第42話

 ティファは思いもよらぬ事実を告げた。


「涼香はタイムトラベラーとして現代にやってきて、私を作り上げました」


「なんだって?」


 ティファの言葉を聞いた僕は、直ぐに理解できず、疑問の渦に呑まれそうになった。


「陸さんの知っている涼香という人物は、未来人のタイムトラベラーであり、私を作り上げた開発者なのです」


 ティファは信じてもらおうと、もう一度言う。


 涼香はティファを作り上げた開発者だとか、タイムトラベラーであるとか、一気に伝えられて、ただ困惑する以外できなかった。


「私の右耳の裏側を見てください。涼香が私を作り上げた証拠の印があるはずです」


 最初は何を言っているかわからなかったが、僕は言われた通り、ティファの右耳の裏を見た。ハッとした。ティファの耳裏にはSUZUKAとローマ字で小さく印されていたのだ。


 信じることが困難でも、刻まれた印を見て、真実を知った僕はしばらく黙りこくってしまった。


 衝撃的な事実を知った時、人間の語彙力は著しく劣るが、まさか、言葉を失うまでとは思わなかった。


「涼香がティファを開発したとして、どうして自分とそっくりなモデルを作り上げたのかはわからないが、涼香は未来人であり、ティファを作り上げた張本人であることは事実なんだよな」


「はい、そうです。そこで、それを踏まえたうえで、陸さんに見ていただきたいものがあるのですが、良いですか?」


「何?」


「……私の見ていた涼香です」


 ティファは部屋の白壁に視線を止めて、目から光を出して、プロジェクタのように白壁に映像を映し出した。


 白壁には懐かしい涼香の姿が映った。


「……涼香じゃないかっ!」


 と、思わず声を張ってしまった。


涼香は自分が撮られていることに気が付いていないようだが、これはティファ自身が偶然見ていたものの記録か何かなんだろうか。


 涼香はティファの設計に相当こだわっているようで、ティファの細部までしっかりと見つめていた。


 涼香がティファを凝視すればするほど、僕は涼香と目が合っていると思い込んでしまい、感極まってしまった。


 涼香は椅子に座ってティファ本体をいじりながら独り言を言っていた。


「ティファ、聞いてー。今日は彼に初めて手料理を振舞ったんだけど、予想以上に喜んでくれてとても嬉しかったの。また作ってあげたいんだけど、今度は何にしようかなぁ」


 ティファと一方的に話す涼香の表情は穏やかで楽しそうだ。


 また、こんなことも言っていた。服装が違うから別の日の言葉なのだろう。


「聞いてよ聞いてよ、今日は大切な人の話なんだけどね。彼って鈍感だから気付いてないと思うけど、彼が思っているより、私は彼のことが本当に、本当に好きなんだよね。彼の魅力に惹かれていく自分がはっきりわかるの。彼とずっと一緒にいたいのが本音なんだけどね、私には任務があるし、時空の狭間での恋愛は危険だってわかっているし、このまま帰らないで未来を変えすぎるわけにもいかないんだよね。未来をヘンに変えない範囲での微調整が大切で、このまま未来へ帰ることができて任務も果たせていたら、それは素晴らしい事なの。私は過去に残ってはいけないとわかっているからティファを作ることにしたんだけど、もう少しで完成するし、期待していてもいい? 私は帰っちゃうけどティファが私の代わりになって彼を元気付けてあげてね。さて、あと少し頑張らないと」


 僕は知らなかったが、涼香はずっと、しっかり大切に想ってくれていたんだ。健気で素直な涼香が映像で映っていて、プロジェクタを通して涼香の一方的な台詞を聞いていると、僕は涼香に告白されている気分になった。


 知らなかった涼香の一面を知れたことと、涼香の想いを理解した僕は、映像越しの涼香を見て、思わず涙してしまった。


 白壁に映っていた涼香の映像が消える。


「私は本当に何にもできないです。ましてやアンドロイドには不必要な自己意識なんて贅沢に考えて、陸さんを悩ませたり困らせたりするばかりで、本当に出来損ないのアンドロイドです。うまく支えてあげれず、すみません」


