ほのかみー鏡堂達哉怪異事件簿その二

六散人

【01】白昼の焼殺事件

凄惨な事件現場だった。

住宅街の路上に、黒焦げになった遺体が横たわっているのだ。

場所は〇〇県〇山市の外れにある古い住宅街で、現場周辺には民家が密集していた。


――ひとつ間違えば、大火事になっていたかも知れんな。

〇〇県警捜査一課の鏡堂達哉きょうどうたつや刑事は、現場周辺を見渡しながらそう思った。

彼の後ろには、最近〇山署から捜査一課に転属した、天宮於兎子てんきゅうおとこ刑事が付き従っている。


二人は数か月前に、〇山市内で連続して起こった溺死事件の捜査を共に担当し、事件の真相を知る数少ない者たちだった。

最終的に原因不明の事故として処理されたその事件は、二人の心に、今も消えない爪痕を残していた。


その事件後、天宮が捜査一課に赴任して以後、鏡堂は彼女とコンビを組むことになった。

所謂いわゆる<バディ>である。

現時点で県警と所轄の合同捜査になるかどうかはまだ分からないが、もしそうなれば、この事件は二人にとって、<バディ>としての初仕事になる。


「末松係長、山内さん」

現場に張られた黄色い規制線を潜った天宮が、現場に先着していた、〇山署の刑事たちに声を掛ける。

彼女にとっては元上司であり、元同僚だったからだ。


「ご無沙汰しております」

「ああ、久しぶり。そっちも元気でやってるか?」


天宮が挨拶すると、〇山署捜査一係の末松啓介すえまつけいすけ係長が、凄惨な現場に似合わぬ笑顔を向けた。

そして鏡堂にも挨拶する。

「鏡堂さんが担当ですか。あの節はご苦労掛けました」


「末松さん。合同捜査になるかどうか分かりませんが、よろしくお願いします」

鏡堂もそう言って、末松たちに会釈を返した。


「それで、どんな具合ですか?」

「まあ取り敢えず、現場を見てもらえますか」

そう言いながら、末松が微かに首を捻った。

その仕草が鏡堂に、事件の複雑さを予測させたのだった。


道に拡がられたブルーシートに近づくと、鏡堂はそこに向かって手を合わせ、端を掴んで捲り上げた。

中から肉の焦げた臭いが溢れ出してくる。


ブルーシートの下にある、黒焦げになった遺体を見て、天宮が顔を背けた。

――無理もないな。

逆に凄惨な死体を見ても、あまり感情が振れなくなってしまった自分が、つくづく刑事課業に染まっていると鏡堂は感じたのだ。


近くでは、鑑識課の小林誠司と国松由紀子が、周辺の検分に当たっていた。

「小林さん、ガイシャはどんな具合だね?」


道にしゃがんでいた小林は、鏡堂の問いかけに立ち上がると、困惑した表情を浮かべる。

「見ての通り、全身炭化している。

余程高温の火で焼かれなきゃ、こうはならんな」


そこで口を噤んだ小林に代わって、〇山署捜査一係の加藤和夫刑事が事情を説明する。

「ガイシャですが、今から約1時間前に、この現場で被害に遭ったようです」


「1時間前ですか?目撃者がいるんですか?」

鏡堂の質問に加藤は頷いた。


「事件発生時に、この付近を通り掛かった近隣住民が複数います。

その方たちによるとですね。

ガイシャは全身炎に包まれた状態で、そこの路地から飛び出して来たらしいんですわ」

加藤がそう言いながら目を向けた先には、民家に囲まれた狭い路地があった。


鏡堂が路地に近づいて中を覗くと、左右を民家の壁に囲まれ、突き当りにはマンションの壁が立ち塞がっている。

つまり袋小路になっているのだ。

そして左右の民家の壁には、微かに焦げた跡が認められた。


「目撃した住民たちによると、ガイシャがこの路地から飛び出してきた時、路地の中には誰もいなかったらしいんですわ」

「誰もいない?」

「ええ、目撃者は口を揃えてそう言ってます」


彼の言葉を聞いた鏡堂は、路地の左右と突き当りを確認した。

左右の民家と正面のマンションには、路地に面して窓が切ってあった。

仮に事件当時、路地の中に第三者がいたとすれば、その窓のいずれかを使って、路地から抜け出すことが可能だろうかと、彼は考えていた。


――住民以外が窓から侵入すれば、騒ぎになるだろうな。

――だとすると、正面のマンションの窓が、脱出経路としては最も可能性が高いか。


「鏡堂さん、マンションの中がどうなっているか、行って見て来ましょうか?」

彼の考えを読んだらしく、天宮が先走ったことを口にする。


「いや、まだそこまではいいだろう。

先に事件当時の状況を確認してからだ」

彼女の張り切り具合に、内心苦笑しながらそう言うと、彼は加藤に振り返った。


「ガイシャが路地から飛び出して来た後の状況を、教えてもらえますか?」

加藤は彼に肯くと、手に持った手帳を繰りながら説明を始めた。


「ガイシャは路地から飛び出した後、道に倒れ込んで、暴れていたそうです。

まあ全身炎に包まれれば当然ですが。


