよ。そのおかげで呪いにかかっても、呪いを強制解除しても後遺症なしで生きられています。後ろめたく思う要素は魅了魔法に関してはありません」


 俺の脇を通り過ぎ、ディアナの後を追うように出口へと向かっていく。


「ですが、取るべき態度や責任があることくらいは──いかに鈍感でニブニブでどうしようもないお兄ちゃんでも分かりますよね? あんなに好き好きオーラ全開の子を袖にし続けたんですから、最後くらいは覚悟を見せてください」


 これで明日行かなかったら、もうどこにも足を向けて寝られない人間になってしまうことは確実だ。

 覚悟を決める。なんとしてでも今日中に新機軸の"鍵の魔法"を作り上げて、明日ディアナに渡さないといけない。


「それでは。結果は聞かなくても分かりますが、報告くらいはくださいね。あと、ディアナちゃんは私の大事な友人なので、泣かせたら許しませんから」

「おい、待て」

「なんですか?」


 言いたいことだけ言って去っていこうとするユーミルを捕まえる。


「ドサクサに紛れて逃げようとすんな。学長室いくぞ」

「やだやだ許してくださいお兄ちゃんあの鬼婆に怒られるのはゴメンなんです許してくださいやだやだ!」

「くっそ暴れんな! 今から新魔法を一晩で作らなきゃいけない人の手を煩わせるんじゃねぇ!」


 このアホを取り押さえて学長室に叩き込むまでに20分。

 新魔法構築とドア付け替えに5時間。

 その他雑事も含め、すっかり夜と朝が入れ替わった頃にようやく最低限の作業が終わり。


 翌朝の昼過ぎ。

 伝説の木の下に、目の下にクマだらけの冴えない2人がぎこちないやり取りを交わして──。



 不器用に、それでも幸せそうに、微笑み合っていたとか。


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