 ティファは謝ったが、僕はそんなの望んでなんかいなかった。


 涼香の気持ちを汲み取ったうえで、ティファのことを出来損ないと罵ることは僕には到底出来ない。


ティファという存在は、涼香が僕を想ってくれていたから在るのだと思うと、僕はティファが存在しているだけでありがたいと思えた。


「無理なんかしなくても、ティファは存在しているだけでいい。涼香がこの世に残してくれたのはティファだけであって、僕はたった三か月の記憶しか残ってなかったんだ。そして僕の知らなかった涼香をティファは教えてくれた。それは僕にとって本当に勇気づけられて、生きる意味を教えてくれたようなものなんだ」


 目の前にいるティファとしっかり向き合っていこうと思ったが、僕はまだ僅かに揺らいでいた。


「でも……、涼香が未来人ってなると、僕はもう涼香には会えないということなのかな」


 やっぱりそれは悲しすぎた。


「また涼香に会えるかもしれません。最低でも陸さんを知っている涼香に再会するならば、タイムトラベルから戻ったばかりの涼香に会うと良いでしょう。それでも涼香にとっては光線のような一瞬に過ぎません。ですが陸さんは会うことが出来るまで、ただひたすら待ち続けることになるのです。私が出来ることとすれば、それまで陸さんの傍にいることくらいです」


 考えるまでもない。


 そんなの何年後になっても待ち続けるに決まっている。僕の意志は固かったが、その間に体を悪くしたり事故に遭ったりしないように、心と体を大切にして生きていかねばならないと、それだけがプレッシャーではあった。だが、ティファと共に暮らせるのであれば、僕はなんとかやっていけそうなんだけど……ね。


「涼香とまた会えるのなら、僕はいつまでも待ち続けるに決まっている。それに、どうやら今となってはティファの存在は、なくてはならない一つになっているようだしね。ねぇ、調査を終えたら僕たちはどうなっているのだろう」


「どうなっているのでしょうね」


 今回のカナガワの調査を終えたら、ティファは離れて行ってしまうのだろうか。


 僕はティファと共に、涼香との再会を待ち続けていたいと思い、続けて言った。


「なあ、涼香はどうして未来からやって来たんだ?」


 僕は言いながら、ポケットに入れていたタバコに手を伸ばしかけたが、おっと、ここは禁煙室であった。


「……実はさっきの涼香の映像には続きがあるのですが、それがこちらです」


 ティファはもう一度白壁の全体に視線を向けて、瞬きを一つして目から光を放った。


 光が反射して、白壁にもう一度涼香の姿が映る。


「一体どんな映像が見れるというんだ」


 僕はもう一度、白壁の映像に集中した。


「これは……」


 さっきと同じく、画面越しに独り言を言う涼香。なんだか見てはいけないものを見ている気分だ。だが、それ以上に気になって仕方がなかった。


「私は五十年先の未来からやって来たんだけど、その未来といったらウィルスに汚染されていて、住めたものじゃないの。惑星移住を考えた研究も始まっているらしいけど私は反対。やっぱり故郷が恋しくなるじゃない?そんな時、未来の地球を予言する重要な論文をたまたま見つけたの。その論文は随分古くてちぎれちゃったりして読むのにとっても苦戦したわ。それでも私はその論文を無理やり解読したけど、どうやらその論文には続きがあったの。気になって仕方がなかったから、その論文を作った人に会って、未来を変えるきっかけを作ってほしいと思ったんだけど、その論文を作った人が彼なんだよね」


 画面越しの涼香がティファを見つめて話しながら微笑んでいる。つまり微笑む涼香と僕は目が合っているということ。


 今、僕は涼香を物凄く感じることができていると思う。


 時空を隔てて、間接的に僕たちは今、見つめあっているのだ。


「未来を都合よく変えるためには精密で慎重な調整と行動が必要で、私一人でタイムトラベルをする勇気は到底なかったの。だから同じ惑星移住反対派の研究者の友人と一緒に五十年前にやってきたの。私の役目は未来を予言した論文の完全版をいち早く手に入れて、仲間へ渡すこと。そして、その論文を手にした仲間は、過去の技術者に論文と共に進化した技術を提供することなのね。論文はもう手に入ったし、仲間にも渡すことができて、私はもうそろそろで帰らないといけないんだけど……、彼を一人にさせてしまうのはどうしても悲しすぎるから、私の代わりに、私に似たアンドロイドを作ってあげようと思ったのね。でも、これで本当に彼は辛くならないで済むのかな……。完成も急がないといけないけど、人間と錯覚するくらいの精密な構造を作り上げないと……」


