ーージュウゴーー

第56話

「一体、どこにいたっていうんだ?」


 僕はあたりを見渡して、そこにいた女の子に声を掛けた。


「陸さんは研究室で倒れていました。その後、今までこの病室で十五日間も眠っていたんですよ」


 女の子は当たり前のように僕の名前を口にして説明をしていったが、僕にこんなに綺麗な知り合いはいなかったと思う。


「……君は、誰だい?」


 僕がおぼつかない表情で質問すると、その女の子は静かに目を閉じて答えた。


「私は…………、いえ、私のことはどうでもいいのです」


「どういうことだい?」


「陸さんには私ではない大切な人がちゃんといるじゃないですか」


 そう言った女の子はちょっと切ない表情をして部屋を出ていった。


「……大切な人?」


 取り残された僕は一人で何もわからず、誰かが戻ってくるまで不安感が解けなかった。


 さっきの女の子が戻ってきた、


「あっ……」


 ……と声を掛けようとしたが、戻って来たのはさっきの女の子ではなく、別の女の子であった。


 見た目は双子と言えるくらい似ていたのだが、僕はその二人が別人であると悩むことなく一瞬で認識することが出来た。


「陸、なの……?」


 僕は聞かれたので、そうだ、と頷いた。


 すると、その女の子は僕の前までやってきて、僕の手を優しく握りだした。


 汗が滲んだ女の子の掌を感じて、緊迫した雰囲気に包まれる。


「なんで私なんかのことを、こんなに大切に想っていてくれたのさ……。五十年も、忘れないでいてくれたのね……。陸の五十年は私にとっての数時間なのに、どうして?わかっていたはずでしょう? 私だって勿論、陸と離れたくないとは思っていたけど、なんで陸は人生を削ってまで私に会いに来てくれたのさ……。もう、陸ったら……、私は嬉しいよ?でも陸の方はさ……」


 その女の子は僕を見て、途切れ途切れに呼吸を乱しながら、泣き声を言葉で隠すように泣いていた。


 最後は耐えきれなかったのか、ダムの水が溢れるようにその女の子は僕の前で崩れ落ちて泣き出した。


 僕は……、何かを……忘れている……?


 何かを、忘れてしまったのか……?


 僕は混乱しながら目の前で泣いている女の子を見て、とても落ち着かない気持ちになった。


「どうやら、陸はワクチンの開発をも成し遂げてくれたようね……。研究室にあったワクチンをティファが保管してくれていたのよ。今だとまだ間に合うと思うの、ありがとう。あなたは本当に人生を捧げて使命を全うしてくれたのね。私は、そういうところに魅力を感じたのだと思うの……。一途なあなたの行動と勇姿はいつまでも忘れないわ」


 その女の子……、いや、涼香の、必死な表情を見ていると、僕の胸は熱くなって全身が滾って、燃え尽きそうなほどの気持ちになった。苦しいとか辛いとかそんなのは既に通り越していて、形容できない別の感情に包まれていた。


火傷するような熱い涙が目の淵に溜まっていて、知らぬ間に、それが一気に溢れてきて頬を伝って、膝を覆う布団をどんどん濡らしていく。


「涼香、やっと会えてよかった。僕はもう……」


 ふと、僕は口にしていた。


思い出した瞬間、他にも何か言おうとしたのだが、苦しさのあまり言葉を詰まらせたまま声が出なかった。


 涼香は僕の瞳を見つめて言った。


「陸が生きていてくれて本当に良かった。ありがとう」


 僕はその瞬間、どんな相手でも誰も敵を作れなくなるような、自然で優しい涼香の本当の笑顔を見た。


 僕は思い出した。


 この五十年の間、涼香の笑顔だけを求めて、使命を果たすことを決めて生きてきたのだ。


 僕が涼香を思い出すことが出来たのは、限りある僅かな時間だけだった。


 その間、涼香は僕の思い出すことのできる範囲の記憶を一つ一つ、丁寧に汲み取ってくれて、ゆっくりとコミュニケーションを取ろうとしてくれた。その心のこもった行動は僕の心の中に幸福感を充満させてくれた。


 僕の体温が下がっていくたびに、涼香は強く強く僕の手を握ってくれた。


「陸、やっぱり、陸は、この子と一緒にいるべきなのかもしれない……ね」


 涼香はそう言って、僕の手を離して、奥へ行き、またあの女の子を連れてきた。


「?」


 僕は涼香がなぜその女の子を連れてきたのかわからなかったが、その女の子は涼香に言っていた。


「どうしてですか?」


「いいの、ただ陸と一緒にいてくれるだけでいいの。ティファは、それだけでいいの。ほら、ちょっと外へでも行ってきたらいいじゃないの。良い天気だよ」


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