一の二[◆◆◆せんせい]

 わたしには、秘密にしなければならないことがある。

 それは、大好きな大好きな、わたしの◆◆◆おにいちゃんが、私の通っている学校の先生をしていること。


 この関係性を秘密にしなきゃいけないのはすっごく心苦しい。だって、授業で目の前に居るのに、廊下ですれ違ったとき、お話もぎゅってすることもできないんだもの!


 わたしと◆◆◆おにいちゃんは一緒のお家に住んでいる。

 お家では思う存分甘えることも、確かにできる。だけど――今日だけは我慢を忘れることにした!


 休み時間。職員室の近くは、誰も居ない。

 つまり、秘密にしなきゃいけないことは何一つなくて。

 作戦決行にはすごく適した環境。


 待つ。

 計画は完璧で、当然◆◆◆おにいちゃんの予定は把握しているから、来ることも分かっている。


 そして、少しして◆◆◆おにいちゃんがやってきた!!


 少し隠れて、タイミングをうかがって………………――


 奇襲のように後ろから優しくだきつく!!


「うわっ!」


 えへへ、驚いた◆◆◆おにいちゃんもやっぱり、すっごく可愛い。

 でも、華奢な体格なのに、しっかりしてて、体が動じていない。すごい。

 それに◆◆◆おにいちゃんからは何故かいい匂いがする。やわらかくて甘い匂い。なんでだろう。


「えへへ、ごめんなさい」

「……だめだよ、学校じゃあ」


 こっちを向いて、その後少し周りを見てから言う◆◆◆おにいちゃん。

 先生として、あんまり、生徒さんと親密な関係があるのを見せるのは良くない……らしい。


 本当は、◆◆◆おにいちゃんとは家族だから……親密なんて言葉では言い表せないくらい親密だもんね!


「だって誰も居なかったから、秘密にしなきゃいけないこともないじゃん? いつも近くにいるのに我慢しっぱなしはできないよ!」


 この計画を実行するに至った理由をそのまま告げる。

 ◆◆◆おにいちゃんは、呆れるような、仕方ないなぁというような顔をして、だきついているわたしの頭をなでてくれる。


「それに、今日のわたしには◆◆◆おにいちゃん成分が足りなかったから!」

「まったく」


 なんて言いながらも、引き剝がそうとはしない。優しい。だから、もっと好きになってしまう。


「はい、おしまいにする」


 でも、困らせちゃいけなくて、聞き分けのよい子でなきゃならない。

 ◆◆◆おにいちゃんは◆◆◆せんせいでもあって、色々な準備があるんだから。


 名残惜しいけど、腕を離す。


「ばいばい」

「この後の授業でね」


 悲しい。悲しいけど、我慢しなきゃ。我慢しなきゃだから。「ばいばい」を言う。もう会えなくなるとかではないけれど、三十分以上会えないのは、今生の別れみたいに感じるから、「ばいばい」って、離れていっちゃうなって思うから使っている。


 ……とは言っても、次の次の時間は◆◆◆せんせいの授業。耐えたらきっと大丈夫。

 考え方を切り替える。今の時間も至福の時間だったけど、授業も違った◆◆◆おにいちゃんの姿が本当にかっこいい、至福の時間だから、その期待の時間だ、と。


 どんよりとした気分に深くはまりかけていた自分を鼓舞して、教室に帰る。


 この後の長い長い時間を耐えて、◆◆◆せんせいの授業を受けて、でもまた長い長い長い時間を耐えて、そして、◆◆◆おにいちゃんと一緒にご飯を食べて、今日のこといろんなことのお話をして、一緒に帰って、一緒にお風呂に入って……そして、うっかりと同じベッドに入ってだきついちゃう。うっかりと。


 期待できる未来を妄想しつつ、一つの授業の時間は過ぎるのだった。



  ……………



 そして、◆◆◆せんせいの授業の時間がやってくる。

 万能で器用な◆◆◆おにいちゃんだけど、教えてくれるのは数学。


 何を隠そう、◆◆◆せんせいは教えるのがすっごく上手。


 ちょっとわたしは数学が苦手だったけど、◆◆◆おにいちゃんがせんせいとしてわたしに教えてくれるようになってから、数学なんてもう無双状態!


