奇譚0018 猿
寝室でキャーって悲鳴が聞こえて行くと彼女がベッドの上で呆然としている。どうしたのか聞くと「今そこに猿がいて窓から逃げてった」と言う。窓の鍵は閉まってて彼女が閉めたわけじゃないらしいのでこれじゃあ密室だ。「確かに、夢とごっちゃになったのかも〜」「キャーって本当に言うんだなw」と言って笑い話になり、それからそんなことも忘れた頃に動物園デートをする。
市が運営しててそんなに大きな動物園じゃないけれど人もそこまで多くないし入園料も無料なので良い感じなのだ。元気溌剌でもない動物達を見て回って猿の檻に来たところで彼女が「あ!」と言って1匹の猿を指差す。「あの猿だよ!この前うちにいたの!」ってそれは夢だったんだろ?と思いながら見てみる。彼女が指を差しているのは他の猿よりも一際大きくて顔も精悍な顔付きの雄猿だった。そいつもこちらをじっと見ていた。彼女も黙ってその雄猿と目を合わせていた。「あの猿が夢に出てきた猿に似てるってこと?」と聞いても「うーん」と歯切れの悪い返事のまま雄猿と見つめ合っている。10分くらい経ってもまだ目を合わせたままで、流石に長すぎる。「腹減ったしなんか食べに行こうよ」と言うと「うーん」とまた歯切れの悪い返事で去り難いといった雰囲気を出していたので無理に引っ張って動物園から出た。
その後はいつも通りの彼女に戻っていた。楽しく中華を食べて帰ってきた。元に戻ったのだからあまり触れないでおこうと思い猿のことは特に聞かなかった。
ある時から彼女は徐々によそよそしくなっていき、休みの日にどこかに行こうと言っても友達と約束があってだとか仕事入っちゃってという風に断られる様になった。どれだけ鈍感な奴でもあからさまに態度が変わっているので気がつく。もしかして浮気でもしてるのか?そう思って俺は友達と約束があると言って出掛けた彼女を尾行した。辿り着いたのはこの前の動物園だった。彼女は入り口を抜けて例の雄猿がいる檻の前に行った。ここで友達もしくは浮気相手と待ち合わせ?と思ったが様子が違った。
この前と同じように彼女は雄猿と見つめ合っていた。時折何か目配せのような仕草をして彼女は笑って雄猿もそれを見て笑っていた。意思疎通ができてるってことか?普通に人間と浮気してくれてた方がよっぽどマシだった。1時間以上もそうやって猿と見つめ合う彼女を見ていてもうダメかもしれないという気持ちが湧いてきた。ここ最近の態度の変化も影響しているかもしれない。あの変化があの猿のせいだとするならどうすればいいんだろう。猿と見つめ合う彼女を見ていられなくて帰宅した。彼女の帰りを待ちながら何と言えばいいか考えたが何も思いつかない。しかしいつまで経っても彼女は帰って来なかった。連絡をしても繋がらない。警察に相談すべきか悩んでいると彼女の母親から連絡が来る。彼女が警察に捕まったらしい。彼女のお母さんも取り乱していて状況はわからないが、彼女が勾留されている警察署だけ聞き出して急いで向かった。
彼女は動物園の閉園した後に侵入して猿の檻の鍵を盗み猿を檻から逃したそうだ。駆けつけたセキュリティー会社の警備員に取り押さえられて警察に引き渡されたという説明を受けても受け入れられなかった。警察が何を聞いてもどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわからないと言う。彼女の両親は県外に住んでいるのですぐにはこちらに来ることはできない。警察の方でも事情はわからないので今日は面会させるわけにもいかないという。彼女に関して何か気がついた点とか違和感はなかったかと聞かれて動物園の雄猿との事を話した。夢で見た猿と動物園で見つめ合っていて段々と態度がおかしくなっていってそして今夜猿を檻から逃したと聞いても意味不明だということは何も変わらない。また明日警察署に行くということで一旦帰宅した。逃げた猿たちは見つかってはいない。
あれこれぐるぐると思考が回転して中々眠れなかった。一瞬眠りに入りかけた時に誰かがいる気配がした。目を開けるとシルエットが見える。それは彼女だとすぐにわかった。警察から帰してもらえたのかと思ったがそんな訳がなかった。彼女だがこれは彼女ではない。獣臭がしている。鳴きはじめた。動物が泣くような鳴き方だった。声をかけようと起き上がると彼女は身を震わせて窓を開けて外へ出ていった。隣の屋根に飛び乗って暗闇の中へ消えていった。彼女はもう彼女ではない何か別のものになってしまったんだ。そう思うと思考が追いつかず目を背けるために眠った。
目が覚めると昼過ぎだった。窓は閉まっている。昨日閉めて覚えはないのであれは夢だったんだろうか?携帯に何度も警察から電話があった。折り返すと彼女が昨夜脱走したらしい。その際に警察官の頬を齧りとったと聞いても何も答える事ができない。「何もわかりません」と言って電話を切った。
了
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