回生のイフェジェニー

七川 葉月

第1話アレスと天空の少女

 今から100年以上前、突如として巨大な島が天空に現れたという。その島は悍ましい青白い光を地上に放ち、光に触れたありとあらゆる命を刈り取っていった。たちまち地上の緑は枯れ果て、多くの生き物がその連鎖で死んでいった。人間も然り、その連鎖に呑み込まれ数を減らしていった。

 ちらりと地上から見えるその島の上は豊かな緑で覆われていた。人々はその島を選ばれた者だけが行ける安寧の地「方舟」と呼んでいる。



 遊牧民の少年アレスは遠くに方舟が現れたと報告を受け、近くの丘に放牧していた牛達を連れ戻すことにした。

「母さん達はみんなと先に移動してて。僕は牛を連れて後から行くから。」

 アレスはテントの奥でせっせと荷造りをする母親であるマラルにそう言うと犬笛を首に下げて玄関へ向かった。

「分かったわ。気をつけて行きなさいね。」

 マラルは首から下げた布で汗を拭きながら顔を上げるとアレスに声をかけた。アレスはあくびをしながら少し頷くとテントを出た。その後、玄関付近で眠っていた黒い狼のような犬がむくりと起き上がるとアレスを追うようにテントから出た。犬は眠そうにふらふらと歩く主の足を軽く鼻でこづくと颯爽と丘に向かって走り出した。犬を追うようにアレスも少し歩調を早めた。 


 アレスが丘の上に着いた時にはすでに犬が11頭いる牛を一つの集団にまとめていた。この丘は一面が草花に覆われており家畜の餌にはほとんど困らない。アレスら一族は数年前にも近くにテントを張り、食うに困らない生活を数週間過ごしていた。しかし、その穏やかな日々も方舟の出現で終わりを告げていた。そして、数年ぶりにこの地を訪れた一族だが再び方舟の出現で土地を追われることとなった。

「テン、ありがとう。おかげですぐみんなに追いつきそうだよ。」

 アレスが丘の下を見下ろすとすでに一族たちはテントを畳み、方舟から離れるように移動し始めていた。再び牛に目を移したアレスは、その奥100m先に誰かが倒れていることに気がついた。

(誰かいる…)

「テン!牛たちを先にみんなのところに移動させておいて!僕も後から行くから!」

 テンは主人の顔をじっと見つめたのち牛のもとへ駆け寄ると群れに吠えながら丘の下へ誘導し始めた。その様子を見送り、アレスは走り出した。


 アレスが走りながら空を見上げるとすでに方舟は人影のあった場所の近くまで迫っていた。

(もうあんなそばまで…。いつもより明らかに舟の速度が速い気がする。風のせいか?)

 舟が陽の光を遮り、辺りは薄暗くなっていた。やがて冷たい風が強く吹き始めた。アレスはようやく倒れている人の元まで辿り着いた。

(女の子…?どこの一族の子だろう。)

 倒れていたのは銀色の髪の少女だった。

「あの…大丈夫ですか?」

 軽く少女の肩を揺するが少女の目は硬く閉じたままだった。

(死んでいるのか?いや…。)

 アレスは少女の口元の草が僅かに揺れていることを確認した。

(生きてる、早く連れてここから逃げないと。)

 少女の両腕を自身の肩に回し少女を背負うとアレスは舟から遠ざかるように走り出した。しかし、舟は2人を追いかけるようにどんどん速度を上げて迫ってきた。

「はは…、まずいな…これ。でもまだ死ねないんだよな…。」

 アレスは頭上まで迫った舟を見上げ思わず苦笑いをしたが再び少女の腕を固く握るとさらに速く走り出した。数分走り続け、少しずつ方舟との距離が開き始めた、その時だった。

 パァン!

(!?)

 冷たい空気を切り裂くように銃声が響いた。身体中に電撃のように痛みが走りアレスは丘から転がり落ちた。

「うっ!ああ!!」

 銃弾はアレスの左太腿を貫いていた。大量の血が足から流れ出始めた。

「なんだよ、これ!くそっ!」

 アレスは痛みに耐えながらも腰帯を足に巻きつけ止血を試みた。

(あ、あの子は…!)

 少女は数メートル離れたところに倒れていた。アレスは歯をくいしめると立ち上がり左足を引きずりながら少女のもとへ向かった。

「ごめん、痛かったよね。」

 少女は僅かに眉をひそめるが目を開けることはなかった。アレスは再び少女を背負うと足に力を込め立ちあがろうとした。

「うっ…」

 しかし大量の出血をしていたアレスに少女を背負い立ち上がる力などすでに残っていなかった。膝から崩れ落ちたアレスだが、少女を背負ったまま這って移動し始めた。

 パァン!パンッ!

「ぐあっ!」

 再び放たれた銃弾はアレスの両手を貫いた。両手からどくどくと血が溢れ出した。

(方舟からなのか…これじゃあ、動けないじゃないか。い、意識がもたないや…このまま死ぬのか。そんなのだめだ…)


 徐々に薄れゆく意識の中でアレスは優しい声を聞いた。

「ありがとう、助けてくれて。」

 少女はゆっくりと目を開けると、アレスの背から降り、ふらふらと立ち上がり方舟を見上げた。そして両足を踏み締め両手を重ね合わせて舟の方に向けた。

「な………るだ、にげ……と、ころ………。」

(何をしてるんだ、逃げないと、殺されるよ。)

 アレスは少女に忠告しようとするものほとんど声にならなかった。

「やっと会えたんだ。私があなたを守る。」

 少女はそう言うと両手から青白い光を放った。その光はたちまちあたりを包みこんだ。

(青の光…まずい。逃げないと……。あれ?苦しくない、むしろなんだろう…この穏やかな気持ち…。)

 薄れる意識の中、アレスは長い銀色の髪を揺らしその場に倒れこむ少女と逃げるようにどんどん遠くに離れていく方舟を見た。そして震える手で胸元から犬笛を取り出すと口に当て鳴らした。

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