 高校生の数学は、決められた問題の解き方のアルゴリズムを覚えて、問題からどの解き方をすればいいのかを考えて見つけて、当てはめる。難しい問題でもないなら、これで足りるって教えてくれた。

 それを意識して問題と向き合うようにしたら……ぐんぐんわたしの学力は成長してしまったのだ。


「おねがいします」


 礼をして授業が始まる。


 カツカツカツ……。チョークと黒板の当たる音が響く。

 書き出されていくのは問題を解くための、解き方のアルゴリズム。

 更には、問題を解く方法の見つけ方のアルゴリズムも書き出され、何をしたらいいのかが本当に分かりやすくなっている。

 どうしてそうなるかまでも書いてくれる。それを見ると、すぅっとわたしの中に入ってくるから、本当に分かりやすくて、わたしの◆◆◆せんせいはすごいんだなって。優秀でかっこいい。


 立ち姿、黒板、教科書、そしてわたしを順ぐりに見る眼差しは凛々しくて、頼もしい。


 そして、問題を解く時間になる。


 さっき◆◆◆せんせいに言われたことを……あれ?

 解き進めて、ちょっと難しい問題に当たってしまう。


「うん……分からない?」

「分からないの?」


 ひゃああぁぁ。◆◆◆おに……せんせい!?


 …………こういう、ちょっとした呟きにも反応してくれるのが◆◆◆せんせいのすっごく良いところ。たくさん頼れるからすごい。


「まずここを見て。これの条件は、黒板の一、二、三、どれの解き方がよさそう?」

「この条件に当てはまるのは……二番?」

「じゃあ問題文の数字をこの解き方に当てはめてみて?」


 たったそれだけ。たったそれだけですらすらと解けるようになってしまう。


「そう、正解だね。こういう問題はこんな部分をよく見るといいよ」


 最後に、つまずいたところを、手伝いなしで解けるようにする方法を教えるのも忘れない。

 本当に完璧な人だと思う。


 ……チャイムが鳴る。


「ありがとうございました」


 授業が終わって、◆◆◆せんせいはそそくさと片付けて行ってしまう。


 そんなに急がなくてもいいのに。もうちょっとわたしのことを見てから行ってくれてもいいのに。



  ……………



 もう◆◆◆おにいちゃんに会えないというわけではないけれど、今日のわたしにとっての◆◆◆せんせいの時間は終わってしまった。そう思ってたのに。


「すみませ〜ん」


 不意打ちすぎる!!!

 ◆◆◆せんせいがこの教室に来た!

 ええええ! 知らないし、聞いてないよ! 予定は把握している筈なのに……不覚!


 と、心の中では何かが天地を駆け回り大絶叫。


 ……とはいっても、ちょっとした連絡を、今教室で授業をしている先生に言いに来ただけみたいで。

 ただ私は前の席。扉の前から教壇の先生に言う格好になるから……――


 この不意打ちが間近すぎるっ!!


 そして、◆◆◆おにいちゃんは、こっちを見て、笑ってくれたのだ! しかもこっそり、照れて。


 でも、連絡が終わって、すぐに教室から退出してしまう。


 でも……この◆◆◆おにいちゃんは素敵。素敵だった。普段の自信に満ちあふれた、大人の素敵なおにいちゃんもかっこよくて頼りなる感じなのに、秘密を隠そうとする少年みたく、わたしだけに素敵に笑ってくれた!


 ほわぁぁ……。無事死亡。残りの時間も期待しちゃうじゃん。



  ……………



 でも、今日不意打ちはあれ一回だけで終わってしまった。

 そして、お昼ご飯の時間。

 ◆◆◆おにいちゃんの作ってくれたお弁当を持って、◆◆◆おにいちゃんのところへ行く。


「お昼ご飯食べましょう!」

「はいはい」


 今、わたしはどんな顔をしているのだろうか。

 だらしない顔はしないように気を付けている。


 ◆◆◆おにいちゃんが座る隣に、なるべくくっつくように座る。

 おそろいのお弁当箱。色違い。中身は一緒のときも違うときもあるけれど、開けるまでのお楽しみ。


 中は、左に白いご飯。右にハンバーグ、卵……と、すごく美味しそうなお弁当だった。


小声で、顔をわたしの耳に近づけて◆◆◆おにいちゃんは言う。


「今日は★★★の好きなハンバーグのお弁当を作りました」


 うええぇ! 嬉しすぎる。わたしの好きなもの。わたしのために作ってくれた、ハンバーグ……。

 そして、◆◆◆おにいちゃんのお弁当箱にもハンバーグ。


「いただきます」

「いただきます」


 わたしが「いただきます」を言って、続けて◆◆◆おにいちゃんが言う。


 ハンバーグと白米を一緒に口の中に運ぶ。

 すっごく美味しい。噛むごとにソースとお肉の美味しさが広がっていき、でも行きすぎないようにお米が中和してくれる。


 恥ずかしいけど、頑張って、わたしも◆◆◆おにいちゃんの耳の近くに口を寄せて言う。


「すっごい美味しいよ、◆◆◆おにいちゃん」

「よかった」


 そう、◆◆◆おにいちゃんは微笑む。


 わたしのため、わたしのためと、美味しく作ってくれたハンバーグ。◆◆◆おにいちゃんはすごいんだって、本当にそう思う。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


