第31話:闇の力

「ソノラ!!」

「えっ」


 背後からマリーナの叫びが聞こえてきたと思ったら、ライゼルに強く腕を引かれた。

 ソノラはそのまま地面に尻もちをつき、わけが分からないまま顔を上げると──


「ライゼル、様?」

「っ──」


 ライゼルの左腕が、黒獅子に噛まれていた。ソノラは思わず両手で己の口を覆う。血が、牙が突き刺さったライゼルの腕から溢れてソノラの目の前の床に血だまりを作っていた。


「燃えろ!!」


 ライゼルは瞬時に左腕を囮に右手を突き出し、その手のひらから黒炎を放った。黒炎は獅子の目を焼き、もがく巨体を燃やし尽くした。獅子の悲痛な吠え声と共に、黒い灰がはらはら舞い落ちる。戦いは一瞬だった。

 

「怪我はないか? 強く押してしまってすまない」


 話しかけられたことで、ソノラはようやく我に返った。


「あ、あ……わ、私のことよりも!! 陛下が、陛下の、腕が! ち、血が……はやく治療を!!」

「あぁ、案外大したことはない。それよりも君が無事でよかった」


 ライゼルはそうニコリと微笑むが、おそらく嘘だ。今こうしている間にもポタポタと鮮血がライゼルの足元に滴り落ちている。

 だが、彼は腕の傷などないかのように、冷静にマリーナを睨んだ。


「──マリーナ・アクアリアを捕えろ!」


 騎士達がたちまちマリーナを取り囲み、複雑な魔法陣が編み込まれている縄で彼女を拘束した。縄は拘束した者の魔力を封じ込める魔道具だろう。

 そんな状況だというのに、マリーナは未だにソノラから目を離さず、明らかに殺意を向けてきていた。


「マリーナ嬢。君は今、影の使い魔を召喚したな? それは“闇魔法”のはずだ。水魔法使いの君が使えるものではない。……ソノラのイヤリングを盗んだのも君か?」

「……。……えぇ、陛下。おっしゃる通りです。私は今闇魔法を使いましたし、ソノラ様のイヤリングも盗みました」


 ソノラは唇を噛み締める。胸がズキリと痛んだ。


(せっかく、マリーナ様と仲良くなれたと思ったのに……)


 そんなソノラの反応を楽しんでいるかのように、マリーナはクスクス笑っている。


「ある御方に教えてもらいましたの。闇の力の使い方」

「ある御方、だと? 誰だ?」


 ライゼルが厳しい口調で尋ねるが、マリーナはただ微笑みを返しただけだった。

 彼女が俯くと髪がサラリと下に流れ、そこから覗く目玉がギョロリとまたソノラの方へ戻ってくる。とても不気味だった。


「ソノラ・セレニティ。この力でアンタを殺せなかったことが心底残念だわ。このまま終わると思わないことね? どうせアンタも、陛下も、もうすぐ──」


 マリーナがそう言いかけた時だった。彼女の細い身体がガクッと折れ曲がる。口から大量の血が吐き出された。周囲にいた数名が悲鳴を上げる。

 血を吐きながらも、マリーナはまたソノラを睨みつけた。


「どうして……どうしてそこまで私を憎んでいるのですか?」

「決まってるじゃない。アンタは私の欲しいものをすべてもってるからよ」


 マリーナは唇から垂れる血をぺっと吐き出し、ニヤリと口角を上げる。


「そうね。どうせ私はここで終わりだもの。あのクソじじい共を道連れにしてやるのも悪くないわ」

「なにを、」

「アクアリア家は魔力の強い子供を産むために何をするか知ってる?」


 突然嬉々として語りだすマリーナにソノラは困惑するしかない。ソノラの返事を待たずに、マリーナは話を続ける。


「母親の命を生け贄にする闇の儀式よ。私はね、母親と──そして同時に産まれるはずだった双子の弟を生け贄に魔力強化された人間なの」


 ポタ、ポタ……。次第にマリーナの鼻からも血が流れだす。

 そうして彼女は力尽きたのかそのまま己の血で塗れた床へ倒れた。



「……あぁ、私は二人分の命を犠牲にしても、この程度なのね……」



 その呟きは自分への嘲笑が混じっていた。

 それを最後に動かなくなるマリーナ。一番に動いたのはセラだ。セラは真剣な表情でライゼルを見上げる。


「陛下! 私は今から先に彼女を治療します! 構いませんわね!?」

「頼む」


 ライゼルの返事を聞いた瞬間、セラの治癒魔法が始まる。

 対してソノラは何もできなかった。身体の力が抜けており、起き上がることもできない。

 そんな彼女に手を差し伸べるのはライゼルだ。


「君が気にすることではない」


 その一言だけポツリと落ちてきたので、ソノラは「ありがとうございます」とだけ弱弱しく返した。


 その後、すぐに親交パーティは中断され、ソノラは音宮にて待機と命じられた……。




***

 



