第33話:愛の歌
──黄金宮にて。
「フィアメール様!」
……ずっと付き添ってくれた従者達が泣いている。一人一人にお礼を言いたけれど、そんな体力はもう今のフィアメールには残っていなかった。
宮廷治癒師にはもう治療はいらないときっぱり断っている。自分の身体のことは自分が一番分かっているからだ。
もう自分は力尽きる。
目を瞑り、瞼の裏に思い浮かぶのは愛しい人だ。この世でフィアメールが最も愛した男。そして……最愛の息子たち。
涙がこぼれる。嗚呼、最期にもう一度だけでも会いたかった。フィアメールは唇を噛み締めた。
その時、だった。
「母上っ!!」
ドクンッと弱っていた心臓が一気に跳ねる。都合のいい幻聴かと思った。
だが、あんぐりと口を開ける侍女たちの視線につられてみると……
「ライゼル、」
「母上、すまない。ずっと目を背けていてすまない。余は……」
震えながら、手を伸ばす。慌ててライゼルがその細い手をとった。
せっかく願いが叶ったのに、肝心の息子の顔が涙で見えない。
「ライゼル! 来てくれたのね……」
ライゼルの後ろにはソノラがいた。
「ソノラさん。貴女がライゼルを連れてきてくれたのね。頑固なこの子を、貴女が……。本当にありがとう」
フィアメールがそう言うと、ソノラは微笑みで返し、一歩下がった。
ライゼルが細いフィアメールの手を力強く握り締める。
「母上。嫌だっ、頼む……。余を残して行かないでくれ……余を、一人にしないでくれ……っ!」
ライゼルの熱い体温に触れてどれだけ自分の身体が冷えているのか実感する。
フィアメールは優しくライゼルの頬に触れた。
「泣いては駄目よ。貴方はもうこの国の王なんだから」
「だがっ」
残酷なことを言っているのはフィアメール自身も理解している。
だが、それでもライゼルにはフィアメールの死を乗り越えてもらわねばならない。この国の全てが彼にかかっているのだから。
それを確認して、フィアメールはようやく全身の力を抜いた。
「ドミニウスに光あれ。貴方の未来をいつまでも見守っているわ、ライゼル。……愛してる」
フィアメールの瞼が閉じられる。部屋のあちこちから嗚咽が漏れた。多くの従者達に囲まれて、“賢母”は、フィアメール・ドミニウス・モルドラックは息を引き取ったのだ。
彼女の最期の顔はとても幸せそうで……とても美しかった。
***
二日後、王城にてフィアメールの葬式が行われた。本来なら国中の貴族を呼んで行うべきだが、フィアメールの希望もあって、ライゼルと王城の従者だけでひっそりと行われた。
ただ、賢母として慕われていた彼女を見送りたい貴族達が多かったのだろう。国中の大勢の貴族達の髪が一房ずつ、王城に送られてきた。これは遺体と共に残された者の髪を燃やせば、髪が一つに結ばれて、その者の魂を天国へ導くという言い習わしに倣ってのものだろう。
また王族の遺体と共に代々受け継がれてきた炎魔法の炎で燃やすことになっている。つまりライゼル自身の炎でフィアメールを見送らなければいけないのだ。ライゼルは真顔でフィアメールの棺桶を撫で、ゆっくりと黒炎を宿らせた。
その時の彼は背を向いており、葬式に参列していたソノラには彼の顔が見えなかった。
「皆、今日は母上を見送ってくれたこと感謝する。ゆっくり休んでくれ」
棺桶が燃え尽きた後、彼はなんでもないような顔で炎帝を演じていた。
その頃に雨が降り始め、王妃候補達はそれぞれの宮へ帰ることになる。帰宅途中、ソノラは雲で覆われた雨空を見上げる。炎帝として泣くことができないライゼルの代わりに空が泣いているように感じた。
***
その日の深夜、寝室にいたソノラはなかなか眠れないでいた。
「やっぱり、陛下に会いに行きましょう」
フードを被り、ミリナとリリーに内緒で音宮を出ようとしたソノラだったが、すぐ目の前にライゼルがいて飛び上がる。
「ライゼル様!? どうして! ずぶ濡れじゃないですか!?」