 「ごちそうさま」を言う。続けて◆◆◆おにいちゃんも言う。


 お昼休み、お食事を食べ終わるも、教室に戻るにはまだ早い。

 ここは人気のない所。


 お弁当箱を片付けて、横に居る◆◆◆おにいちゃんの左手にわたしの右手を重ねる。


「あったかい」


 おおきくて、あたたかくて、頼れる。そんな◆◆◆おにいちゃんの手。

 ちょっと困ったように笑って、更に上から◆◆◆おにいちゃんは右手を重ねて、わたしの手をあたためる仕草をする。


「ありがと」

「……甘えたいときは甘えていいからね」


 あぁ……本当にこの◆◆◆おにいちゃんは優しい。


「じゃあ、今日は一緒帰りたい」

「わかったよ」


 わたしはこの至福の時間をしばらく堪能した。



  ……………



「さようなら」


 学校での一日が終わる。

 特に何か、学校ですることはない。

 だけれど、一人、また、一人と居なくなっていく教室の中、わたしは残る。


 行く場所帰る場所の同じ◆◆◆おにいちゃんとわたし。

 だったら一緒に帰りたい……よね。

 でも、先生のお仕事は大変で、下校時間になったからといって、すぐには帰れない。


 一人で居る教室は広く静かに感じる。

 落ち着ける空間であるではないけれど、少しの時間を過ごすには調度良い空間……かもしれない。 


 ◆◆◆おにいちゃんのすることが終わるまではここで待つ。一緒に帰れるから、たくさん時間がかかるわけではないと思う。


 でも、心細くもなってきて、無用に教室を歩いてまわってしまう。


 黒板を見ると、今日の数学の板書の跡も残っていて、改めて綺麗な字を書くなぁと感じる。

 近くから見てもバランスが整っていて、でも◆◆◆おにいちゃんの個性も感じる。

 遠くからは……見えなかった。あくまでも痕跡があるだけだから。でも、きっと遠くからも綺麗に見えるようになっているんだろうなと思う。


「たくさん頑張って、せんせいになったんだよね」


 落書きではないけれど、自分で黒板に字を書いてみたら……綺麗には書けなかった。

 だから一層、こういうことも頑張ったんだなって気づける。


 細かいことも完璧。◆◆◆おにいちゃんには天性の才があって、わたしはたくさんその恩恵ももらった。すごいよね。本当に。


 字を消して、手を洗う。


 自分の席について、数学の復習をしてみる。

 今日のじゃなくて、昔やったところ。

 覚え続けるには、定期的な復習が大切だって、◆◆◆せんせいは言う。だから、頑張る。


 続けていくと、ちょっと危ないところ、大丈夫なところが分かってきて、復習の大切さを身に染みる。


 そうしてしばらく続けていると――◆◆◆おにいちゃんが教室に顔を出した。


「あ! 帰ろう!」


 やった! やっと一緒になれる、一緒に帰れる!


「数学やってたんだ、偉いね!」


 そして褒められた! みゃあぁ……嬉しい。


「うん! 『定期的に復習することは、何が苦手とか、何を忘れているとかが分かるので、大切です』……って言ってたからね」


 初回の授業の◆◆◆せんせいの真似をして言う。


「覚えててくれてありがとう。効果はあった?」

「とっても!」


 わたしが笑うのにつれて、◆◆◆おにいちゃんも笑う。

 そして、頭をなでてくれる。


 にゃぁ、もっとなでてほしいにゃぁ……。


 猫になったつもりで頭を◆◆◆おにいちゃんの手に寄せる。

 気持ちいい。何回も何回も欲しくなる、その包んでくれるあたたかさ。


 ただ、すぐに手は離れていく。


「準備して、帰ろう」


 帰る準備をほったらかして、かまわれにいっていたから……。


 とはいっても、帰る準備は、その数学をカバンに入れるだけ。


「はい。帰れま〜す」

「よろしい」


 普通に帰るには遅く、部活などで帰るとしたら早い時間。人の少ない道で、肩を並べて歩く。


「手が寒いなぁ」


 理由なんかつけなくたっていいけれど、何故かそうしたくなって、手をつなぐ。

 手をつなぐことで生まれる幸せを共有したい。


「左手は寒くないの?」

「右手だけ寒い!」


 正面を向き合うのは家に帰ってから。まだ、片手で我慢だから。家でもないところではすることじゃないから……。

 でも、左手も◆◆◆おにいちゃんはつなぎたいってことなのかな……?

 すっごい嬉しいよぉ……!!


 指を◆◆◆おにいちゃんの指同士の隙間に入れて、恋人つなぎにする。


「これで体までぽかぽかなのです」


 ◆◆◆おにいちゃんは笑った。

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