それを見た、通りがかりの住民たちが大騒ぎになって、一人が自宅に戻って消火器を取って来たらしいんです。

しかしその住人が戻って、火を消し止めた時には、既にガイシャは動かなくなっていたようです」


「その間ガイシャの周囲には?」

「三名ほどの人が、遠巻きにしていたようですね。

その内の一人が通報したらしく、間もなく警察と消防が現着しています」


天宮が加藤の説明を聞きながら、熱心にメモを取っている。

その様子を横目で見ながら、鏡堂は加藤に続きを促した。


「その後一係に連絡が入ったんですね?」

「ええ、現着した警官が、事件性ありと判断して、署に連絡しています」


「そして俺たちの出番という訳だ。

ところでそろそろ、ご遺体を検死に回そうと思うが、いいかね?」

二人のやり取りを聞いていた小林が、そこで口を挟んだ。



「検死は大学ですか?」

彼に肯きながら鏡堂が訊くと、小林は黙って頷く。


鏡堂は末松に一言断りを入れた後、遺体の搬送を依頼した。

それに頷いた小林は、周辺で警戒に当たっている制服警官に、遺体搬送の指示を出す。


「ところでガイシャの状況だがな。

さっき言ったように、高温の炎で一気に焼かれたんじゃないかと思う」


そう言いながら小林は、顔を少しゆがめた。

周囲で彼の言葉を聞いている、捜査員たちの表情にも緊張が走った。


「高温で一気にと言うと、例えばどんな状況が考えられる?」

刑事たちを代表して鏡堂が訊くと、小林は少し考える表情をした。


「そうだなあ。

それこそ軍隊が使う火炎放射器じゃないと、ああいう風にはならんのじゃないかな」


「火炎放射器?!」

彼の言葉を聞いた刑事たちの何人かが、驚きの表情でその言葉を繰り返した。

白昼の住宅街で、火炎放射器を使って人を殺害するなどという状況は、彼らの想像の範囲から、完全に逸脱していたからだ。


「事故や自殺の可能性はないのかね?」

「それはないな」

鏡堂の疑問を、小林は即座に否定した。


「自殺や事故なら、周辺に石油缶なんかが残ってるはずだ。

だが見ての通り、ガイシャの遺体と遺留品以外、何も残されてない」


「遺留品があるのか?」

鏡堂の質問に、今度は加藤が答えた。


「ええ。ガイシャの所持品らしい、ビジネスバッグが路地の中に落ちていました。

少し焦げているので、恐らく被害に遭った時に、手に持っていた物でしょう」


「カバンの中身は何でした?」

「パソコンと、勤め先の資料らしい書類が入ってましたね。

朝田建設の資料でした」


「朝田建設?」

そう言いながら、鏡堂は自身の記憶を確認する。


朝田建設は、〇〇県に本拠を置く大手ゼネコンで、創業者の朝田正義あさだまさよしは、県選出の衆議院議員、政権与党の重鎮の一人だった。

現在会社は長男の朝田正道あさだまさみちが継いでいるが、彼も県会議員を兼務している筈だ。


「ガイシャは、朝田建設の社員の可能性がありますので、こちらで当たってみるわ」

末松の言葉に頷く鏡堂に向かって、小林が呟くように言った。

きょうさん。

この事件、この間の『雨男』の時みたいになるんじゃないか?」


その呟きを聞いた刑事たちは、一斉に顔を歪めた。

まだ彼らの記憶に生々しい不可思議な事件で、〇山署の刑事が一人、事件に絡んで亡くなっているからだ。


「小林さん、嫌なこと言わんでくれよ」

「ああ、済まん。余計なこと言っちまったな」


末松と小林のやり取りを聞きながら、鏡堂はあらぬ方向に目をやっていた。

事情を知らない小林に悪意はないのだが、『雨男』という言葉は、取り分け彼と天宮の心に突き刺さるのだ。


その時彼の視線が、近くの民家のブロック塀の上に止まった。

そこには一匹の猫がいて、じっとこちらを見つめていたからだ。


「あの茶虎が気になりますか?」

彼の様子を見ていた天宮が声を掛ける。


「茶虎?」

「ええ、ああいう毛色の猫を茶虎って言うんです。

すごく鮮やかな色ですね、あの子。

多分この辺りの地域猫なんでしょうけど」


「地域猫?」

次々と天宮の口から飛び出す謎の言葉に、鏡堂は少し戸惑ったように訊いた。


「地域住民が共同で世話をしている、野良猫のことです。

この辺りには多いんですよね」


「お前、妙に詳しいな」

「私実は、この近くに住んでるんですよ」

天宮から返ってきたのは、意外な答えだった。


「お前がこの辺の住人ねえ」

そう言いながら鏡堂は、自分が天宮を<お前>と呼んでいることに、内心苦笑していた。


少し前までは、<君>と呼んでいた筈だ。

それがいつの間にか<お前>に変わっているのは、バディとしての距離が縮まったせいなのだろう。


そのことに少し照れを感じた鏡堂が目をやると、相変わらず塀の上の猫が、ジッと彼を凝視していた。

その目はまるで、彼の心を読んでいるかのようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る