第80話 契約満了

 澄み渡る蒼空。白い雲。帆船の群れのせいで真上以外の視界が著しく悪い。

 この帆船の密度。ホワイトコーストのすぐ近くなのは間違いない。あとはリバースカース号を探すだけだな。俺は頑張って手漕ぎして、どうにかうちの船を見つけだした。


「おじちゃんまで海から帰ってきたのですっ!」

「おかえり、だよ」


 リバースカース号の近くまでいくと子狐たちのほうが俺を見つけてくれた。小舟を乗り捨てて、埠頭にあがる頃にはラトリスもクウォンも集まっていた。


「ふふふ、オウル先生、どうでしたか? 言いつけ通りに奴隷解放作戦を発動できましたか?」

「完璧だった。シャルのやつ困ってたぞ?」

「ふふ、見てみたかったです。オウル先生が無事で嬉しいです」

「いやいや、優秀な一番弟子のおかげだよ。よーしよしよしよし~」

「きゅえ~、もっと撫でてください‼」


 赤くておおきなモフモフ耳を潰すように撫でくりまわした。ラトリスは尻尾を激しく揺らし、喉の奥から狐の声をもらしつつ、目を細め、大変に満足そうにする。


「いいなーなんだか大冒険があったみたい。やっぱり、あたしも潜入調査したかったよぉ‼」

「クウォンはまた今度な。機会はきっとあるさ。それよりゼロはどうだ?」


 セツの個室に向かうとゼロがグーグーと眠っていた。気持ちよさそうに寝ているので怪我などはなかった。シャルロッテは力加減を心得ているようだ。程なくしてゼロは目を覚ました。俺たちはあの場からどうにか脱出できたことを伝えた。


「主席執行官は最強の海賊狩り……もうダメかと思いましたよ。切り抜けるとは流石ですね」


 ゼロをベッドに横たえ、それを囲む形で潜入調査の成果を共有しあった。

 俺たちのユニークな作戦に意味はあったのか、それとも骨折り損のくたびれ儲けに終わったのか。それを判断できるのはゼロ本人だった。


「リーバルトの顧客名簿を手にいれることができれば一番でしたが、貿易会社があの屋敷をこれから調査するとなると、これ以上は追えませんかね。でも、今でも十分な情報があると言えます。私のお姉ちゃんを売った相手は第一等貴族という話でしたから。数は絞られますし」


 ゼロは確かな手ごたえを感じた風に白いシーツをギュッと握った。


「本当に、全部、あなたたちのおかげです。主席執行官に捕まった時、もうダメだと思いました、ひぐっ、うぐっ、助けだしてくださって、なんとお礼をすれば……」

「いいのよ。先生もわたしも何も気にしてないわ。今はとにかく休みなさい」


 ラトリスは優しい手つきでゼロの髪を撫でた。続いてモフモフな乗組員たちが彼女のベッドに寄り添い「よーしよし、大丈夫だよ~」「もう泣かなくていいのですっ‼」「ここは安全、だよ」と、みんなでゼロの頭をポンポン撫で始めた。ゼロは泣きながらも薄く笑いだしてしまう。


 俺は少し離れたところで腕を組んで眺める。なんて微笑ましい光景なのだ。



 ────



 翌日。ホワイトコーストの郊外には一台の荷車が停車していた。優しそうなおっさんが馬たちの手綱を握り、港湾都市で積んだ荷台の商品たちを内陸の街にいって商いをするそうだ。


 行商人のおっさんが荷物の最終チェックを行っている一方で、ゼロはトランクを荷馬車へ「よいしょ」と積んでいた。俺とラトリスとクウォンは見守る。

荷物の積みこみが終わり、ゼロは荷台にひょいっと飛び乗った。


「ラトリスさん、ちゃんと確認しましたか?」ゼロは心配そうにたずねる。

「当たり前じゃない。そう心配しなくても平気よ」

「もう一回、確認したら、ラトリス? 800万シルバー分の金貨だよ?」

「うるさいわよ、馬鹿狼、もう確認したってば。あんたとゼロに何度も言われてね」


 言って一番弟子が持つちいさな革袋が、チャリッと音をたてる。


「報酬は確かにお渡ししましたからね」

「ふふふ、毎度あり。あんたは一番のお客さんだったわ。金払いが特に最高だったわね」


 そういうラトリスへクウォンは「別にいつも誰かの依頼をこなしてるわけじゃなくない?」と首をかしげる。俺たちの本業は別にお悩み解決ではないのは確かである。


「でも、ピッケルを連日連夜振りおろしたり、伝説の怪物を探すよりもこっちのほうが楽だと思わない? だれかの役にもたてるんだし」

「そうでもないかな。せっかくできた仲間とお別れになっちゃうじゃん」


 クウォンが肩をすくめてみせると、ラトリスは「……確かに」と珍しく同調した。落ちこんだ表情で彼女はゼロのほうを見やる。ゼロは薄く笑みを浮かべて、狐と狼のやりとりを温かく見守っていた。ラトリスは鼻をすすり、黙したままそっとゼロにハグをした。クウォンはそのうえから抱擁するように抱きしめる。寂しいけど、こればかりは仕方のないことだ。


「本当に、ありがとうございました、皆さんのおかげです」

「泣かないでよ。このままあんたのこと船に連れて帰りたくなっちゃうじゃない」

「うわぁぁぁぁあ、じぇろろ、やっぱり、もうちょっと船にいない?」


 号泣するクウォン。「やれやれ、ゼロを困らせないの」と、ラトリスは狼を引き離す。この子も泣きたい気分だろうに、仕方ないという風に大人になってくれた。


「はぁ……それじゃあ、これにてゼロからの追加の依頼は完了よ。契約はすべて履行されたわ」

「うわぁあ、ゼロぉぉ、どうして行っちゃうの~‼」

「行かなければならないからです。クウォンさん、互いの道に戻りましょう」


 広い海、俺たちの旅路はただ一時だけ交差した。ゼロの旅はこの先に続いている。俺たちの旅は別の方向に続いている。それだけの話なのだ。ゼロはむせび泣くクウォンを撫で撫でしてあやす。年下とは思えない包容力。


「感動しているとこ悪いが、そろそろ馬車をだしてもいいかい?」


 行商人はパイプを吹かし、煙柱をのぼらせながらつぶやいた。いつの間にか御者台に座していた。退屈そうな顔で待機している。


 ゼロは「すみません、あと少しだけ」と言い、最後に俺へ視線を向けてきた。

 笑みをつくり、俺はうなずいた。「君なら大丈夫だ。絶対に。俺が保証する」

 俺は手を軽くふる。ゼロはちいさく噴きだすように笑んだ。


「ふふ、そうですよね。では、そちらもどうかお元気で」


 馬車が動きだした。ゼロは荷台の後ろでこちらへ手を振る。俺たちは手を振りかえした。そして手を振り続けた。その姿がちいさくなり、丘の起伏の向こうに消えるまで。

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