「フラン。早く目を覚まして。貴女の明るい笑顔がないと、私……」


 その夜、音宮にて。ソノラはフランの手を握る。あんなことがあって、眠れるわけがなかった。


「貴女を襲ったのはおそらくマリーナ様よ。でもマリーナ様もあんなに壊れてしまうくらい辛い過去を抱えていて……。私は、どうすればよかったのかしら……」


 今でも、血を吐きながらもソノラを睨みつけてくるマリーナの顔が忘れられない。じわりとソノラの視界がだんだん歪んだ。

 ……と、ここでノック音が聞こえてきた。


「ソノラ様。よろしいでしょうか」


 声の主はフランの代わりに黄金宮から派遣された侍女のうちの一人──ミリナだ。

 フィアメールの厚意により、フランが万全の状態になるまで音宮の家事を担ってもらっていた。


「どうしたの?」

「ライゼル陛下がいらっしゃっております。客間へお通ししておりますが……」


 ソノラは顔を上げた。今は深夜だ。まさかこんな時間にライゼルが来てくれるとは思わず、涙が引っ込む。

 ひとまずフランの世話をミリナにお願いし、急ぎ足で客間へ向かった。


「ライゼル様!!」


 呼べば、客間のソファに腰を下ろしていた彼はすぐに振り向いた。

 ソノラは我に返って一礼し、ライゼルの左腕を見る。黒獅子に噛まれた腕だ。


「腕の傷は……!!」

「この通りだ。王宮治癒師によってすっかり治っている」


 ライゼルは笑顔で左腕をブンブン振ってくれた。ソノラは胸を撫でおろし、改めて礼を言った。

 そして、ライゼルの向かい側のソファに腰かけ──ずっと気になっていたことを尋ねる。


「……あの後マリーナ様はどうなさったのですか?」

「セラ嬢のおかげでなんとか一命はとりとめた。だが……どうやったかは知らないが、本来使えないはずの闇魔法を強引に使った副作用が酷い。彼女がこれ以上魔法を使ったら死ぬだろうと報告を受けている」


 マリーナは生きている。その報告にソノラはホッとした。


「それで、彼女の処遇の方はどうなるのでしょう?」

「あの後すぐ、アクアリア家から今回のことはマリーナ嬢の独断であることを主張した文が送られてきた。そして彼女を勘当すると。要するに切り捨てだな。彼女を心配するような言葉は一文もなかった」

「…………、」

「そういうわけで、彼女はひとまず地下牢にいてもらう。容態が安定すれば尋問なりして処遇を決める。ちなみに当たり前のことだが、今回の王妃選定は失格とする」


 ソノラは胸を抑えた。

 

 ──『……あぁ、私は二人分の命を犠牲にしても、この程度なのね……』


 そのマリーナの言葉が脳内で再生される。その言葉にこめられた彼女の想いを想像してみると、焼けるような悲しみが押し寄せてくる。

 マリーナが謝罪にと音宮を訪れた時、彼女はソノラの弟であるアルトの声を聞いた。闇の儀式の話が真実だとすると……彼女はその時、どんな想いを抱いたのだろう。


 ──『アンタは私の欲しいものをすべてもってるからよ』


 そう忌々しそうに吐き出した彼女の気持ちが、ようやく理解できた気がする。

 沈黙がソノラとライゼルの間に佇んでいた。

 

「……茶を淹れよう。君は座っていてくれ」

「え? あ、いえ……そ、そういうことは私が!」

「余が、君のために淹れたいのだ。いつも余が不安な時は君が癒してくれただろう。その礼だ」


 ライゼルがそう言ってソファを立ち上がろうとした時──新たな嵐が、音宮に吹き込んできた。


「ソノラ様!!」


 ノックもなしに入ってきたのはミリナと同じく黄金宮から派遣されている侍女のリリーだ。彼女は確か、一旦黄金宮に戻ると言っていたが──リリーの瞳から零れる大粒の涙に、ソノラは嫌な予感がした。


「──い、今、黄金宮に戻ったら……ッ! ふぃ、フィアメール様の病状が急変して、危篤状態だと……!!」


 ソノラはすぐにライゼルの顔を見た。


「母上が……?」


 顔を青ざめて、ただただ呆然と立ち尽くす彼がそこにはいた。

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