第36話
ノックの音で僕は目を覚ました。音に一瞬驚いたが、すでに起きていたティファに声をかけてもらった。
「惠谷さんじゃないですか?」
「そうだった」
僕はのっそりとベッドの布団を寄せて歩いて部屋の扉を開ける。
「朝早すぎないですか?」
僕は瞼を擦りながら、僅かながらにも惠谷ジュンの姿を確認した。
「もう八時ですよ?」
惠谷ジュンが言うと、後ろからティファが、
「陸さんは起きるの遅いんです。八時でも早い方ですよ」
と言った。
「起きたんだからいいじゃないか」
正直言って、まだ布団のぬくもりが恋しい。
だけど起きたからにはやることをやらないといけない。
「惠谷さんよかったら一緒に朝食をとりませんか」
「良いわね。美能さんとティファさんとの朝食、楽しみですわ」
惠谷ジュンが胸の高さで手を叩く。
「私は生憎食事ができません」
ティファが真顔で首を振る。
「何故ですの?」
ほんのちょっとだけ首をかしげる惠谷ジュン。
驚くだろうなと思い僕は言った。
「言い忘れてました。見た目だけじゃわからないかもしれませんけど実はティファはアンドロイドなんです」
惠谷ジュンは目を大きくさせて、信じられないという表情をさせた。
「アンドロイドなんて本当に存在するのですの?」
「僕も最初は驚きましたが、ティファがいる以上アンドロイドは存在しているというのが事実というところですね。数日共に暮らせば慣れてきますし」
「人間と言われても気が付かないほど巧妙ですわね」
惠谷ジュンが感心しきっている。
「それなので最近は僕一人で朝食をとりに行ってました。一人で朝食するのは味気ないですが、それよりも食事ができないティファに食事している姿を見せるのは、見せつけているようで申し訳ない気持ちになるので」
「食事姿を見せるだけでティファさんが嫌な気持ちになるわけないじゃないですか。寧ろ同じテーブルで同じ雰囲気や時間を感じられるだけでも充分だと思いますけど」
「そうなの?ティファ」
僕は振り向いてティファの表情を伺う。
「私は最初から一度も不快に思ったことはありませんよ」
ティファが当たり前でしょう?といった顔を見せる。
「せっかく食事をするなら三人で行きましょう」
惠谷ジュンの提案にティファは微笑んで嬉しそうに答える。
「賛成です」
どうやら僕は勘違いしていたようだ。食事を見せつけているようで気分が悪くなるだろうと勝手に思っていたのは僕だけで、ティファはずっと一緒にテーブルを囲みたいと思っていた。僕はそれに気が付いてこれからは積極的に食事に誘おうと決めた。
と言うわけでレストランは三人で行くことになった。
「ここのホテルはミートボールが絶品なんです。良かったら一緒に頼んでみてください」
レストランに着くまでの途中、惠谷ジュンにミートボールを勧めてみた。
「私、あんまり加工肉とか好きじゃないんです。私が好きなのはパスタとかパンとかの炭水化物ですわ」
惠谷ジュンは加工肉が得意じゃなくて炭水化物が好き……と。しかし炭水化物は誰だって好きだし、むしろ嫌いな人の方が少ないと思う。炭水化物って言う括りも大雑把すぎだと思う。
「炭水化物の中なら何が一番好きです?」
何気なく質問した。
「うーん、炭水化物なら何でも好きなんですけど、一番は……パスタかしら」
「パスタなら迷っちゃうくらいたくさんのメニューがありましたよ。僕も最近カルボナーラを食べましたし」
この前食べたパスタを思い出す。アルデンテな食感が美味かった。
レストランに着くまで、これでもかと言うほどパスタを考えたが、結局僕は期間限定のミートボール丼を頼んでしまった。
僕の中ではミートボールはどの料理よりも優先順位が高い。