 そう言って、涼香は画面の外へ隠れていってしまった。


 それでも、僕はまだ涼香を見ている気分であり、目の前で話していた涼香が、実際に存在しているような感覚に陥って、思わず言葉を失った。


 涼香が未来からやって来たその理由を聞いた僕は、涼香は本当に未来人だったんだ、と強く思い知らされた。


 涼香が僕に未来人であることを伝えなかったのは、きっと必要以上の望まないタイムパラドックスを生み出さないためだったのだろう。


 だが、そうなるとすれば、涼香はとんでもない誤算をしていることになる。


ティファの存在は場合によっては未来を大幅に変えてしまうかもしれない。それを考えると、ティファは作られるべきであったのか否か分からなくなってしまう。


 だって、涼香は、僕のためだけにティファを作ったということなんだろう?それって……。


 ティファは涼香の想いだった。僕が悲しまないために、僕を想って作ってくれた。どうしようもない気持ちになった。僕はティファと会ってから、見るたびにずっと涼香と重ねてしまい当惑していたが、涼香はティファの存在が僕の心のよりどころになればいいと考えていたのだと思う。


 僕の中で、ティファに対しての見方が少しずつ変わっていく瞬間を感じていった。


 なんていうか、ティファを受け入れないというのは、涼香の気持ちを理解しないで突き放してしまうような感覚で、ティファのことは涼香を想うように大切に接していかなければならないと思った。だって、涼香がそれを望んでいたのだから。


「涼香は毎日陸さんの話をしてくれていました。陸さんの話をするときはいつも楽しそうで、私にとっての唯一の楽しみを貰っていました」


 映像を映し続けながらティファは言った。


「それでも、やっぱり涼香は、未来に帰るまでの使命をどうしても果たさなければいけないと思っていたようです」


 ティファは言葉の後に、再び、違う日の涼香の映像を映し出した。


「…………うっ……うぅっ…………」


 僅かに不規則な息使いをする涼香が映った。涼香の目の縁から川のように頬を伝って落ちていく悲しい涙。何もしてあげられず、ただ見ているしか出来ないのが物凄く辛かった。


「やっぱりつらいなぁ……。彼とまだ一緒にいたかったなぁ……、なんて、そんなのティファに言っても、どうにもならないって、わかっているんだけどね……」


 悲しい涙を零したまま涼香が言葉を詰まらせている。とても苦しそうだ。一瞬だけ止まった涙だが、話し終えた後の沈黙が、また涼香を泣かせてしまうのではないかと思い、僕はそれを見ていて不安で苦しくて仕方がなかった。


 辛いよ。どうしてそんな顔をするのさ。涼香、君には笑顔が一番似合っているっていうのに。


 思わず映像の涼香に話しかけてしまう。


 うぐっと、顔を歪ませて、涼香はまた泣いてしまうことに耐えている。


「僕もまだ涼香と一緒にいたかったんだ」


 数秒後、涼香は耐えきれないという様子で、途端に大粒の涙を零して、苦しさを耐えるように続けて話をした。


「……タイムマシン弐号に帰還システムなんて付けなければよかった……、なんて今更思ってしまうわ……。元々、未来に存在していたのは、私の祖父が開発した、一回過去へ戻ったら帰ることのできないという帰還システムの付いていないタイムマシン壱号だけだったの。壱号の機能は一回タイムスリップするともう元の未来へは帰ることができないという、片道切符のようなシステムで、おまけにタイムスリップをする代わりに未来の記憶を抹消されてしまうという高難易度でおかしな設定が構築されていたの。祖父は自分で作ったタイムマシンに乗って、それ以来帰ってきていないんだけどね。残されたのはタイムマシン壱号の残機とタイムマシンのプログラム情報だけ。私はタイムマシンを使いたかったけど壱号を使うことを躊躇してしまって、自分でタイムマシン弐号、そう帰還システムの付いたタイムマシンを研究して開発を成功させたの。弐号は時間軸を超えても記憶は消えないし、私たちは今回その弐号に乗ってやってきたから、未来へ帰ることは強制されてしまうし、滞在期間にも三か月という制限がついているの。正直、未来の地球がウィルスに汚染されたままでも、未来に帰らずこれからも彼との思い出を作っていきたいし、私はもう既に論文を仲間に渡したのだから、運よく私が残っても地球の未来がうまくいくかもしれないわけで、それならそれでいい……なんて、考えちゃってね。でもそうすると私のわがままになっちゃうんだよね。彼と出会わなければこんなこと思わなかっただろうけど、実際、私は彼と出会えてよかったと思っているし……なんかとても複雑な気持ちね。帰らないといけないのはわかっているんだけど、やっぱり……実際にその日が来ると、すごく辛いものなのね……」


