第10話 朝(3)

 朝ごはんを食べ終えて一緒に片付けを済ませた頃。アオイは椅子をユヅキの後ろに移動した。まるで教室でユヅキの後ろの席に座るような並び方で、アオイはちょっと落ち着かなくなる。

 髪を触ると提出したのはアオイの方ではあるけれど、いざ触ることになると緊張して鼓動が早まる。


 ユヅキが前、アオイが後ろという状態になっているため、自然と視線の先にはユヅキの後頭部になる。

 満月の形をしたシーリングライトが暖色系の光でリビングを照らしている。白い光よりやや暗めな照明灯に当たって、透明感のある艶やかな黒髪をより際立たせる。髪の毛一本一本が細くて触り心地が良さそう。寝起きのはずなのに、くせ毛があんまりなくて真っ直ぐに伸びている。

 アオイ自身だと、髪が柔らかめでくせ毛もひどい。スプレーで固定しないと髪がくしゃくしゃになるのだ。

 同じ黒髪なのに、どうして自分とはこうも違うのだろう──近くに見ると、さらに髪の質の違いを意識させられる。


 (わたしなんかが触っていいのだろうか)


 言い出しっぺが怖じ気づいてどうすると自分を励まそうとするが、こうやって質感のいい髪が目に入るとやはり責任重大に感じてしまう。


「ん? アオイ、どうしたの? 」


 アオイがあれこれ考えてためらっていると、先まで黙り込んでいるユヅキは声を発する。ユヅキの視点から自分の顔を見えないのだから、いつまでもぼーっとしていると不安にさせてしまうのかもしれない。

 そう思うと、アオイはごくりと唾を飲む。


 髪の毛なんて所詮毛髪で、いわば毛だ。人間や吸血鬼おろか、猫や犬にもあるものだ。大袈裟に考えすぎ、とアオイはそう自分に言い聞かせて、恐る恐るユヅキの髪を撫でる。

 髪じゃなくシルク製の高価な衣服にでも触っているような肌触り。かすかに鼻腔に伝わる甘い香り。

 思わずドキリとするアオイ。今度は心臓の音が聞こえられたらどうしようと心配になる。


「ユ、ユヅキちゃん、髪の毛きれいだね。普段はどうやってヘアケアするの? 」


 髪を傷めないようゆっくりと櫛でとかす。自分に気を紛らすために、アオイはユヅキに声をかける。


「ん? ……特に何も」

「えーそうだよね、ヘアケアしてるよねー」

「いや、特に何もしてない、と思うけど……」

「えええええええー! 」


 急に大きな声を出したアオイに、ユヅキはビクッと肩を跳ねる。


「じゃあ、シャンプーとコンディショナー、どういうブランド使ってるの? 」

「ん? アオイと同じものだけど……」


 よく考えると、バスルームに置かれたシャンプーとコンディショナーはそれぞれ一つしかない。アオイの知らないブランドのやつが目にしたことがない。


(同じ……同じものを使っているのに、どうして……)


「……」

「あ、アオイ? アオイの髪も真っ黒できれい、だよ。寝癖もかわいかったし」


 先元気よく大声を上げているアオイが無言になった。背中に漂う哀愁に察したのか、ユヅキは少し困っているようにフォローを入れる。


 しかし、それが逆効果になっているらしい。その優しい言葉で、アオイはさらに自分の醜さを自覚したのだ。ショックのあんまりに、アオイはやけくそになってユヅキの髪を弄った。


 様々な髪型を変えさせると、段々と楽しくなってきて。アオイは変なスイッチが入ったように、思い浮かべるすべての髪型をチャレンジしてみた。

 ポニーテールだったり。ツインテールだったり。三つ編みだったり。お団子頭だったり……。


 そうしているうちに、どれも似合っているように思えて、何にさせるのか悩んでしまう。


「ユヅキちゃん、どういう髪型にしたい? 」


 自分がいくら考えてもしょうがないと結論を出して、アオイはいっそうのことユヅキの意見を問う。


「……アオイとお揃いがいい」


 ユヅキは淡々と語る。その一言でアオイが熟れたリンゴのように顔を赤らめさせることに、彼女はまだ知らない。


 XXX


 アオイがあれこれ悩んで、髪を触ることに躊躇している頃。とにかく大忙しのアオイの心情を知らずに、ユヅキはぼんやりと無関係のことを考えている。


半吸血鬼ハーフヴァンパイアとして覚醒してから、昔よりずっと強い眠気が襲いかかってくる。人間の頃の習慣が吸血鬼になっても続くというのはよく聞く話なので、そこまで気にすることでもないのだが……)


 寝起きであることもあって、漠然とあくびしたくなる。でも、勝手に動いたら悪いだろうと悩んでいると、後ろにいるアオイが一向に動く気配がないことに気づいた。


「ん? アオイ、どうしたの? 」


 声をあげるとアオイがあたふたになっている。ユヅキははっきりしない頭で先口にした言葉を反芻する。すると、自分の言葉がアオイを促しているように聞こえてきて、ユヅキは頭の中に一人の反省会を開く。


 自己反省していると、アオイに質問された。口調が厳しすぎないように注意を払っていると、口は災いの元という諺を思い出して、ユヅキは口数を減らして、より誤解されないように言葉を選択した。

 これでいいのだろうか、困惑しているとアオイが突然奇声を上げて、ユヅキはぎょっとして、ビクッと体が跳ねる。


 それから、文脈からアオイの思考を読み取り、ユヅキはフォローを入れる努力はしたが、失敗した。本心を言っているものの、全くもって伝わらない。自分の対人コミュニケーション能力の低さに嫌気差したユヅキは、大人しくにアオイに髪の毛を弄らせることにした。



 

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