そして、惠谷ジュンもパスタが好きと言っていたくせにグラタンを頼んでいた。
ティファの前には水が入ったコップが置かれているだけだったが本人は穏やかな表情をしている。
「パスタじゃないんですね」
そう言うと、惠谷ジュンは僕の斜め後ろの席を指してこっそり言った。
「あちらの席にもグラタンが置かれているでしょう? あの方たちの食べているグラタンを見たら私も食べたくなってしまって。私はパスタが美味しいお店をたくさん知っているので、ここで敢えてパスタを頼まなくても私は別にそこまで後悔しないだろうと思ったのですよ」
テーブルにはミートボール丼とグラタンが置かれた。
ウエイトレスがティファを見て不思議そうにしたが惠谷ジュンがそのウエイトレスに伝えた。
「この子、少し前に食事を済ませてきたのよ。でも、ここから見える景色を気に入っていて、せっかくなら食事の雰囲気を共感しながら美しい景色を見せてあげようと思ったのですが、よろしくて?」
それを聞いたウエイトレスは納得した表情で笑顔で答えた。
「景色は良いですよね、お食事も鑑賞もごゆっくりどうぞ」
注文をしない客は席に座るなと言う人もいるのに、なんて優しいウエイトレスだ。
いや、そう言えば、ここのレストランは前から食事をしないティファを歓迎していたではないか。一番初めにティファを連れて食事をしに行った時も、少し不思議な表情をしていたかもしれないが何も言ってこなかった。
ウエイトレスに礼を言って僕はミートボール丼を口に運んだ。
ミートボールにまとわりつくあまじょっぱいソースが口の中に広がる。白米ともよく合って絶品の品だ。
惠谷ジュンもグラタンを一口頬張る。
ティファは僕たちの食事姿を見ている。
「どう?」
僕はティファに訊ねた。
「一緒に食事をしているような感覚になれますし、景色も見れてとても満足しています」
僕はその言葉を聞いてもっと前からティファを食事に誘っていれば良かったと思った。
これは惠谷ジュンが提案してくれたおかげである。惠谷ジュンが言ってくれなかったらいつまでもティファの本心がわからなかったのだから、惠谷ジュンには本当に感謝だ。
「良かったよ。てっきり僕はレストランはティファにとってつまらないものだと思っていたからね」
惠谷ジュンは、言ったでしょ?と言う表情をしながら僕に目線を送りながらグラタンを食べている。
レストランを出るとき、惠谷ジュンが先に会計をしようとしたが、僕はスマートに「大丈夫です」と言って、二人分の会計を済ませた。
「あら申し訳ないわ」
「良いんです、ティファに楽しみを与えてくれたほんのお礼です」
部屋に戻る前に僕は一服吸いたかったので、三十分後にフロントに集合して一ノ瀬さんのところへ向かおうと約束をした。
喫煙室に入ると僕は直ぐにライターで火をつけてタバコを咥えた。ラッキーストライクの煙が僕の心の均衡を保ってくれているような気がして余裕を持たせてくれる。
そして、煙を味わうごとに涼香の面影を探しているようで、もう少しで見つけられそうな気になる。僕は少しばかり涼香が戻ってくるのではないかと期待してしまう。
そんなことはあるのだろうか。
あると思いたい。
思わせてくれ。
僕に期待させてくれ。
思っているうちにあっという間に一本吸い終えてしまった。
僕は仕方なく喫煙室を出て部屋へ戻ることにした。
ティファが窓を見て静かに待ってくれていた。
僕はティファと小休憩をしてゆっくりフロントへ向かうことにした。
フロントにはもう既に惠谷ジュンがいて、
「待ちましたわ」
と僕たちに向けて文句を言った。
僕たちは別に時間を破ったわけではないので、
「惠谷さんが早く来すぎただけじゃないですか」