 聞いて、僕の目頭は熱くなった。無意識のうちに涙を零していた。


今まで、いくら待てども探せども涼香が見つからなかった理由は、事実を知れば簡単なことで、涼香が未来へ戻ったからだったのである。


「選ぶことは最初からできなかったってことか。それでも、少なからず帰還機能の付いたタイムマシンの開発は正しい判断だったと思う」


 僕は画面内で泣きじゃくる涼香に向けて言った。


「そんなに泣かないでよ……。僕は涼香との再会を望んでいるのだから、また君に会いに行くからさ。もう安心してくれ……。僕にとっての五十年は長いかもしれないけれども、涼香にとってはほんの一瞬にしか過ぎないんだから。帰ったら、何気なく五十歳年老いた僕がいるんだ。年老いた僕はまだ若い涼香と不釣り合いになるかもしれないし、僕の老いぼれた姿を見て、涼香の方が冷めてしまうかもしれない。だけど、涼香への想いは変わらず持ち続けていて、忘れることはないはずだし、安心して帰って良いんだ。そりゃあ、僕だって胸が張り裂けるほど辛いけど、君は未来に戻るべきで、それは未来にとっても正しい行動なんだ」


 僕が今必死に伝えたところで、その言葉が涼香に伝わることはないし、何も変わることはない。涼香は僕との再会を諦めて、とっくのとうに未来へ帰還しているのだから。


 涼香の顔がアップになったので、僕はその真剣な表情を凝視した。


「大幅な時間軸の移動は眠っている間に起きるのよ、だから目を覚まして気が付いた頃には、きっと彼とは完全に離れてしまっていて、五十年後の変わっているはずの現実を見ることになるんだよね……。彼との思い出は全て夢だった……、なんて思い込めることが出来れば、多少気持ちの折り合いはついたかもしれないけれど、それ以上に、彼との時間は確実に夢なんかじゃなかったと嫌でも信じていたくて、大切に記憶していたいの。本音を言うと今日は眠りたくなんかないよ……、睡眠欲なんてものはいらない。でも結局、私は眠ってしまうのよね……。帰還システム付きのタイムマシン弐号を開発した自分も、今日、私を襲うであろう睡魔がとても憎くて仕方がない……。でもどうしようもないんだよね……、だから――」


 ティファをじっと見つめ、画面に急接近した涼香は、決意したような目つきで囁いた。


「ティファ、私の大切な陸をよろしくね」


 涼香の顔が目の前に映ったまま映像は停止してしまい、次第にプロジェクタの映像も光も消えてしまった。


 長い沈黙の間、僕は一人で思考を巡らせていた。


 そして、僕はまだ白壁を見ていたティファに声を掛けた。


「なあ、ティファ」


「なんでしょう」


 ティファが僕を見る。


「最初のころ、この調査が無事終了したら僕のために何か一つしてくれるって言っただろう?それなんだけど……」


 ティファが僅かに首を傾げて?という表情をした。


「無事終わったら……、涼香と再会するまで、僕と一緒に生活をしてくれないか?」


 無茶を言っているのはわかっていたから、断られるのは覚悟していた。


「わかっているよ。願い事一つにしては荷が重いし、難しい願いだっていうのはね……。でも、どうかな……」


 僕はダメ元で訊いてみた。


 ティファの口が開く瞬間がスローモーションのように見えた。


「それが、陸さんの望む一つの願いなのでしたら、私は陸さんの傍に居続けます」


 ティファは当たり前のように穏やかな口調でそう答えたのだ。


「こんな無茶も聞いてくれるなんて、本当にありがとう」


僅かながらティファの表情は豊かになった気がする。心なしか微笑んでいるような表情を見て僕はやっと安心することができた。


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