十二 解決
「ところで、添田さん。あなた、みつさんが殺された日は風邪で寝込んでいたそうですね。でも、その日に病院に行っていなかったじゃないですか。なんでも、銀行の方の話によれば、毎週水曜日に持病の病院通いをしていると訊いたのですが」
中也の小林への頼みごとは、添田が勤める銀行への聞き込みだったのだ。添田の銀行は、烏丸通りに面した赤い煉瓦壁に花崗岩の白い横縞が入った重厚な建物だった。
そこで小林が行員から仕入れた情報によると、添田は毎週水曜日病院へいくと休みを取っていた。そのかかりつけの病院もつきとめ話を聞きに行くと、添田の意外な病名を聞き出した。
「添田さん、あんた。馬アレルギーなんだってな」
「馬アレルギー? なんですか、それ」
小林が口にした病名に、何も知らない秋吉が聞き返す。
「馬アレルギーは、馬の傍に寄るとくしゃみや目のかゆみ鼻水が出る。予防法は、馬に近づかないこと。僕の父は昔軍医をしていて、軍馬に近寄ると必ずくしゃみをする兵隊さんがいたそうです」
中也は子供の頃父親に訊いたこの話を動物園で思い出し、みつが馬の前で待ち合わせした理由は馬アレルギーを持った犯人じゃないかと推理したのだ。
添田はみつが殺された翌日、風邪をひいたと言ってマスクをつけていた。アレルギーの症状は風邪とよく似ている。
「たしかに、私は馬アレルギーやけど、それがどうしたんや」
「水曜日、どこに行かれたんですか? ひょっとして動物園で馬の近くに行き、翌日鼻水をたらしてたんじゃないですか?」
「違う! 水曜日は風邪をひいて寝込んでたんや。つらくて病院にも行ってない!」
「まあ、そう言うよな。こちらも、証拠はないし」
小林は早々に降参したが、中也が補足する。
「でも添田さんは毎週水曜日に通院していると、銀行の方におっしゃっていた。けれど病院に確認すると、以前通院されていたけれど最近は来ていないとか。じゃあ、あなたはいったい毎週水曜日、何をしていたんです?」
中也の追及に、添田は口ごもる。
「そ、それは。みっちゃんと会ってて」
「嘘をつくな! おまえは、みっちゃんと付き合ってもいない。つけ回してただけだ!」
添田はみつと付き合っていたと言い、秋吉は違うと言う。どちらを信用すべきか。両者の言い分を正しく判断できるのは、みつしかいない。
添田と秋吉の睨み合いで膠着する空気の中、中也の芝居がかった悲し気な声が流れてきた。
「添田さんは、本当にみつさんのことをお好きだったのですね。ならばもう一度、みつさんと会ってみたいと思いませんか?」
見ると中也の眉間には皺が寄り、感傷にひたる美少年の趣である。その同情に引きずられてなのか、添田は中也の提案に食いついた。
「そら、みっちゃんに会えるんやったら、もう一度会いたいに決まってるわ。一目みっちゃんの顔を……」
懇願する添田を横目に中也は立ち上がり、壁際のデスクに歩み寄る。デスクの上に積まれた山のような書類の影から、マリオネットをつかみ上げた。
「これからおもしろい芸をご覧に入れましょう。添田さんは目をつむり、大好きだったみつさんの顔を思い浮かべてください。できますよね」
中也は念を押すように、可憐なほほ笑みを添田に向けた。すると添田は恍惚とした表情を浮かべ、細い目をふわりとつむる。
「みっちゃんは私の前ではいつも控えめな態度で、かわいらしくはにかんでくれたんや。その顔が愛しいて。彼女のためならなんでもしてあげたくなる。カフェーの仕事もやめて、ずっと私の傍にいて欲しいと思てたんや」
添田の瞼の裏には、記憶に残る生前のみつの愛しい姿が映っているのだろう。熱っぽい声を出し、みつの思い出に浸っている。
しかしその姿に水を差すように、中也は十字の棒を持ちマリオネットを操り出した。十字の棒を中也が捻るたび、糸が引っ張られたりたわんだりして、マリオネットの手足が動き踊り出す。
可愛くも滑稽な踊りに合わせて、中也があの台詞を歌う。
「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。さあさあ、聞かせておくれ、寺島みつ。生きている間には言えなかったことを。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」
軽快に踊っていたマリオネットは、ピタリと動きを止めた。代わりにみつの声が、どこからともなく聞こえてくる。
「怖い……この人が怖い……」
内臓を絞り出すような、恐怖の言葉。戯れに語られる恋人同志の痴話げんかの台詞には、とうてい聞こえない。添田は閉じていた目をカッみひらき、マリオネットを睨みつけた。
小林の目には赤いとんがり帽子の鼻の飛び出たマリオネットにしか見えないが、添田にはみつの姿が映っているはずだ。