と言い返した。
つんとした表情で惠谷ジュンは言う。
「五分前行動が当たり前なのよ」
謝る必要性がどこにあったかはわからないが、ため息をついて渋々謝ることにした。なので適当に謝って適当に言い訳もした。
「すみませんね、でも間に合ったんだし良いじゃないですか」
「仕方ないわね、さ、行きましょう」
惠谷ジュンはそう言ってホテルの外へ出ていった。
僕は惠谷ジュンみたいなツンデレはあまり好みではない。それに比べたら穏やかなティファの方が何倍も可愛らしいし気を使わなくて良くて一緒にいて楽である。
僕たちは惠谷ジュンの背中を追いながら外へ出た。
一ノ瀬さんとは前と同じカフェで話をすることになっている。だが、惠谷ジュンが来るとは伝えていないのが心配なところだ。
「一ノ瀬さんとれれみさんはどういったご関係だったのですの?」
惠谷ジュンが歩きながら訊いてきた。
「ファンとそのアーティストと言ったところだったのでしょう」
僕はなんとなく思い出しながら答えた。
「懐古品については人よりハマりやすいタイプなのですけど、れれみさんの曲を聴いたら私もファンになるのかしら」
「知りませんよ。僕もハマりやすい方なんですけどね。国崎れれみさんの曲は良かったですけど、あくまでも調査のために聴いたという感じです」
惠谷ジュンにもティファにも目を合わせず僕は独り言のようにぼやいた。
「ちょっとここで聴かせてくれますの?」
惠谷ジュンは寒風が吹く中、立ち止まって言った。
「え、ここでですか?」
先を歩いていた僕は立ち止まって振り返る。
「ええ、ここで。一ノ瀬さんに会う前に聴いておかなくちゃ失礼じゃないですか」
惠谷ジュンは至って真剣なのだろう。
これって天然とでもいうのか?
僕は寒さに手をかじかませながらため息をついて言う。
「わかりましたよ」
僕は携帯電話を操作して国崎れれみの曲を探す。
プレイリストに保存していたおかげで直ぐに見つかった。
「これですよ」
僕は惠谷ジュンに携帯電話を渡して曲を聴く姿を黙って見つめていた。
曲を聴き終えた惠谷ジュンが携帯電話を返して言う。
「美能さんって……感受性が豊かでないのですか?調査にしろ何にしろ私にとってはビビッと来たし一瞬でドハマりしましたわ。私はこの曲とても気に入りましたわ」
ハマるもハマらないも勝手にしてくれ。
僕には関係のない事だ。
「それじゃあ、この曲、惠谷さんの携帯に入れてあげますよ」
「それは嬉しいわ、是非お願いしますわ」
惠谷ジュンが自分の携帯電話を僕に差し出した。
僕は惠谷ジュンの携帯を操作して国崎れれみの曲を一曲プレイリストに入れてあげた。
「これでいつでも聴けますよ」
僕は惠谷ジュンに携帯電話を返す。
「感謝しますわ」
惠谷ジュンが嬉しさを抑えきれず僕より一歩先を歩き出す。
カフェまでの道のりがわかるのは僕とティファだけだ。
それでも惠谷ジュンは前を歩くから僕は曲がり角に出くわすたびに、右とか左とか指示をしなくてはならなかった。
ようやくカフェに着いた僕たちだ。
店員に一言伝えるとスムーズに一ノ瀬さんの座るテーブルへと案内してくれた。
「遅れてしまってすみません」
「いいえ、そんなに待った気はしなかったすよ」
一ノ瀬さんが僕、ティファ、惠谷ジュンといった順番に目線を変えていく。
「あれ、この方は?」
惠谷ジュンを見て僕に訊ねた。
「新しい調査の一員ですが気にしないでください」
「そうなんっすね。四人掛けのテーブルなんで新人さんは僕の隣に座るといいっすよ」
一ノ瀬さんが座っていたのは奥のソファー席で一ノ瀬さんは腰を浮かせて横に少し詰めてくれた。
惠谷ジュンは「失礼するわ」と、当たり前のように一ノ瀬さんの隣へ座る。
