十 再び、カフェー敷島

「みっちゃんのお葬式、無事終わりました。小林さんも、来はったらよかったのに」


 新京極通りにあるカフェー敷島で、アサは前回と同じなでしこ色の銘仙を着て猫なで声で言った。


「そうは言っても、俺も忙しくてね」


 小林は幾何学模様のカップを持ち上げ、琥珀色の芳香豊かな飲み物を口に含む。砂糖もミルクも入っていないコーヒーは、目が覚めるほど苦かった。


 ちらりとカウンターの中へ視線を走らせると、蝶と薔薇柄の銘仙を着た詩織が小林に流し目をよこした。


「探偵さんって、どんな仕事なん?」


 ぽっちゃりしたアサに比べやせ型の詩織は、ことのほか華やかな銘仙がよく似合う。小林と女給たちとの会話を、忌々しそうな顔をして例の三高生の三人組が聞いていた。


 その中の一人、おしゃべりな坊主頭の川越が小林に変わって返答した。


「どうせ、人様の裏側を嗅ぎまわるような仕事に決まってるさ。まっとうな職業とは言えないよ」


 この学生たちはよっぽど暇なのか、それともサボっているのかここに入り浸っているようだ。そんなモラトリアム人間に、自分で稼いでいる大人はいちいち腹を立てる道理がない。


 小林は、余裕の笑みを浮かべ大きく頷いた。


「まったく。因果な商売さ。嘘も平気でつくしね」


 小林はもう一度、コーヒーを口にふくむ。


「この間、君たちに言った、みつさんの依頼の手紙なんだけど、あれも嘘だったんだ」


 自慢話でもはじめるのかと思っていたのだろう。川越は、きょとんとした面持ちで確認する。


「嘘だったって。あんた、みつさんの調査してたんじゃないのか?」


 小林は恥ずかしそうに、こめかみをかいた。


「実は俺、まだ見習いなんだ。手紙が来たのはうちの所長にさ。所長の奴、みつさんの手紙をわざわざ、デスクの鍵付きの引き出しにしまったんだ」


「へえ、それはよっぽど重要な手紙ってことじゃないか」


 川越がかけていた椅子から、小林の方へ向かって身を乗り出す。


「そうだろ。だから、所長より先に俺がみつさんの依頼を解決しようと、このカフェーに探りにきたんだ。見事解決したら、探偵にしてもらえると踏んだわけだ」


「小林さん、見事解決できたん?」


 アサが、かわいらしい甘えた声で訊いてくる。


「いいや。ここのカフェーの人たちは口が堅いから、何にもわからなかったよ」


 そう言いながら、小林はまたカウンターの中を伺うと、詩織のほほ笑んでいた顔が、少しだけ崩れていた。


「そうさ。人の悪口を言うもんじゃないね。僕はこの京都に来てしみじみ感じたよ」


 京言葉をしゃべらない川越は、さも自分も口が堅いと言わんばかりに仲間に同意を求めた。他の二人はさすがに苦笑いを隠し切れない様子だ。


 実際川越がペラペラとみつの悪口を言って、小林に情報を提供していたことを覚えているのだろう。


 自分のことを棚に上げ、恥じらいもない学生の川越なぞ、中也に比べればかわいいものだ。


 まあしかし、川越のこの考えなしも、ひょっとして演技かもしれないからな。


 小林は一瞬油断しそうになった気持ちを引き締める。人は誰しも、裏の顔を持っているものだ。


 小林は視線を川越からアサに移す。


「アサちゃんも、みつさんがいなくなって寂しくなっただろ。住み込みは君ひとりになったんだから」


 小林の気遣いに、アサは大げさに両手を胸の前で組んでみせた。


「おおきに。そうなんです。今までほとんどみっちゃんといっしょやったさかい。うち寂しゅうて」「まあ、元気出して。犯人は必ず捕まるから」


 小林はそう言うとカップの底に残ったコーヒーをグッと飲み干し、テーブルにお勘定をおいた。


「ごちそうさま」


「また来てな。小林さん。うち待ってるさかい」


 アサがお勘定を取るふりをして、小林の手に触れた。


「あっ、そうだ。まだこの店に添田さんは来る?」


 アサは期待していた台詞を小林が言わなかったので、頬をふくらませる。


「へえ。来はりますよ。みっちゃんはいてへんでも、ご贔屓にしてくれはるみたい」


「そう。じゃあ、謝っておいて。みつさんのお葬式に行けなかったこと」


 小林はそう言うと、手をあげて店内から出て行った。色ガラスのはまった木製のドアの外では、中也が待っていた。


「首尾はどうでしたか?」


 ふたりは並んで歩き出す。背の高い小林と、その肩あたりまでしか背丈がない中也は、傍から見ると兄弟に見えるだろう。


「ああ、ぬかりなく餌はまいておいた」


 ふたりは、兄弟らしくない策謀を巡らしていた。


「では、我々は魚釣りの準備でもしましょうか。遅いですよ。早く行きましょう」


 中也は真っすぐ前方を見て、少し遅れた小林を急かす。


「まったく、おまえは大した奴だよ」


 カフェーでの小林の会話は、中也が筋書きを考えた、犯人をあぶり出す芝居だったというわけだ。


「しかし、芝居の筋を考えるのも、なかなかおもしろいことですね」


「おやっ、中也は詩人だったんじゃないのか?」


 ここ数日、作戦を考えるのに中也としょっちゅう会っていた小林は、親し気に中也と呼んだ。


「詩も芝居も、人間を表現するということは変わりないのかなって」


「それじゃあ、小説でもいいじゃないか」


「あっ、そう言えばそうですね」


 ここまで言い、中也は一呼吸おいて追いついた小林へ視線を投げた。


「いや、やっぱり詩に限ります。そもそも僕は短歌を新聞に投書していたんです。地方新聞ですけど、みごと掲載されたんですから。短歌は好きだったのですが、型にはめるのが煩わしくて」


 少年らしく自尊心をさらけ出す中也に、小林は茶々を入れる。


「へえ、ほんとに地方新聞か? 学級新聞の間違いだろ」


「秀平さん、生意気ですね。僕がいなければ、今回の事件も解決できなかったくせに」


「いやいや、俺もいろいろ動いただろ。だからこそ、こういう運びになったんだ。走り回って情報集めたのは俺だからな。忘れるなよ」


「まあ、まだ完全に解決してませんけどね」


 水を差され、小林はぽりぽりとこめかみをかく。


「そうだ。まだ、これからだった」


 ふたりは軽口をたたくというよりもじゃれ合うようにして、新京極通りを北へ向かう。


 向かう先は、三条富小路の探偵事務所だった。

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