変異
§ 氷のダンジョン 第4領域 『琥珀遺跡』 §
シルヴィアによる絶大な威力の一矢――『
「エルフが放つ一撃はエルフショットと呼ばれますが、奥様のエルフショットは一味も二味も違います。手で持つべき弓を、威力が足らないからとそのおみ足を使い、蹴るようにして矢を放つ――」
言いながら、スーシーは空中を蹴った。
「――
得意げなスーシーだったが、片足立ちの姿勢を崩してしまう。
「あら……!」
「ちょっと!」
倒れそうになるスーシーを急いで受け止めると、彼女は何を思ったのか頬をいっそう赤らめた。
「いやん……」
「じゃないですよ」
スーシーを立たせていると、テナが睨んでくる。
「……フーッ!」
「いや不可抗力!」
「……にゅッ!?」
「今度はなんだ!?」
テナが急に目を見開いたかと思えば、ダンジョンが再び揺れ始めた。すると、シルヴィアが叫ぶ。
「龍が……まだ存命ですわ!」
そんなばかな……!
確かに
だが、シルヴィアの言う通り、龍が再びその巨体を起こし始めている。
「うそだろ……!」
しかもまずいのは、鎌首をもたげて俺たちを見下ろしていることだ。だが、動きが遅い……やはり弱っているのか。
「奥様、もう一発!」
「急所が隠れて狙えませんわ! 回り込みませんと!」
確かに、龍の喉元にある逆さの鱗――
「
「目潰しね!」
シルヴィアは再び蹴るような姿勢で弓を構え、矢を放つ。
「――
矢は確かに龍の眼を捉えた……かに見えた。冷たく鋭い音が空気を震わせたかと思えば、矢は龍の眼を滑るようにかすめる。
(いや、本当に矢が滑ったんだ……!)
目に見える変化が起き始めていた。龍の身体が氷の膜で覆われていく――
「変異……している……」
――その全身は薄氷の鎧そのもの……今までの弱弱しい龍とは違う、圧倒的な存在感を放っていた。
テナが俺の肩を揺らして、ようやくはっとする。
「ルウィン逃げよう!!?」
「……そうしよう!」
だが相変わらず位置関係は悪い。龍のいる方向に領域からの出口があるのだ。
パキィリリ……ピキィ……!
龍の長くしなる全身が張り裂けるような悲鳴を上げると、龍が大きく口を開いた。
「ブレスが来るッ!」
俺は周囲にも聞こえるように叫んでからテナをかばうが、予想とは違うことが起こる。龍は苦しそうに水を吐いたのだ。
〈ギュロオ゛エエエ゛ェェェェ……〉
え、何それ。
龍が酔っ払いのように大量のねっとりとした水を吐き続ける。
「ミ゛ッ!」というテナの声で、俺は事の重大さに気づいた。水は遺跡を浸食しながら、恐ろしいことに瞬く間に凍っていくではないか。
「おかしい、いくら氷のダンジョンでもこんなに早く凍らないぞ……!」
ダンジョンの地平を飲み込むように、急速冷凍する粘り気のある水が押し寄せてきた。水は氷となり、氷の上をさらに水が流れて迫ってくる。
「逃げろおおおぉぉぉッ!!」
「にゃあ゛ああぁぁぁッ!!」
俺とテナは
「奥様ああぁぁッ!」
「スーシーィィッ!」
二人の絶叫が聞こえる……だが、今振り返ったら誰も助からない!
「テナ! あそこ! テナが作ったかまくらのある遺跡!」
「ミ゛ッ!」
遺跡に入ると、立派な
龍の
「ミ゛ッ! ミ゛ッ!」テナがかまくらの出入口を指さす。
テナの言う通り、水が入ってこないよう出入口を塞がねば。
「出入口があるって素敵!」
シルヴィアじみたことを言いながら、俺は背負い箱でかまくらの出入口を塞いだ。
「あらぴったり――」
――などと都合よくいくわけもない。実際、隙間がある。
「テナ、
「にゃ!」
背負っていた皮のリュックを下ろしたテナに、俺は背負い箱からナイフを取り出して渡した。
テナがちょうどいいサイズにリュックを切っていく間に、俺は箱から
「ニャッ! デキタッ!」
・リュックになる前 ×1(New!)
「手際よすぎぃ!」
風呂敷のように広げられたリュックだったものに、俺は白皮樹の樹液を染み込ませ、皮を貼り付けていく。
「にゃにゃにゃにゃッ!!」テナも加勢し、リュックだったものは防水と防寒に優れた新アイテムとなる――
・リュックになる前デラックス ×1(New!)
――最高だ。
残った白皮樹の樹液を背負い箱にも塗りたくって準備万端。俺たちは入口を箱で塞ぎ、さらに隙間を『リュックになる前デラックス』で塞いだ。俺たちは暗闇に包まれる。
あとは水が入ってこないように『リュックになる前デラックス』を引っ張りながら、時が過ぎるのを待つだけだ。
ズズズズ……と大きなものがゆっくり這いずる音と、どぼどぼと吐しゃ物が落ちてくる音。それらが近づき、俺たちがいる遺跡の周囲をうごめく気配があった。
(来た……!)
どろどろとした水がかまくらの中に侵入しようとしているのを感じたが、流石は『リュックになる前デラックス』……水漏れはない。
閉ざされたかまくらの暗闇の中、テナが腰に尻尾を巻き付けてくる。
「こわい」
「俺も」
後は祈るばかりだ。
「テナ、息を整えるんだ。テナのかまくらが立派なおかげで大丈夫だとは思うが、空気に限りがある」
テナは小さく「うん……」と答え、身を寄せる。
長い緊張の後、龍らしき気配は離れていった。
「テナ、もう怖くないか?」
「うん、遠くに行ったみたい」
「どこに向かっているか、分かるか?」
「多分、第3領域の方だと思う」
第3領域――『氷河の流刑地』か。
「……ルウィン、あの龍ってどこから来たのかな」
「とこからってそれは――」
俺はふと、自分があの龍を目の前にして思ったことを繰り返す。
『えらがある……水棲の生き物の特徴だ。長い背びれもまるで魚のものに見えるが……』
「――そうか、あの龍は湖から来たんだ。水龍種なのかもしれない」
ふと合点がいったその時、テナが俺の服の裾を引っ張ってきた。
「キャルはどうなるの……?」上ずった声でテナが言うと、俺は思わず自分の口を手で押さえる。
「……やばい!!?」
必死過ぎて、完全に忘れていた。
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