「すみませんね」
代わりに僕が礼を言って手前の椅子に僕とティファは座った。
僕は適当な世間話を振りながらちょっとずつ空気を換えて慎重に話をした。
「国崎れれみさんについて、ある可能性が浮かび上がってきたのです」
それを聞いた一ノ瀬さんが目を細める。
「可能性ってなんスカ?」
僕はこそこそと話をするように小さな声で伝えた。
「国崎れれみさんは未来人と言うことです」
僕は至って真面目で真剣である。
「何、冗談を」
一ノ瀬さんは僕たちがふざけていると思っているようだ。
それでも僕は真剣な表情を崩さずじっと一ノ瀬さんの目を見続けた。
「え、冗談ですよね?冗談じゃないんですか?」
一ノ瀬さんの表情が段々強張っていくのがわかる。
それよりも一ノ瀬さんの隣に座る惠谷ジュンの方が具合悪そうにしていた。
「至って真剣に考えた結果なんです」
「え、そんなことってありえるんスカ?」
一ノ瀬さんが疑うように訊ねた。
「断言は出来ませんが、可能性としてはあり得ます」
僕がこっそり言うと、一ノ瀬さんは「それが、本当だとしたら」と顔色を変えて冷静に話し出した。
「仮に本当にれれみちゃんが未来人だったとしたなら、これは大げさに公言しちゃいけないんじゃないすか? れれみちゃんは何かの目的があって現代に来たとしたなら、僕たちが世に公言することでれれみちゃんの理想とする未来が変わってしまうんじゃないかと思ったんす。もう既に僕が知ったことで何か変わってしまっているのかもしれない。最悪れれみちゃんが存在しなくなることだってあるんすよ」
僕はその目を見て怖気づきそうになりながら話を聞いた。
一ノ瀬さんは本当に真剣なまなざしだった。
確かに一ノ瀬さんの言っていることに間違いはない。
僕は未来人である可能性を伝えるべきでなかったのかもしれない。
一ノ瀬さんの言葉で僕は気が付かされたような気がした。
「すみません、このことは伝えなかった方が良かったですね」
「本当はそうなんすけど……正直……れれみちゃんが未来人である可能性を聞いて、ホッとしてしまったっす」
一ノ瀬さんは言葉を詰まらせてポロリと涙を流しながら静かに言った。
「れれみさんは……未来でしっかり生きていますわよ」
隣にいる惠谷ジュンは最初苦しそうな顔をしていたが、心配が勝ったのか一ノ瀬さんを優しく宥めた。
「と言うことは俺は安心して良いんすよね」
一ノ瀬さんは苦しそうに僕に訊いた。
「安心しましょう、そして伝えた僕が言うのも変ですけど、国崎れれみさんが未来人と言うことはここで忘れることにしましょうか」
正直僕も苦しかった。
苦しかった、けど、一ノ瀬さんの言う通り、僕の推測は未来人が求めた未来を変えてしまうかもしれないと思うとこれ以上周りには広められないと感じたのだ。
一ノ瀬さんも頷いて決心したようだ。
「れれみさんが未来人だったとしても音楽は残りますわ。何か辛いときがあれば、いつでもれれみさんの音楽を聴きましょうよ。私もそうしますわ」
惠谷ジュンが国崎れれみの音楽について触れる。
「そうっすね、音楽が残っただけでもありがたいんすよ。俺はれれみちゃんの存在を忘れても、れれみちゃんの音楽は絶対忘れないようにします」
一ノ瀬さんの中に残ったのはアーティストであった国崎れれみ本人ではなく、国崎れれみの作った音楽となるのだ。
こんなつらい知らせになるくらいなら僕は今日一ノ瀬さんと会わない方が良かったと後悔したが、最後に一ノ瀬さんが「今日はありがとうございました」と礼を言ってくれた。
その一言で僕は救われた気持ちになった。
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