第8話 朝(1)
そして、時は現在に戻る。
洗面所でアオイはタオルで優しく顔を拭く。鏡に通してぼんやりと自分の顔を覗き込む。
こうやってじっくり自分の顔を見るのは何ヶ月ぶりなんだろうか──浮世離れしている外見を持っているユヅキと共同生活し始めたら、アオイはできる限り自分の顔を見ないようにしている。
柔らかめな髪質で、肩まで伸びる黒髪。どこにでもある黒い瞳。何もかも普通すぎて、ありふれている。
それなら、義眼である左目の方がよっぼどきれいで特別だ。ふいに左目に疼くような痛みを感じる。それは、幻肢痛なのかなとアオイは頭を傾げる。
アオイを心配しているユヅキには申し訳ないけれど、この左目を見て、アオイは誇らしく思っている。何せよ、これはアオイがたった一つ特徴と呼べるものだから。
ふとユヅキの顔が頭に過った。
腰まで伸ばした黒髪は絹のように滑らかて。三日月の形をしたきれいな眉。すっと通った鼻筋。桜色の唇。精巧に作られた人形のように顔のパーツがいちいち整えている。
その冷静に周りを見据えるようなサファイアな色をしていたきらきらした瞳は、吸い込まれるような魅力を感じる。
広瀬夕月だった頃からずっと、彼女は特別であった。
容姿端麗で文武両道。澄ました顔で一位を搔っ攫おう。人と群れないけど、そこにいるだけで際立ってしまうような、物語の主人公のような存在。
そんなユヅキだけど、普通で凡庸な自分に熱を籠った目で見つめてくる。人前ではポーカーフェイスを貫いているのに、アオイにだけは微笑みをかけてくる。アオイがどれほど鈍くても気づくのだ──自分は特別扱いされていると。
(どうしてわたしなんだろう……)
アオイは小さなため息を漏れる。特別な人に特別扱いされるのは嫌な気分になれない。けれど、ずっと平凡に生きて、凡庸に満足してきたアオイにとって贅沢すぎる。
──もし自分が幼なじみでなければ……。
──もし自分が偶然その場に居合わせていなけれど……。
もしもの話だけだったのに、そう考える度に胸がちくりと刺されるように痛い。変な想像を浮かばせないようにぶんぶんと頭を左右に振る。
──私はアオイの血しか吸わない。
洗面所に出てから真っ直ぐ進むとオープンキッチンについた。
だが、最近は
血を吸うと疲労を回復させることはできるが、ユヅキはいつもアオイに気を遣って一週間に一回しか血を吸わないルールを厳守している。
アオイが不都合だった頃には二週間に一回になることも。
そのことついて文句を言ってやりたいけれど、のらりくらりとはぐらかされてばかりで、思い出す度に腹が立つ。
それでも自分に気を遣っていると理解しているため、アオイは強い態度を取れない。そのせいで、左目をなくしてから、ユヅキの言い付けを守って基地内から出ないようにしている。
最近ユヅキは夜遅くまで報告書を作成しているから、
卵焼きに焼き立てのトーストをトレーに載せて、ミルクを温めてはちみつを入れる。トーストにジャム、そして卵焼き。
甘い党の二人にとっては定番の組み合わせではあるが、他の人からすと和洋折衷の部屋みたいで微妙にしっくりこない組み合わせである。
そう考えるとアオイは、二人だけという響きを気に入っているらしくてついニヤリと笑う。
「ん? おはよー』
馴染みのあるちょっと気だるい声が耳に届いて、アオイはびくっと肩が跳ねる。
「ゆ、ユヅキ。おはよう」
「ん? 」
ユヅキはアオイのちょっとぎこちない返事に頭を傾げたが、まだうだうだしているようで、それ以上追及しなかった。
そのことに安心してアオイは胸を撫で下ろす。彼女はユヅキに自分の乙女チックの思考を知られるのが恥ずかしいのだ。
「あ、朝ごはんはもう用意したから、先に支度を済ませて」
「うん……」
ユヅキは怖いほど鋭いので、アオイはさっさと洗面所へ向かわせた。
ユヅキは寝起きにぼんやりしてしまうタイプでよかったとアオイは思いつつも、その服が乱れて鎖骨と白い肌が無防備にさらけ出す姿にバクバクと心臓が鳴る。
やっぱりユヅキはずるいとアオイはぼそりと心の声を漏れる。
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