「ソノラ、」
ライゼルの目元が赤い。ソノラはひとまず彼を音宮に入れ、ミリナ達が干してくれたふかふかのタオルで彼を覆う。
大人しくされるがままのライゼルの身体は酷く冷えていた。
「風邪をひいてしまいます。すぐに着替えをもってきますわ!」
「…………」
「きゃっ!?」
腕を引かれる。ソノラはいつの間にかライゼルに後ろから抱きしめられていた。
「君まで、いかないでくれ」
「ッ!!」
大柄な身体が震えている。とても炎帝だとは思えない。大きな子供のようだった。
ソノラは我慢できずに振り向き、泣いているライゼルの両頬を己の両手で包んだ。そして……
ソノラは、歌う。
ライゼルが信じられないような顔でソノラを見る。
「その、歌は……!?」
「フィアメール様が作った子守歌ですよね。生前、教えてくださいました。ライゼル様がお腹にいた時に、よく歌っていたと」
「……あぁ、そうだったな……」
ライゼルが俯く。そして嗚咽と共に、こぼれた綺麗な雫が彼の足元を濡らした。
ソノラはそんなライゼルを前にフィアメールの言葉を思い出す。
──『この先、ライゼルが挫けそうな時は貴女があの子の安らぎになってあげて。お願いね、ソノラさん』
そう、ソノラはこの歌と共にフィアメールの想いを託されたのだ。
ソノラは自分が子守唄を覚えるよりも、フィアメール自身の歌声を録音することも提案したが、彼女はきっぱりとそれを断った。
今なら、その時のフィアメールの意図が分かる気がした。そして同時に、その意図の重さをずっしりと実感した。
(……フィアメール様。安心してください。貴女がライゼル様を愛した証は私が必ず忘れません。そして私が、
しばらく子守唄を繰り返していると、ライゼルがフラフラと頭を揺らした。ソノラはゆっくりとそのまま彼の身体をソファに寝かせる。ようやく緊張の糸が解けたのだろう。
安らかな彼の寝顔を見守りながら、ソノラはライゼルの緋色の髪を撫でる。
「……おやすみなさい、ライゼル様。いい夢を」
***
──一方その頃、雷宮にて。
「お姉様、一体どうしたの?」
突然ボルテッサに雷宮まで呼び出されていたエアリスは機嫌が悪い彼女に首を傾げた。
「さきほど私がライゼル様を慰めて差し上げようと王城に向かったら、あの堅物の側近になんて言われたと思う!? 『ライゼル様は既に静かな場所でゆっくりと休んでますのでご安心を』ですって! 絶対いつもの音宮に決まってるわ! あの地味女、なんて抜け目のない!」
ボルテッサは髪を掻きむしり、傍にあったティーカップを壁に投げつけた。カップは鋭い音を立てて、砕け散る。
「ライゼル様はあの女に騙されているのよ! あの、下品でずるがしこい魔女め! 私だって!! 私だって……あの御方を心の底から愛してるのに……ッ」
次はわんわんと子供のように泣くボルテッサ。そんな弱気な彼女が見れるのもエアリスの前だけだろう。
……だからこそ。
エアリスはぎゅっと拳を握り締め、可哀想なボルテッサを抱きしめた。
「……大丈夫ですわよ、お姉さま。私達に任せてくださいまし」
「私達?」
いつの間にかボルテッサの後ろには従者のコランがいた。
彼はエアリスが連れてきた優秀な従者だ。ボルテッサの我儘も難なくこなす上に顔がいいため、ボルテッサも気に入っている。
そんなコランは怪しい笑みを浮かべた。
「ご安心を、ボルテッサ様。心配しなくても、王妃選定はすぐに中止になりますよ」
「……どういうこと?」
「それはまだ秘密よ! でも、きっとお姉さまが幸せになる未来にしてみせるから、待っていてね!」
エアリスは自信満々にそう胸を張って、ボルテッサの手を優しく握り締めた。
ボルテッサは戸惑ったが、可愛い妹分がそう言うならと己の中にうまれつつある微かな違和感に気づかないフリをした……。
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