決戦 闇の龍

聖水の無料提供の約束をした俺たちは、果てがないように思われた霧の先に、恐ろしく冷たい空気が漂う場所を見つけた。


薄くなった霧の世界の中心に大きな闇がうごめいている。その光景を前に、騎士と魔女の空気が明らかに変わった。


「……魔王化、一歩手前のようだな、ミリア」

「……そうね、ネリス」


張り詰めた表情で、ミリアは付け加える。


「ごめん……詠唱、長くなるかも」


詠唱――それは魔法を使うための儀式。

相手に対して相応しい想いを言挙ことあげ――つまり、言葉に出して言い立てる行為だ。


「あっはは! 今回は特に凄いのが見られそうだ」

「あんたねぇ…………期待してなさい……!」


相手によっては無詠唱や短縮呪文、定型の詠唱で事足りることもあるが、強大な敵と相対した時はその限りではない。


ミリアが言った「詠唱が長くなる」というのは、敵を正しく捉え、それを倒すだけの力を発揮するために、長い言挙げが必要だということだった。


「さあ、みんな……ゆくぞ!」


予定通り、ネリスが最前で大盾を構え、その後ろに俺とテナが並び、最後尾はミリアという隊形になる。

俺とテナも、背負い箱を引き出して準備万端だ。


「テナ、頑張ろうな」


そう呼びかけると、テナは「にゅん」とひとつ鳴く。表情もおよそ人間がするものではなく、感情が読めない。


……と、その時。


〈グオオオォォォッ!!〉


突如発せられた闇の根源の咆哮ほうこうが、ダンジョンを大きく揺らす。


「来るぞ! 備えろ!」


ネリスの掛け声に、パーティの緊張感が最高潮に達した。


周りを囲んでいた死霊の影たちが地を這うように闇の中心に集合し、形を成し、黒き龍をかたどってゆく。


〈我ヲ滅ボスカ〉


闇から生まれる声は、死そのものだった。

それは、行き場を失った幾千もの魂の終着。

断末魔の残穢ざんえ


「ゆくぞ……ッ!」


ネリスは怯むことなく、大いなる魔に相対した。


邪龍は大きく息を吸い、周囲に蔓延る死霊の影と人魂を飲み込んでゆく。


と、同時にミリアの詠唱が始まる。

彼女の身体は薄い銀色の光に包まれていた。


えんなる者達よ。がいなる者達よ。我、天恵をもって汝らにまことの死を与えんと欲す――」


想いを言挙ことあげする彼女の言葉は流麗で無駄がなかった。しかし――


〈滅セヨ〉


――それらを唱え切る前に、龍は全てを吐き出した。


燃え盛る黒い炎が、俺たちを飲み込もうと迫ってくる。

ネリスも負けじとえ、大盾を正面に突き出した。


「ぐぅッ……ォォォおおおお゛お゛お゛!!!」


盾と炎が衝突した瞬間、衝撃の余波が周囲の薄霧を晴らしていく。龍のブレスは、単に属性攻撃を与えるだけではない。その風圧だけで、並みの人間であればバラバラになってしまうのだ。


しかし、ネリスは耐えた。

むしろ、押し返す勢いすらある。

巨大な闇を前にしても、決して退くそぶりを見せない。


彼女は間違いなく英雄だった。


「ネリスさん! 耐えてくれ!」

「当然!!」


俺は打ち合わせ通り、ネリスに聖水をこれでもかと浴びせ続ける。


「うおおおお!!」


俺も柄にもなく吼えた。

手を休める訳にはいかない。


「ポーションも頼む!!」

「了解!!」


「もっとだ!!!」

「サービスサービスぅ!!!」


まるで川の流れのように、ドラゴンブレスは止まらない。

俺の両手も休まらない。

それにしても、龍の肺活量は凄まじい……。


「……テナ、その調子だ!」


テナもよどみなく小瓶を俺に手渡し、ついには口にくわえてまで作業をし始める。それでいて速く、正確だ。


「ミ゛ッ! ミ゛ッ!」


鬼気迫る猫がそこにはいた。

生存をかけた聖水リレーの一方で、ミリアの身体を覆う銀の光は、その輝きをどんどん増していく。


そして、その時は来た。


浄火じょうか。死を洗うともしびを分け与えん――」


熾天の銀火ゼルフィス・ファイア


ミリアが呪文を唱えた瞬間、彼女を中心に一瞬にして銀色の炎が六方に燃え広がる。分かれた光の筋は太さを増し、呪われた空間を満たした。


「……すごい」


不思議と熱さはなく、身体が焼かれる感覚もなかった。

先ほどまでの闇の世界が嘘かのように、全てが白銀に染まっている。


「ミリア、ルウィン、テナ……やったな」


ネリスが振り返り、満面の笑みを見せてきた。

龍と戦った後とは思えない余裕がある。


「この4人でなければ、こう上手くはいかなかっただろう」


ネリスはそう言うが、あるいは俺の聖水がなくても彼女は耐えきったかもしれない。


「お役に立てて光栄です」


それでも、彼女の装備や身体が軽傷で済んでいるのを見ると、俺たちの頑張りも間違いなく役には立ったのだろう。


「テナ、ありがとうな?」


テナに声をかけるが、ちょこんと座ってダンジョンの天井を見上げていた。その目は遥か遠くを見ているようだ。

ネリスもテナの目を覗き込む。


「あはは、テナもずいぶんと頑張ったようだ」

「ほんとよ、こんなことに付き合わされてかわいそうに」


ミリアはテナに同情しながら「んー」と大きく伸びをした。彼女の魔法がなければ、俺たちは今頃アンデッドの仲間だったに違いない。


「さて、ルウィン。この有様を見る限り、君が期待した結果にはならなかったようだが、どうしようか――」

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