それなのに、その目に愛おしさは微塵も感じられない。添田が睨んだところで、マリオネットの語りは止まらなかった。
「やめて……やめて……付きまとうの、やめて……。ずっと見張られてる。怖い、怖い……。誰か……誰か助けて!」
マリオネットは、生前隠されていた本音をもらす。今語られた添田への恐怖は、語られることのなかったみつの本音なのだ。添田は目をそらし続けてきた真実を知り、その唇が無様に震え出した。
「なんでみっちゃんは、私のこと好きになってくれへんのや。着物もぎょうさん
添田の慟哭が、深夜の探偵事務所の床に澱のように溜まっていく。
「あんた、悪い噂を流し彼女のことがんじがらめにして、支配しようとしてたのか」
小林の追及を添田は否定する。
「支配? 違う。愛してたんや。愛したら、全部がほしいやろ。ひとり占めしたいやろ?」
添田は小林に同意を求めたが、小林は否定も肯定もしなかった。その代わり、中也が淡々と添田の罪を暴いていく。
「みつさんはあなたから逃げたくて、探偵に助けを求めていたなんて知らなかったのですか?」
「そうや。あの日、後付けて動物園に行った。みっちゃんは、私に馬アレルジーあるの知ってた。男と逢引きするのに、私が嫌がるようなこんなところをわざと選んだんやと思うと腹が立ってきて。それで後ろから声かけたんや」
みつは動物園なら、馬アレルジーの添田は入ってこないだろうと思ったのに。逆に添田の怒りを買うことになるとは、皮肉なことだ。
小林が思わず目をつむると、瞼の裏にみつの死に顔がよみがえった。小林は今更ながら後悔する。みつは自分に助けを求めてくれたのに、助けるどころか目と鼻の先で殺されてしまった。
俺はいつもそうだ。肝心な時に、傍にいてやれない。誰も救えない。
小林の悔恨など知るよしもなく、添田の懺悔は続く。
「みっちゃんは、私の姿見るなり逃げ出して。話聞きたいだけやのに逃げ出すなんて、絶対男やと確信した。やから、後ろから羽交い絞めにして植え込みに連れ込んだ」
うつむいていた添田の顔は、ぱっと上げられ宙を睨む。その視線の先には、みつの逃げる後ろ姿が見えているのだろうか。
「話聞くだけやったのに、みっちゃんが探偵に頼んであんたをどうにかしてもらうて言うから。探偵まで雇うなんて。そんなに、そんなに、私から逃げたいんやて思たら……」
話を聞くだけなら、ナイフなど所持していない。添田はみつを脅すためなのか、はたまた殺意があったのか。
小林は追及したい気持ちになったが、それは刑事の仕事だと口をつぐんだ。そんな小林に代わって、中也が添田に引導を渡す。
「あなたが殺したんですね。みつさんを」
中也の問いに、添田は激しく首を振り始めた。
「私が悪いんちゃう。みっちゃんが悪いんや。思わせぶりに、優しくしてくれたり。かわいい顔みせてくれたんやから。私のこと好いてくれてるんやって……」
それまで黙って聞いていた秋吉が、口を開いた。
「あのカフェーはそういうところだろ。お客さんに愛想を振りまくのは、女給の仕事だ。客はそんなこと百も承知で、彼女たちとの会話を楽しんでるんだ。あんたみたいな人は、ああいう店に行くべきじゃなかったんだよ」
「わかったようなこと言うな、学生のくせに! みっちゃんは、私が付き
「マスターに言われてたんだよ。客の機嫌を損ねるなって。それに、みっちゃんは方言がぬけきらなくて、みんなの前で話すのが恥ずかしかったんだ」
「恥ずかしいって、劇団に入ってたくせに」
添田は自分の行為を正当化しようとしているが、秋吉はそれに怒りをぶつけることなくみつの気持ちを代弁する。
「舞台の台詞はきめられてる。なまらないよう、必死で練習してたんだ。あんた、そんなことも知らなかっただろ」
どちらが本当のみつを知っていたか、もうみつに訊かなくても明らかである。
「ほな、みっちゃんが本当に好きやったんは、おまえなんか?」
添田はもう、敗北を認めているのだろう。秋吉に、とどめを刺して欲しい口ぶりだ。
「いいや。おれたちは同郷の仲間だ。恋愛なんてしてないさ。そんな感情がなくても人は信頼し合える」
「なんやそれ。わけわからんわ。男女の間には色恋しかないやろ」
添田にとって、男女の間の友情など成立しないものなのだろう。しかし、人は性別を超えて分かり合える。みつの頼みごとをきいた秋吉の献身の動機は、純粋な友情からだったのだ。
添田は自分の思い描く、みつの表と裏の顔が最後まで理解できなかったのだろう。ふらふらと立ち上がり、出口に向かって歩いていく。
その後を小林が追いかけた。
「あいつを、岡崎署まで連れて行ってくる。もう、抵抗はしないだろう」
そう言い残し、小林は添田の腕を取り事務所から出て行った。
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